『聖クロノア学院恋愛譚 』記憶を失ったベータと王族アルファ、封印された過去が愛を試すまで

るみ乃。

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49 桜の下、それぞれの想い

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 学院のはずれにある、大きな桜の木の下に俺たちはいた。
 クラウス医師が「特別なときにだけ」と言って、俺とレオンを案内してくれた場所だ。

 満開の夜桜が、青白い月明かりを浴びて静かに花びらを散らしている。
 風が冷たくて、頬を撫でるたびにひらりと花びらが俺の肩に落ちた。

「ここは……本当に、特別な場所だな」
 そう吐いた声が、いつもより少し震えている気がする。
 冷えたからじゃない。心のどこかがざわついているんだ。

 隣のレオンは微笑んでいるけど、どこか遠くを見ているみたいだ。
 過去か?未来か?それとも……俺のことを考えているのか?

「……だから、今はここにいよう」

 レオンが差し出した手に、俺は一瞬ためらったけど、そっと指を重ねた。
 細くて、少し震えてる手。
 それでも確かな温もりが、俺たちをこの現実につなぎ止めてくれている。

 俺たちは桜の下に立って、静かに寄り添った。
 花びらが降り注ぐ闇夜の中、俺たちの小さな結びつきだけが灯りのようだった。

「ユリス……」

 レオンの声が、風より柔らかく耳に届いた。

「……ああ」

 俺はそっと顔を向ける。

「少しだけ……こうしていてもいい?」

 レオンの腕が、そっと俺を引き寄せた。
 近すぎて、頬と頬が触れそうだった。

 胸が、ぎゅっと締めつけられる。
 俺の心臓が、耳の奥で爆ぜそうだ。

 その温もりに包まれ、俺はゆっくりと目を閉じた。
 逃げ続けた日々の中で、初めて手にした安堵の感覚だった。

「……あったかい」

 レオンが小さく呟いて、俺の前髪に軽く口づけした。

 それはほんの一瞬のことだったけど、俺の中に音もなく深く落ちていった。
 まるで、忘れてた感情の記憶を呼び覚ますみたいに。

「もう、離さない……ユリス。俺は、離れないよ」

 その言葉に、俺は息をのんで、そっとレオンの手を握り返した。
 少しだけ、何かが心の奥でほどけた気がした。

 ──だけど。

 その幸福な時間を、遠くから見つめる視線があった。

 クラウス医師だ。
 白衣を脱ぎ、古びた外套を羽織って、桜の木から少し離れた影の中に立っている。

 彼の手には、小さな真鍮の鍵。
 無意識にそれを転がしながら、遠い記憶に囚われているようだった。

「……あの日も、桜が咲いていた」

 十年前。
 ジュリオと一緒にここから逃げ出そうとした夜のこと。
 約束の場所は、この桜の下だった。

 でも、ジュリオは来なかった。
 選んだのは未来か、それとも死か。
 いまだにクラウスはその答えを持っていない。

「ジュリオ……」

 彼の声は風に紛れて消えた。

 ポケットから鍵を取り出し、握りしめるクラウス。
 ──それは、ジュリオが最後に残した唯一の“かたち”だった。

 そんな時、静かな足音が近づいてきた。

「クラウス、少し話をしないか」

 振り返ると、マルディ医師が立っていた。
 白衣の裾が揺れていて、穏やかさの中に深い陰りを感じさせる。

「……ジュリオのことか」
 クラウスが静かに言った。

 マルディは一歩前に出て、夜桜を見上げながら言った。

「……あの夜、彼は来られなかった。来ないことを選んだのか、来れなかったのか──どちらにせよ、彼には守るべき誰かがいた」

 クラウスは唇を噛みしめた。

「……俺はジュリオを、助けられなかった。俺の無力が……あの子を──」

「過去は変えられない。だが今は……あの二人を守ってやるべきだ」

 マルディの視線は、桜の下で寄り添う俺たちに向けられていた。

「アレクが彼らに、どれほどの処置を施したのかまだわからない。精神も、完全に無事とは思えない。だが、彼らには自由に選べる未来がある」

 彼は頷いた。

「俺たちももう逃げられない。施設も罪も、全部背負って、最後まで見届けるしかない」

 クラウスは真鍮の鍵を握りしめた。

「ならば、俺も」

 ふたりは言葉を交わさず、桜の木を離れていった。

 月明かりの下、夜桜が静かに舞い続ける。そう、俺とレオン…聖クロノア学院、ここから……
 まるで何かが始まることを、ただ見守っているかのように。

 俺はレオンの手を握り返し、心の奥で何かが固く決まったのを感じていた。
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