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45 囚われの扉、その先に
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──静寂だった。
目覚めたとき、まず耳に届いたのは、あまりに静かな空気の音だった。風のざわめきも、人の気配も、ない。まるでこの場所だけ、世界から切り取られてしまったように思えた。
「……っ」
喉が乾いていた。起き上がろうとした瞬間、腕に鈍い痛みが走る。
見れば、手首の内側に薄く赤い痕──点滴のような、注射の跡。
「……またか」
小さく呟いたその声が、白い壁に跳ね返って自分の耳に返ってくる。
なんだろう、この感じ。知ってる。知っているはずなのに、忘れていたもの。記憶の底に沈めていた、もうひとつの現実。
レオンが叫んだ、あの一言──
『……フラン、逃げろ──!』
その声が、脳裏を強く打ち、思い出したはずの記憶が、また洪水のように押し寄せる。
──フラン。
かつての、ぼくの名前。
けれどそれは、ただの名前じゃなかった。
誰かに呼ばれ続けていた、“被験体”としての記号。
薬を投与され、実験を重ねられ、名前だけが唯一、残された“人間の証明”だった。
「やめて……」
ぶるり、と体が震えた。
それでも、思い出してしまう。
ガラス越しのた研究者の顔。
静かに涙を流す、名も知らない子どもたち。
立ち上がると、足元が少しふらついた。薬のせいだろうか。
それでも、目の前の扉に手をかける。無理だろうと分かっていても、開けずにはいられなかった。
「っ……!」
扉は開かない。指先に力が入る。壁を叩こうとして、やめた。
どこかで、見られている気がした。カメラは見当たらないのに、誰かがぼくの感情を観察している。そんな感覚。
(ここに、レオンも──)
彼は無事だろうか。連れ去られる直前、確かに彼は叫んでいた。
あんな声、初めて聞いた。
怒りでも、恐怖でもなく、ぼくを守ろうとする、必死の想いだった。
──ぼくは、どうしてあの声を覚えている?
──どうして、その瞬間に“あの子”を思い出した?
焼けるような記憶が、胸を締めつける。
あれは、まだぼくが小さかった頃。白衣の人々に囲まれた研究室の奥で、いつも離れた檻から見つめてきた少年。
栗色の髪に、琥珀の瞳。
決して名前は教えてくれなかったけれど、彼は──ぼくの名前を、何度も何度も呼んでくれた。
『フラン、こっち見て』
『怖がらないで、僕がいるよ』
『──いつか絶対、外に出よう。ふたりで』
その少年が──レオンだったのだと、今さら気づいた。
あの頃の約束を、ぼくは……忘れていた。
「……ごめん」
小さく呟いたその声に、誰かが答えるわけじゃない。
でも、それでも、ぼくは声にしなければいけなかった。
あのとき、名前すら呼べなかったあの子に。
そして、今、命をかけて守ろうとした彼に。
ふと、空気が変わった。
部屋の片隅にあるスピーカーが、微かにノイズを吐く。
──キリ、キリ、と軋むような音ののち、機械音が響く。
『フラン。ようやく、覚醒の兆しが見えたな』
その声に、心臓が跳ねた。
知っている。忘れたくても、身体が震えるほど、嫌でも思い出す声。
「……誰?」
喉から絞り出すように尋ねた。
声の主は名乗らず、ただ静かに続けた。
『目覚めよ、選ばれし子。お前の“意志”を、確かめる時が来た』
「……ぼくは、“ユリス”だ。お前たちが与えた名前なんかじゃない。忘れるもんか、もう……っ!」
声が震えた。でも、それでも言葉を止めなかった。
身体の芯にある、熱が、怒りと共に叫ぶ。
──もう二度と、誰かの名前を奪わせない。
「レオンを、返して。俺は、あいつと一緒に帰る。……それが、俺の、選んだ道だ」
返事はなかった。
ただ、スピーカーからの音が消え、部屋はまた静寂に包まれる。
だがその静けさの中、胸の鼓動だけが確かに鳴っていた。
──怖くなんかない。
たとえ、この記憶の先に何があろうと。
ぼくは、“ユリス”として、レオンと共に生きていく。
それだけは、何があっても曲げない。
そして、心の奥で確かに聞こえた。
小さな声
『──フラン。君は自由になって、飛んで』
──ジュリオ?
