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第1部
黒の歪み
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街中を行く漆黒の馬の背には、黒髪の男。その腰にしがみついているのは、珍妙な衣装を纏い、長く艶やかな黒髪を靡かせる少女。黒ばかりの取り合わせに、道行く人々は目を奪われる。
「黒髪の女だ……」
「黒髪はリューシ様だけのはずじゃ……!?」
男──リューシはざわめく民衆には目もくれず、一心不乱に馬を駆けさせていた。
受け止めた以上、はいさようならというわけにもいかない。第一、黒髪の少女とあれば、あのまま放っておくととんでもない騒ぎになる。治安の維持を考え、とりあえず宮殿に連れて行く事にした。それはそれで騒ぎになるが、やむを得ない。
しかし、リューシはこの選択を早くも後悔し始めていた。
「ねぇ、どこに行くの? ここはどこ? あなた誰? あたし、どうすればいいの?」
喧しく背中に質問を浴びせかけて来るのだ。先程からずっとこの状態である。始めこそ「ああ」と適当に返事をしていたが、全速力で馬を走らせている中ではそれすらも煩わしくなった。途中からは一言も喋っていない。
やはり放置すべきだったのだろうか。今考えれば、あの草原に人が来る事は滅多にない。野垂れ死ねば誰にも発見されなかったかもしれない。
我ながらとんでもない考えが頭を過った時、少女が声を上げた。
「わぁ……! 何ここ……お城……!?」
目の前に現れた豪華絢爛な建造物に目を輝かせているのが振り返らずともわかる。
「我がルバルア帝国の宮殿だ。中での言動は慎んでくれ」
この調子で大臣達にまで絡まれては面倒だ。
「ルバルア……帝国……?」
少女が首を傾げる。
知らなくて当然だ。彼女はこの世界の者ではない。姿を見れば直ぐにわかる。彼女が身に付けているのは、いわゆるセーラー服というもの。そしてこの黒髪。明らかに日本人である。しかし、なぜこの少女が空から降って来たのか。
「やっぱり……ここ、日本じゃないんだ……」
小さく少女が呟いた。
「どの人もみんな日本人っぽくないし……ねぇ、あなたは日本人じゃないの?」
「俺は生まれも育ちもルバルアだ」
「うそぉ……」
嘘は言っていない。前世では日本人だったが、転生した今は立派なルバルア人だ。
この少女に転生者である事を話すとややこしい。直感的にそう思った。
「そろそろ黙ってくれ。宮殿に入る」
門番に合図を送ると、仰々しい門が音を立てて開かれた。その中心へ馬を進める。
「すっごぉい! ね、あなたがこの国の王様なの?」
正しくは“王様”ではなく“皇帝”だと心の中で訂正する。皇帝は王よりも上位で、別物だ。
「そんなわけないだろう。黙ってくれと言ったのが聞こえなかったか」
思った事を考えもせずに次々口に出すなという台詞を呑み込み、代わりに硬い口調で言う。そろそろ本当に黙って欲しい。
厩舎の前で鞍から降り、手を差し出す。
「降りろ」
「あ……はい」
少女は殆どリューシの手に縋り付くようにして馬から降りた。
「こんなエスコートみたいなの、された事ないから照れちゃうな」
そんなつもりはない。ただ、怪我をした時の治療の手間を省いただけだ。えへへ、と笑う彼女に親近感は抱けなかった。
厩舎の中に青馬を入れ、少女に「付いて来い」と声を掛ける。慌ててパタパタと駆けて来る音だけを確認し、そのまま早足に歩く。
人目に付かないよう、いつもとは違う道順で国防大臣の執務室へ向かう。使用人達もあまり使っていない通路だ。
今のところ、少女は黙って付いて来ている。
4つ目の角を曲がると、それなりの装飾が施された扉が見えた。その前で少女に釘を刺す。
「俺がいいと言うまで喋るな」
答えを待たず、扉をノックする。直ぐに「入れ」と応答があった。
「失礼します」
立派な椅子に腰掛けているカイゼル髭の男に敬礼する。 国防大臣のアルヴァン・フンクル。彼はリューシの後に付いて入って来た少女を見、ぎょっとした表情を浮かべた。
