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修羅編 二章:修羅の鍛錬
枯れ木の力
しおりを挟む師である武玄に連れられ京の都に築かれた後宮の一室に訪れたケイルは、最古の七大聖人である『茶』のナニガシと出会う。
互いが互いに『赤』と『茶』である事を右手の甲に宿す聖紋の共鳴から感じ察した二人は視線を交え、互いの名を告げた。
ナニガシは酒瓶から注いだ清酒の盃に口を付け、顎を上げながら一飲みにする。
それを見ていたケイルは、自身の額に汗が流れることを自覚していた。
ナニガシの姿は、明らかに百歳を超えている老人に見える。
着物から見える胸板は皺が浮き出て薄く感じ、隻腕の右腕は枯れ木のように心許なく感じる程に細く、骨に皮が張り付いてるだけに見えてしまう。
聖人の容姿は、五年に一度ずつ歳を重ねていく。
ナニガシは七百年前から七大聖人を務めている事が人間大陸の中で伝えられており、それが事実ならば既に一線から身を退いていてもおかしくは無い状態だった。
それを耳にし考えていたケイルだったが、本人を目の前にして改めて思う。
今まで出会ったどの強敵よりも、ナニガシから感じる強者の圧が凄まじいことを。
「――……畏まらずともよい」
「!」
「新参とはいえ、同じ七大聖人の誼み。……どうじゃ? お主《ぬし》も一杯」
「……」
ナニガシはそう告げ、傍らに置いていたもう一つの盃を自身の横に置く。
そして隣を勧めるように手を揺らして誘うと、ケイルは緊張しながらも頷き応じた。
武玄の隣から歩み出たケイルは、ナニガシが座る縁側の床に近付く。
酒瓶と盃を挟む形でケイルは慎ましく座り、ナニガシと向かい合いながら対面した。
二人は間近に顔を見つめ、鋭い視線を交え合う。
額と手の平から冷や汗が流れ出ている事を自覚しているケイルに対して、ナニガシは深い皺を刻んだ顔に余裕を持った笑みを浮かべた。
「なるほど、修羅場は潜っておる。……しかし、それだけよな」
「……!」
「まぁ、一杯」
ナニガシはそう告げ、右手でケイルに盃を差し出す。
それをケイルは両手で受け取ると、酒瓶を持ったナニガシがその盃に清酒を注ごうとした。
その瞬間、ナニガシは思い出したようにケイルに尋ねる。
「誘っておいてなんだが、酒は?」
「飲めます」
「ならば良し。……こうして酒を飲み交わし話す場が、今の儂が好む所だ」
清酒を盃に注ぎ終えたナニガシは、酒瓶を縁側の床に置く。
そしてケイルは盃を両手に持ったまま口に運び、喉を鳴らして飲み始めた。
笑みを浮かべながらそれを見ているナニガシは、自分の盃にも清酒を注ぐ。
そして酒を飲み交わした後に、酒の抜けた盃を床に置いて再び視線を交えながら話を始めた。
「――……軽流と申したか。お主がこの国に来とるのは、三日前くらいから知っておった」
「!」
「聞けば、武玄の直弟子とか。どこぞの子供を拾うて鍛えておったとは聞いていたが、それが『赤』の血を引く者で、しかも新たな『赤』になるとは。面白き世の巡りよな」
「……師匠は、私が『赤』の七大聖人であることを知っていたのですね」
「お主、少し前まで罪人として追われておったであろう? この国にもその報が持ち込まれたのだが、武玄が他の流派の者達から騒ぎ立てられていてな」
「え……?」
「……」
「武玄が珍しく激怒し刀まで抜こうとしておったので、儂が場を治め事の経緯を聞いた。すると人相書きの一人が武玄の拾った子供なのではないかと、他の者達が問い立てに来たそうだ。そして弟子に咎人が出たのならば、師として引導を渡すのが責だと煽ったという」
「……師匠」
ケイルは視線を横に向け、武玄の方を見る。
武玄は不貞腐れた表情を浮かべながら顔を逸らし、ケイルと視線を合わせなかった。
そんな武玄の顔を見たナニガシは笑いを浮かべ、新たに盃に再び酒を注ぎ始める。
「カッカッカッ。……ただ儂も、お主を見た事があった。皇国と通じた際に、お主が団長殿と話しておるのをな」
「……そういえば、あの時……」
ケイルは改めて、その時の事を思い出す。
皇国で『黄』の七大聖人ミネルヴァが強襲し捕らえた際、『黒』の提案で魔道具の映像越しに『茶』のナニガシと連絡を試みた。
それに応じたナニガシは現状を聞き、アズマ国が皇国に助力する事を伝える。
その交渉の場に居たケイルの顔を、ナニガシに覚えていた。
更に古い付き合いである『黒』と共に居た事から、今の『黒』と同行している面子だとナニガシは察する。
「あの時、多少は事情を聞いておったのでな。しかも罪人の中に、団長殿と思しき子の人相書きもあった。お主達を罪人として仕立て上げ、何かを目論む者がいる事はすぐに察した」
「……」
「しかも数月後には、お主が新たな『赤』となった。ならばお主を罪人として蔑むは、同じ七大聖人である儂を愚弄する事に等しい。……お主にも武玄にも、この国の者が何かを強いる事は無い。安心せい」
「……ありがとうございます」
ナニガシが師である武玄を擁護してくれていた事を知ったケイルは、改めて感謝し頭を下げる。
それを頷き受け取った後、ナニガシは酒瓶を持ち盃に酒を注ごうとしたが、数滴の雫が落ちるだけになってしまった。
ナニガシは盃に落ちた分だけ飲み干した後、酒瓶を持って武玄に投げ放つ。
