【完結】聖クロノア学院恋愛譚 ―君のすべてを知った日から―

るみ乃。

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58 兄の選択、弟の願い

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「クラウスは……ひとりで行ったんだよな?」

 レオンの横顔は、静かに怒りと焦燥を滲ませていた。
 声は平静を装っていたが、その拳は小さく震えている。

 「クラウスは医師だ。戦える力はない。それでも行ったのは……ジュリオを、助けたかったからだ」

 頷い俺の声は、自分でもわかるほどかすれていた。
 ジュリオの居場所はもう近い。石壁の裂け目から漏れる冷気は、ただの風ではなかった。
 血と、術式の気配――嫌な予感が胸を締め付ける。

 そして、辿り着いたそこには。

 崩れかけた魔法陣の中心。
 倒れ伏すジュリオを抱きかかえるように、クラウスが身を寄せていた。
 そしてその向こうには、黒衣の王――アルクが、静かに立っていた。

 「……ジュリオ……!」

 クラウスがこちらを見て、安堵のように微笑む。

 
「……ユリス、レオン……来てくれたんだな」

 

 俺は膝をつき、ジュリオの手を取る。

「番契約……まだ残ってる。痕が、濃いままだ……」

 「レオン、どうすれば……?」

 俺の問いに、レオンは躊躇わず答えた。

「王家の血だ。術式の中枢に、王の血が触れれば……無効化できるはずだ」

 その言葉のあと、レオンは短剣を引き抜き、自らの掌を裂いた。
 迸る血が、術式の中心に落ちる。
 その瞬間、空気が揺れた。

 「レオン、待って……!」

 叫んだが、間に合わなかった。
 王家の禁術に触れたその瞬間、彼の片目が赤く焼け焦げる。

 「ぐっ……ああああああッ……!」

 悲鳴とともに、レオンの身体が崩れ落ちた。
 俺は咄嗟に抱きしめた。彼の血が、俺の肩を染めていく。

 
「……大丈夫、だよ……これで、やっと……兄さんと違う未来に進める……」

 微笑むレオンの言葉は、痛々しいほど優しかった。
 だが術は、まだ――解けていなかった。

 「足りないんだよ、レオン」

 静かな声で、アルクが告げた。
 その声音には、どこか深い諦めと、哀しみが混ざっていた。

 
「王家の血だけじゃ術は解けない。“契約者の血”――あるいは、その血を継ぐ者が必要なんだ」

 沈黙が広がる。
 その時、クラウスが顔を上げ、呟いた。

 「……ジュリオの子か……」
 

 息を呑む気配。ジュリオの身体が震える。

 「やめて……! その子は……関係ない!」

 彼の声は、震えていた。けれど、強かった。

 「俺は、アルクを選んだ。術だけじゃない。自分で、彼のつがいになると決めたんだ。
 あの子を守りたかった。でも……それだけじゃない」

 ジュリオの目に、静かに涙が溢れていた。

 「アルクの痛みも、孤独も、怒りも、全部……知ってるから。
 だから俺は、彼をひとりにはできない。ごめん、クラウス……助けに来てくれて、ありがとう」

 クラウスの目が、静かに崩れていくようだった。
 涙が止まらないまま、何も言えずにジュリオの手を握り返す。

 アルクが一歩、踏み出した。
 その瞳には、深く刻まれた哀しみの影があった。

 「……術は、俺が解く」

 「兄さん……?」

 レオンが顔を上げる。
 俺も、息を呑んだ。

 「代償は、俺が背負う。王位も、視力も……全部、捨てるよ」

 ジュリオが思わず叫ぶ。

「そんなことをして、君が失うものは――」

 「構わない」

 その言葉には、重みと、決意があった。

 「“選ばれしアルファ”なんて、どうでもいい。
 ただ、君の笑顔に……恋をしただけだったんだ、ジュリオ」

 アルクは、ジュリオの頬に触れる。
 まるで、宝物を撫でるように。
 そのまま術式の中心に手を翳し、両目を閉じた。

 術式が焼け落ちるように、崩れていく。
 空間が揺れ、赤い閃光が走る。

 

 そして――

 「……ッ!」

 アルクの両目から、血の涙が溢れた。
 視力を失った彼は、静かに膝をついた。

 

「……ジュリオ、お前は自由だよ。残念だが、もう……君の笑顔とあの子の顔は、見られそうにないな」

 それでも彼は、微笑んでいた。
 初めて見せた、心からの安堵の表情だった。

 「兄さん……ありがとう」

 レオンの声は、震えていた。
 彼は俺の手を握り返し、言った。

「ユリス、……これから、どうする?」

 俺は、迷わなかった。

 「逃げない。俺は、オメガでも、ベータでも関係なく――
 ユリスとして、君と共に生きたい。
 フランとしての恋も、ユリスとしての恋も、どっちも本物だった。
 だから……俺は、君と戦う」

 レオンが、小さく笑った。

 「……ありがとう。俺も、君となら、どんな未来も恐くない」

 
 ジュリオが、クラウスの胸に顔を埋めて泣いていた。
 初めて、声をあげて泣くジュリオを、クラウスは優しく抱きしめていた。

 
 そしてアルクは、遠く崩れかけた塔の向こうに顔を向けて、呟く。

 「……王家は、この禁忌を赦さないだろう。次の実験体の確保のために……必ず君たちを追ってくる。
 だけど、それでも――君たちなら、未来を変えられるかもしれないな」

 その声は、確かに希望だった。
 血と悲しみの儀式の果てに、ようやく訪れた、ほんの一筋の光。

 
 夜明けが近づいていた。
 その光に向かって、俺たちは歩き出した。

 まだ何も終わってはいない。
 だけど、今なら信じられる。

 未来はきっと、自分で選べると――。

    
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