「ラヴォル指揮官……その少女は……」
どう報告すべきか。一瞬迷うが、ありのままの事実を伝える。
「空から墜落して来たところを保護しました。それから、私はもう指揮官ではありません」
「空から……!? どういう事だ」
「わかりません」
「何という事だ……」と大臣が呻いた。額に手を当て、考え込む。長いの沈黙の後、彼は指示を出した。
「緊急会議を開く。全大臣、神官、それに総督……とにかく全員だ! 至急集めろ!」
「は。……この少女はどうしますか」
「会議に出す。どこか空いている部屋で待たせておけ。出入口には監視を付けろ。会議まで絶対に部屋から出すな!」
「は、直ぐに取り掛かります」
敬礼し、ただならぬ雰囲気に怯えた様子の少女を連れて出る。
「ね、ねぇ……あたし、どうなっちゃうの?」
自分に縋る少女にちらりと視線を落とす。見知らぬ土地で見知らぬ大人に閉じ込めろと言われ、さぞかし不安だろう。が、同情してどうこうなるものでもない。リューシは冷淡に言い放った。
「知らん。俺が決める事じゃない」
少女の大きな瞳が揺れる。うっすらと涙まで浮かべているらしい。優しい言葉を期待していたのに、裏切られた。そんな表情。
──面倒な……
「安心しろ。殺されはしない」
言ってみるが、余計に怯え出す少女にため息が漏れた。
いくら自分に希望のある言葉を求めたところで、それは気休めに過ぎない。今も「殺されはしない」と言ったが、決定権は自分にないのだ。保証は出来ない。一時的な安心に縋るのは愚かだ。
「部屋に案内する。来い」
服の裾を掴む手を外し、真っ直ぐに通路を進む。
なぜか、得体の知れない胸騒ぎを覚えた。
◇◇◇
緊急会議には、リューシも出席する事になった。少女の第一発見者、という事らしい。
彼女の姿を目にした幹部と神官は騒然としたが、リューシはそこでの議題に唖然とした。
『本当の次期皇后はこの少女ではないか』
それが会議の内容だった。
「──つまり、我々の解釈が誤っていたと?」
大神官がしゃがれた声で言う。25年前の神託を受けたのは彼であった。その老人に、国防大臣が如何にも、と頷く。
「確かに、今回の神託が、我々が誤った人物を皇太子殿下の后にしようとした為に早められたものだとしたら、辻褄は合う」
「なるほど……それならば、突然神が皇后の条件を『軍人ではない』と提示されたのにも納得出来ますな」
他の大臣達が賛成の意を示し、彼はそうだろうという風に集まった面々を見回した。
当事者である自分の目の前で、定められていたはずの運命が覆されてゆく。言葉も出なかった。
「──では、この少女が殿下の后になるという事で宜しいですな。反対の者は挙手を」
今回の議長である国防大臣が議決しようとしたその時、1人が手を挙げた。
「ちょっと待ってよ!! 神託とか皇后とか、何の事!? 意味わかんないんだけど!?」
隣で立ち上がっている少女に目眩がする。だから言動を慎めと言ったのに。せめて、口調だけでも改めてくれればまだよかった。
「あなたは神が遣わせし黒髪の乙女だ。あなたこそが皇后となるべきなのです」
少女に向かって国防大臣が宥めるように言う。
アナタコソガコウゴウトナルベキナノデス
ぐるぐると言葉が頭の中を駆け巡る。耐え難い吐き気に呼吸するのもままならない。それを他所に、会議は着実に進んでゆく。
「それでは、もう1人の黒髪はどうする」
「皇后の補佐にすれば宜しい」
「なるほど」
「では、除隊の件は」
「それは再入隊でよかろう」
「よし、決まりましたな。それで宜しいな、ラヴォル指揮官──おっと、もう指揮官ではなかったな」
何も答えないリューシにそれ以上の確認は取らず、国防大臣は満足気に頷いた。お前に拒否権はない。そういう事だ。
「では、全員賛成で議決する。解散」
ぞろぞろと幹部達が会議室を出る。少女は婚儀の相談をするからと大臣達に連れて行かれた。あまりにも呆気なかった。
残されたリューシは呆然と虚空を見つめる。
──あの女が、皇后?