それを受け止めた武玄に対して、ナニガシは不敵に微笑みながら声を向けた。
「武玄、酒を持って来い」
「親父殿、何瓶目だ? 飲み過ぎであろうに」
「何を言う? この程度、雀の涙にも足らんわ」
ナニガシの言葉に武玄は呆れた息を漏らし、仕方なく酒瓶を持って部屋から出て行く。
それを見送った後に庭を眺めるナニガシは、紅葉の葉が落ちる池を見ながらケイルに話し掛けた。
「――……時に、お主は『赤』になって間もないであろう。何故この国に?」
「……故あって、我が師に再び鍛錬を御願いしたく」
「ほう? ならば何故、儂の下に来た?」
「師には、自身の未熟を知り更なる力を得たいと伝えました。そして、貴方に会う事を勧めていただきました」
「なるほど。そういう話であれば、確かに武玄よりも儂の方が良いだろうな」
「と、言うと……?」
「武玄は確かに強い。師としても十分であろう。……しかし、まだまだ未熟というもの」
「!」
「お主の師として剣を向ける事は出来たとしても、死を決する剣を向けられぬ。……その甘さがある限り、お主の求めるモノは武玄には与えられぬであろうな」
「それは……」
「お主に儂と会わせた理由は、ただ一つ。……死すら厭わぬ戦を経験させる為。修羅場を超えただけのお主に、圧倒的な強者と相対させる実戦を味合わせる為であろうとも」
「!」
ナニガシはそう述べ、縁側に降ろしていた腰を上げて立ち上がる。
すると縁側の下に置いていた具足を両足に付け、緩やかな動きをしながら庭に出て行った。
そしてそこそこの広さを持つ場所まで歩み進むと、縁側に残るケイルに向けて手招きをする。
「――……まずは、お主の力を見てやろう」
「え……」
「全て言わねば分からぬほど、間抜けでもあるまい?」
「……分かりました」
ケイルはその招きに応じる形で立ち上がり、庭先に歩み出る。
そして向かい合う形で二人は身体を向け合い、先にケイルが左腰に携えた赤い魔剣の柄に右手を翳した。
その時にケイルは初めて、相手が何も持たない丸腰の状態であったことに気付く。
そして訝し気な目を向けながら、ケイルはナニガシに尋ねた。
「……剣を、取りに行かないんですか?」
「必要か?」
「!?」
「刀が無ければ立ち合えぬ程、耄碌してはおらん。……言ったであろう? お主の力を見るだけだ」
「……」
「もしそれを理由に、剣を向けられぬのなら。……ほれ、この枝が刀の代わりだ」
「……ッ」
ナニガシは足元に落ちていた人差し指程の長さしかない枯れた小枝を拾い、それを右手に揺らし持つ。
流石に舐められていると分かったケイルは、僅かに憤りを見せながら腰を深く落とした。
悠然とした面持ちで出方を窺うナニガシに対して、ケイルは万全の構えを見せながら僅かな静寂が流れる。
そして池に棲む鯉が水飛沫を上げる音が鳴った時、それに合わせてケイルが動き出した。
「――……裏の型、『鳴雷一閃』ッ!!」
ケイルは瞬時に脚に気力を纏わせ、土煙を起こしながら凄まじい速度で駆け跳ぶ。
更にその勢いのまま抜刀し、ナニガシの胴体を薙ぎ斬らんばかりに赤い魔剣を振った。
しかし次の瞬間、ケイルの突進と刃は完全に受け止められる。
それは信じられない事に、ナニガシが無造作に動かし振った小枝の一振りだけで制止させられていた。
「――……なにっ!?」
「……筋は良し。しかし――……」
「ッ!!」
「――……純粋よな」
ケイルは木の枝一本で止められた事実に驚愕させられながらも、悪寒を感じ跳び下がる。
それを追うわけでもなく、ナニガシは跳び退くケイルに向けて小枝を摘まむ右手を無造作に振った。
その瞬間、ケイルは鳥肌を立たせて左肩から袈裟懸けに自身の身体が斬られた感覚を味わう。
息すらも止まるその衝撃と傷みにケイルは驚愕し、着地すらできずに身体を転がしながら地面に伏した。
それから数秒後、ケイルは息を乱しながら顔を上げる。
そして右手で上半身を起こし、斬られた左肩から胸部分をなぞるように触れた。
「……っ!?」
「斬られた、と思うたか?」
「!」
「斬ってはおらんよ」
「な……っ!?」
ケイルは左肩と胸部分に触れた右手を見ながら、そこに血が流れていない事を確認する。
そして視線を落として斬られたと思った部分を見ると、自分が考えていたような深い切り傷は存在しなかった。
しかし身に付けている防具と外套が僅かに薙いだ跡が残り、一閃された痕跡が見える。
完全に小枝の距離から離れていたことを考え、ケイルは自分が何をされたかを推測しながら呟いた。
「……まさか、裏の型『一閃』……!?」
「違う」
「!」
「単に、薙いだ枝で風を飛ばしたに過ぎん」
「風……!?」
「ほれ、立て。……お主の力、全て見せてみよ」
「……ッ!!」
ナニガシはそう述べ、ケイルが起き上がるのを待つ。
それに驚愕しながらも身体を起こしたケイルは、今度は右腰にも下げている赤い小剣を左手で抜き、二刀流の構えとなった。
それから幾度も、ケイルはナニガシに挑み掛かる。
しかし一度として剣の刃はナニガシに届かず、逆に枝から放たれる剣圧のみが幾度もケイルを斬り付け、その膝を幾度も地面に着けさせる事になった。
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