名前だけが、すうっと心に灯った。
それでも、今はまだ──思い出さない。
「レオンを探さなきゃ。おれはかならずお前と帰る」
目を閉じ、拳を握る。
まだ扉は閉じている。
けれど、心の鍵は、もう外れかけていた。
目覚めたとき、まず耳に届いたのは、あまりに静かな空気の音だった。風のざわめきも、人の気配も、ない。まるでこの場所だけ、世界から切り取られてしまったように思えた。
「……っ」
喉が乾いていた。起き上がろうとした瞬間、腕に鈍い痛みが走る。
見れば、手首の内側に薄く赤い痕──点滴のような、注射の跡。
「……またか」
小さく呟いたその声が、白い壁に跳ね返って自分の耳に返ってくる。
なんだろう、この感じ。知ってる。知っているはずなのに、忘れていたもの。記憶の底に沈めていた、もうひとつの現実。
レオンが叫んだ、あの一言──
『……フラン、逃げろ──!』
その声が、脳裏を強く打ち、思い出したはずの記憶が、また洪水のように押し寄せる。
──フラン。
かつての、ぼくの名前。
けれどそれは、ただの名前じゃなかった。
誰かに呼ばれ続けていた、“被験体”としての記号。
薬を投与され、実験を重ねられ、名前だけが唯一、残された“人間の証明”だった。
「やめて……」
ぶるり、と体が震えた。
それでも、思い出してしまう。
ガラス越しのた研究者の顔。
静かに涙を流す、名も知らない子どもたち。
立ち上がると、足元が少しふらついた。薬のせいだろうか。
それでも、目の前の扉に手をかける。無理だろうと分かっていても、開けずにはいられなかった。
「っ……!」
扉は開かない。指先に力が入る。壁を叩こうとして、やめた。
どこかで、見られている気がした。カメラは見当たらないのに、誰かがぼくの感情を観察している。そんな感覚。
(ここに、レオンも──)
彼は無事だろうか。連れ去られる直前、確かに彼は叫んでいた。
あんな声、初めて聞いた。
怒りでも、恐怖でもなく、ぼくを守ろうとする、必死の想いだった。
──ぼくは、どうしてあの声を覚えている?
──どうして、その瞬間に“あの子”を思い出した?
焼けるような記憶が、胸を締めつける。
あれは、まだぼくが小さかった頃。白衣の人々に囲まれた研究室の奥で、いつも離れた檻から見つめてきた少年。
栗色の髪に、琥珀の瞳。
決して名前は教えてくれなかったけれど、彼は──ぼくの名前を、何度も何度も呼んでくれた。
『フラン、こっち見て』
『怖がらないで、僕がいるよ』
『──いつか絶対、外に出よう。ふたりで』
その少年が──レオンだったのだと、今さら気づいた。
あの頃の約束を、ぼくは……忘れていた。
「……ごめん」
小さく呟いたその声に、誰かが答えるわけじゃない。
でも、それでも、ぼくは声にしなければいけなかった。
あのとき、名前すら呼べなかったあの子に。
そして、今、命をかけて守ろうとした彼に。
ふと、空気が変わった。
部屋の片隅にあるスピーカーが、微かにノイズを吐く。
──キリ、キリ、と軋むような音ののち、機械音が響く。
『フラン。ようやく、覚醒の兆しが見えたな』
その声に、心臓が跳ねた。
知っている。忘れたくても、身体が震えるほど、嫌でも思い出す声。
「……誰?」
喉から絞り出すように尋ねた。
声の主は名乗らず、ただ静かに続けた。
『目覚めよ、選ばれし子。お前の“意志”を、確かめる時が来た』
「……ぼくは、“ユリス”だ。お前たちが与えた名前なんかじゃない。忘れるもんか、もう……っ!」
声が震えた。でも、それでも言葉を止めなかった。
身体の芯にある、熱が、怒りと共に叫ぶ。
──もう二度と、誰かの名前を奪わせない。
「レオンを、返して。俺は、あいつと一緒に帰る。……それが、俺の、選んだ道だ」
返事はなかった。
ただ、スピーカーからの音が消え、部屋はまた静寂に包まれる。
だがその静けさの中、胸の鼓動だけが確かに鳴っていた。
──怖くなんかない。
たとえ、この記憶の先に何があろうと。
ぼくは、“ユリス”として、レオンと共に生きていく。
それだけは、何があっても曲げない。
そして、心の奥で確かに聞こえた。
小さな声
『──フラン。君は自由になって、飛んで』
──ジュリオ?
名前だけが、すうっと心に灯った。
それでも、今はまだ──思い出さない。
「レオンを探さなきゃ。おれはかならずお前と帰る」
目を閉じ、拳を握る。
まだ扉は閉じている。
けれど、心の鍵は、もう外れかけていた。
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