では、自分の24年間は何だったのだ。強制的に次期皇后としての教育を受けさせられ、あらゆる人間から「Ω風情が」と侮蔑の眼差しを向けられ続けた24年間は──
ふらつく脚で立ち上がり、がらんどうになった会議室を後にする。
──頭が痛い。
ずきずきと痛む頭を右手で押さえ、壁伝いに歩く。未だ込み上げる嘔吐感を誤魔化しながら、青馬が待つ厩舎に急いだ。
すれ違う人という人が囁き合う。本物の皇后様が現れた、と。やっぱりΩの皇后は偽物だったのだと。
好奇の目に晒されている。来た時と同じ通路を通ればよかった。近さを優先した事を今更ながらに後悔する。纏わり付いて来る視線はフォンド男爵の煙草の煙のようで、余計に不快感が募った。早くこの空間から脱け出したい。ここまで他人の視線を嫌悪したのは初めてだった。
厩舎に辿り着くと、青馬が鼻先を擦り付けて来た。戦場では荒々しい彼の瞳に心配そうな色が浮かんでいる。今までに多くの馬に乗ったが、この馬は歴代のどのパートナーよりも早く主の異変に気付く。
「なるべく揺らすな。お前の上に吐くかも知れない」
鐙に足を掛けて言うと、逞しい体は静かに走り始めた。こういう時、人間の言葉を理解しているのではないかと思う。
リズミカルな心地好い振動を感じながら、屋敷のある方角を見つめる。今はとにかく、ベッドで横になりたかった。
◇◇◇
重い頭を持ち上げ、サイドテーブルのグラスに手を伸ばす。中の赤い液体はヤスミーが注いでくれたワインだ。洗濯物を取りに来た時に置いて行った。食欲がない日の朝はいつもこれを飲む。ベッドから降りながら、ゴクリと一息に飲み干した。
一晩眠り、頭痛は治まったようだ。が、言い様のない倦怠感が残っている。昨日は様々な事が起こり過ぎた。今日からまた軍に戻るというのに、外に出る気になれない。
緩慢な動作で着替えを済ませ、腰に軍刀を提げる。この重みを感じれば気も変わるかと思ったが、そうでもないらしい。もう一度ベッドに体を沈める。やはり、軍に戻る事は素直に喜べなかった。
『二度と元の地位には戻れない』
酒場でバルトリスに言われた言葉が甦る。今度の肩書は第1部隊隊長。最前線での戦闘の担当である。二度と総督直属の総指揮官を務める事はない。この身分で軍全体の立て直しは不可能だ。折角の改革もここで打ち止めになる。
更に、“皇后補佐”というおまけまで付いて来てしまった。
ルバルア帝国では皇后の補佐は本妻以外の妻が行う事になっている。つまり、皇妃だ。あの皇后となる少女を見る限り、この立ち位置がどれ程厄介かは想像するに及ばない。
──せめて指揮官に戻れれば……
考えても仕方のない事を考えてしまう。仮定は意味を成さないとよく知っているはずだというのに。
何度目かのため息をついた時、ノックもせずに扉が開かれた。
「ラヴォル指揮官──!」
息を切らして飛び込んで来たのは、ニキビ面の若い兵。随分と汚れた格好をしている。早朝訓練にしては血と汗の臭いが酷い。
「ノックぐらいしろ。それから、俺は第1部隊隊長だ」
体を起こし、ベッドに腰掛けた状態で叱責する。鬼気迫る表情に嫌な予感がした。
「し、失礼しました! ラヴォル指揮か──第1隊長、前線の軍が……第2部隊が、壊滅しました──!!」
「何……!?」
馬鹿な。
耳を疑った。
第1部隊に出陣命令は出されていない。
「戦はまだ始まっていないはずだ! どうなってる!!」
怒鳴りつけると、ニキビ面は萎縮したように答えた。
「わ、わかりません……その、明け方に、突然我々に出陣命令が出まして……敵と正面衝突して……」
「明け方に出陣してもう壊滅したのか……!」
一体どんな戦い方をすればそうなるのだ。呆れてものも言えない。
「その他の部隊は」
「第1部隊と第7特別編成部隊を除き……ぜ、全軍出陣しました……」
「除いてだと……!?」
第1部隊は前線で活躍する精鋭。第7特別編成部隊は様々な戦闘に対応出来るように特殊訓練を積んだエリート集団。いわば戦闘のエキスパートである。特に第7部隊はリューシが改革の一環として設けたものだ。彼ら無しでの正面衝突は自殺行為に等しい。
「指揮官は誰だ!」
「ミリス総督が、指揮を……」
ダンクェン・ミリス総督。昨日の会議にも出席していた、小太りの中年男。あれはコネでその地位に収まっているだけだ。戦闘に関しては素人同然。自ら実戦に出たのは数える程である。それ故、皇帝は“総指揮官”というポストを新たに作り、軍の管理と指揮は全てリューシに任されていた。
それが、軍を指揮する? 出来るはずがない。
「総督はどこに居られる」
「只今第3部隊が最前線になっておりまして……その後方の第4部隊で指揮されています」
「第5、第6は」
「待機したままですので、そちらは損害を受けていないかと……」
チッと低く舌打ちする。
精鋭部隊不在の上に、防御が主である第3部隊が前線。最悪だ。陣形もろくに組めないのか。
「よくもまあ、こう次々と……」
まったく、昨日から何だというのだ。
うんざりしながら脳内で戦闘を組み立て、手短に指示する。
「直ちに第1と第7が向かう。第3は撤退、第4は我々の到着次第後方の防御。第5、第6は左右から敵を抑えろ──一言一句違わず伝えるんだ。いいな」
「しかし、総督を通さず勝手に命令しては……」
尻込みする兵にギロリと視線を向けた。ニキビ面が強張る。
「構わん。俺が責任を持つ。行け」
「で、ですが……」
「さっさと行けと言っている」
言葉に凄みを持たせれば、彼は弾かれたように部屋を飛び出した。
「黒髪の女だ……」
「黒髪はリューシ様だけのはずじゃ……!?」
男──リューシはざわめく民衆には目もくれず、一心不乱に馬を駆けさせていた。
受け止めた以上、はいさようならというわけにもいかない。第一、黒髪の少女とあれば、あのまま放っておくととんでもない騒ぎになる。治安の維持を考え、とりあえず宮殿に連れて行く事にした。それはそれで騒ぎになるが、やむを得ない。
しかし、リューシはこの選択を早くも後悔し始めていた。
「ねぇ、どこに行くの? ここはどこ? あなた誰? あたし、どうすればいいの?」
喧しく背中に質問を浴びせかけて来るのだ。先程からずっとこの状態である。始めこそ「ああ」と適当に返事をしていたが、全速力で馬を走らせている中ではそれすらも煩わしくなった。途中からは一言も喋っていない。
やはり放置すべきだったのだろうか。今考えれば、あの草原に人が来る事は滅多にない。野垂れ死ねば誰にも発見されなかったかもしれない。
我ながらとんでもない考えが頭を過った時、少女が声を上げた。
「わぁ……! 何ここ……お城……!?」
目の前に現れた豪華絢爛な建造物に目を輝かせているのが振り返らずともわかる。
「我がルバルア帝国の宮殿だ。中での言動は慎んでくれ」
この調子で大臣達にまで絡まれては面倒だ。
「ルバルア……帝国……?」
少女が首を傾げる。
知らなくて当然だ。彼女はこの世界の者ではない。姿を見れば直ぐにわかる。彼女が身に付けているのは、いわゆるセーラー服というもの。そしてこの黒髪。明らかに日本人である。しかし、なぜこの少女が空から降って来たのか。
「やっぱり……ここ、日本じゃないんだ……」
小さく少女が呟いた。
「どの人もみんな日本人っぽくないし……ねぇ、あなたは日本人じゃないの?」
「俺は生まれも育ちもルバルアだ」
「うそぉ……」
嘘は言っていない。前世では日本人だったが、転生した今は立派なルバルア人だ。
この少女に転生者である事を話すとややこしい。直感的にそう思った。
「そろそろ黙ってくれ。宮殿に入る」
門番に合図を送ると、仰々しい門が音を立てて開かれた。その中心へ馬を進める。
「すっごぉい! ね、あなたがこの国の王様なの?」
正しくは“王様”ではなく“皇帝”だと心の中で訂正する。皇帝は王よりも上位で、別物だ。
「そんなわけないだろう。黙ってくれと言ったのが聞こえなかったか」
思った事を考えもせずに次々口に出すなという台詞を呑み込み、代わりに硬い口調で言う。そろそろ本当に黙って欲しい。
厩舎の前で鞍から降り、手を差し出す。
「降りろ」
「あ……はい」
少女は殆どリューシの手に縋り付くようにして馬から降りた。
「こんなエスコートみたいなの、された事ないから照れちゃうな」
そんなつもりはない。ただ、怪我をした時の治療の手間を省いただけだ。えへへ、と笑う彼女に親近感は抱けなかった。
厩舎の中に青馬を入れ、少女に「付いて来い」と声を掛ける。慌ててパタパタと駆けて来る音だけを確認し、そのまま早足に歩く。
人目に付かないよう、いつもとは違う道順で国防大臣の執務室へ向かう。使用人達もあまり使っていない通路だ。
今のところ、少女は黙って付いて来ている。
4つ目の角を曲がると、それなりの装飾が施された扉が見えた。その前で少女に釘を刺す。
「俺がいいと言うまで喋るな」
答えを待たず、扉をノックする。直ぐに「入れ」と応答があった。
「失礼します」
立派な椅子に腰掛けているカイゼル髭の男に敬礼する。 国防大臣のアルヴァン・フンクル。彼はリューシの後に付いて入って来た少女を見、ぎょっとした表情を浮かべた。
「ラヴォル指揮官……その少女は……」
どう報告すべきか。一瞬迷うが、ありのままの事実を伝える。
「空から墜落して来たところを保護しました。それから、私はもう指揮官ではありません」
「空から……!? どういう事だ」
「わかりません」
「何という事だ……」と大臣が呻いた。額に手を当て、考え込む。長いの沈黙の後、彼は指示を出した。
「緊急会議を開く。全大臣、神官、それに総督……とにかく全員だ! 至急集めろ!」
「は。……この少女はどうしますか」
「会議に出す。どこか空いている部屋で待たせておけ。出入口には監視を付けろ。会議まで絶対に部屋から出すな!」
「は、直ぐに取り掛かります」
敬礼し、ただならぬ雰囲気に怯えた様子の少女を連れて出る。
「ね、ねぇ……あたし、どうなっちゃうの?」
自分に縋る少女にちらりと視線を落とす。見知らぬ土地で見知らぬ大人に閉じ込めろと言われ、さぞかし不安だろう。が、同情してどうこうなるものでもない。リューシは冷淡に言い放った。
「知らん。俺が決める事じゃない」
少女の大きな瞳が揺れる。うっすらと涙まで浮かべているらしい。優しい言葉を期待していたのに、裏切られた。そんな表情。
──面倒な……
「安心しろ。殺されはしない」
言ってみるが、余計に怯え出す少女にため息が漏れた。
いくら自分に希望のある言葉を求めたところで、それは気休めに過ぎない。今も「殺されはしない」と言ったが、決定権は自分にないのだ。保証は出来ない。一時的な安心に縋るのは愚かだ。
「部屋に案内する。来い」
服の裾を掴む手を外し、真っ直ぐに通路を進む。
なぜか、得体の知れない胸騒ぎを覚えた。
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緊急会議には、リューシも出席する事になった。少女の第一発見者、という事らしい。
彼女の姿を目にした幹部と神官は騒然としたが、リューシはそこでの議題に唖然とした。
『本当の次期皇后はこの少女ではないか』
それが会議の内容だった。
「──つまり、我々の解釈が誤っていたと?」
大神官がしゃがれた声で言う。25年前の神託を受けたのは彼であった。その老人に、国防大臣が如何にも、と頷く。
「確かに、今回の神託が、我々が誤った人物を皇太子殿下の后にしようとした為に早められたものだとしたら、辻褄は合う」
「なるほど……それならば、突然神が皇后の条件を『軍人ではない』と提示されたのにも納得出来ますな」
他の大臣達が賛成の意を示し、彼はそうだろうという風に集まった面々を見回した。
当事者である自分の目の前で、定められていたはずの運命が覆されてゆく。言葉も出なかった。
「──では、この少女が殿下の后になるという事で宜しいですな。反対の者は挙手を」
今回の議長である国防大臣が議決しようとしたその時、1人が手を挙げた。
「ちょっと待ってよ!! 神託とか皇后とか、何の事!? 意味わかんないんだけど!?」
隣で立ち上がっている少女に目眩がする。だから言動を慎めと言ったのに。せめて、口調だけでも改めてくれればまだよかった。
「あなたは神が遣わせし黒髪の乙女だ。あなたこそが皇后となるべきなのです」
少女に向かって国防大臣が宥めるように言う。
アナタコソガコウゴウトナルベキナノデス
ぐるぐると言葉が頭の中を駆け巡る。耐え難い吐き気に呼吸するのもままならない。それを他所に、会議は着実に進んでゆく。
「それでは、もう1人の黒髪はどうする」
「皇后の補佐にすれば宜しい」
「なるほど」
「では、除隊の件は」
「それは再入隊でよかろう」
「よし、決まりましたな。それで宜しいな、ラヴォル指揮官──おっと、もう指揮官ではなかったな」
何も答えないリューシにそれ以上の確認は取らず、国防大臣は満足気に頷いた。お前に拒否権はない。そういう事だ。
「では、全員賛成で議決する。解散」
ぞろぞろと幹部達が会議室を出る。少女は婚儀の相談をするからと大臣達に連れて行かれた。あまりにも呆気なかった。
残されたリューシは呆然と虚空を見つめる。
──あの女が、皇后?
では、自分の24年間は何だったのだ。強制的に次期皇后としての教育を受けさせられ、あらゆる人間から「Ω風情が」と侮蔑の眼差しを向けられ続けた24年間は──
ふらつく脚で立ち上がり、がらんどうになった会議室を後にする。
──頭が痛い。
ずきずきと痛む頭を右手で押さえ、壁伝いに歩く。未だ込み上げる嘔吐感を誤魔化しながら、青馬が待つ厩舎に急いだ。
すれ違う人という人が囁き合う。本物の皇后様が現れた、と。やっぱりΩの皇后は偽物だったのだと。
好奇の目に晒されている。来た時と同じ通路を通ればよかった。近さを優先した事を今更ながらに後悔する。纏わり付いて来る視線はフォンド男爵の煙草の煙のようで、余計に不快感が募った。早くこの空間から脱け出したい。ここまで他人の視線を嫌悪したのは初めてだった。
厩舎に辿り着くと、青馬が鼻先を擦り付けて来た。戦場では荒々しい彼の瞳に心配そうな色が浮かんでいる。今までに多くの馬に乗ったが、この馬は歴代のどのパートナーよりも早く主の異変に気付く。
「なるべく揺らすな。お前の上に吐くかも知れない」
鐙に足を掛けて言うと、逞しい体は静かに走り始めた。こういう時、人間の言葉を理解しているのではないかと思う。
リズミカルな心地好い振動を感じながら、屋敷のある方角を見つめる。今はとにかく、ベッドで横になりたかった。
◇◇◇
重い頭を持ち上げ、サイドテーブルのグラスに手を伸ばす。中の赤い液体はヤスミーが注いでくれたワインだ。洗濯物を取りに来た時に置いて行った。食欲がない日の朝はいつもこれを飲む。ベッドから降りながら、ゴクリと一息に飲み干した。
一晩眠り、頭痛は治まったようだ。が、言い様のない倦怠感が残っている。昨日は様々な事が起こり過ぎた。今日からまた軍に戻るというのに、外に出る気になれない。
緩慢な動作で着替えを済ませ、腰に軍刀を提げる。この重みを感じれば気も変わるかと思ったが、そうでもないらしい。もう一度ベッドに体を沈める。やはり、軍に戻る事は素直に喜べなかった。
『二度と元の地位には戻れない』
酒場でバルトリスに言われた言葉が甦る。今度の肩書は第1部隊隊長。最前線での戦闘の担当である。二度と総督直属の総指揮官を務める事はない。この身分で軍全体の立て直しは不可能だ。折角の改革もここで打ち止めになる。
更に、“皇后補佐”というおまけまで付いて来てしまった。
ルバルア帝国では皇后の補佐は本妻以外の妻が行う事になっている。つまり、皇妃だ。あの皇后となる少女を見る限り、この立ち位置がどれ程厄介かは想像するに及ばない。
──せめて指揮官に戻れれば……
考えても仕方のない事を考えてしまう。仮定は意味を成さないとよく知っているはずだというのに。
何度目かのため息をついた時、ノックもせずに扉が開かれた。
「ラヴォル指揮官──!」
息を切らして飛び込んで来たのは、ニキビ面の若い兵。随分と汚れた格好をしている。早朝訓練にしては血と汗の臭いが酷い。
「ノックぐらいしろ。それから、俺は第1部隊隊長だ」
体を起こし、ベッドに腰掛けた状態で叱責する。鬼気迫る表情に嫌な予感がした。
「し、失礼しました! ラヴォル指揮か──第1隊長、前線の軍が……第2部隊が、壊滅しました──!!」
「何……!?」
馬鹿な。
耳を疑った。
第1部隊に出陣命令は出されていない。
「戦はまだ始まっていないはずだ! どうなってる!!」
怒鳴りつけると、ニキビ面は萎縮したように答えた。
「わ、わかりません……その、明け方に、突然我々に出陣命令が出まして……敵と正面衝突して……」
「明け方に出陣してもう壊滅したのか……!」
一体どんな戦い方をすればそうなるのだ。呆れてものも言えない。
「その他の部隊は」
「第1部隊と第7特別編成部隊を除き……ぜ、全軍出陣しました……」
「除いてだと……!?」
第1部隊は前線で活躍する精鋭。第7特別編成部隊は様々な戦闘に対応出来るように特殊訓練を積んだエリート集団。いわば戦闘のエキスパートである。特に第7部隊はリューシが改革の一環として設けたものだ。彼ら無しでの正面衝突は自殺行為に等しい。
「指揮官は誰だ!」
「ミリス総督が、指揮を……」
ダンクェン・ミリス総督。昨日の会議にも出席していた、小太りの中年男。あれはコネでその地位に収まっているだけだ。戦闘に関しては素人同然。自ら実戦に出たのは数える程である。それ故、皇帝は“総指揮官”というポストを新たに作り、軍の管理と指揮は全てリューシに任されていた。
それが、軍を指揮する? 出来るはずがない。
「総督はどこに居られる」
「只今第3部隊が最前線になっておりまして……その後方の第4部隊で指揮されています」
「第5、第6は」
「待機したままですので、そちらは損害を受けていないかと……」
チッと低く舌打ちする。
精鋭部隊不在の上に、防御が主である第3部隊が前線。最悪だ。陣形もろくに組めないのか。
「よくもまあ、こう次々と……」
まったく、昨日から何だというのだ。
うんざりしながら脳内で戦闘を組み立て、手短に指示する。
「直ちに第1と第7が向かう。第3は撤退、第4は我々の到着次第後方の防御。第5、第6は左右から敵を抑えろ──一言一句違わず伝えるんだ。いいな」
「しかし、総督を通さず勝手に命令しては……」
尻込みする兵にギロリと視線を向けた。ニキビ面が強張る。
「構わん。俺が責任を持つ。行け」
「で、ですが……」
「さっさと行けと言っている」
言葉に凄みを持たせれば、彼は弾かれたように部屋を飛び出した。
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