鏡の精霊と灰の魔法使いの邂逅譚

日村透

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友との再会

39. 王子、出発する

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 たった数日間であろうと、王子の外泊に護衛がわずか二人など許容できぬと方々ほうぼうから食い下がられ、粘りに粘った結果として近衛が三名、文官が一名同行することになった。

「はぁ……疲れた。だが、ここまで削れたのだから上々だ」
「お疲れ様です。本当にしつこかったですね……」

 予想していたとはいえ、朝から晩まで「もっと人を増やせ」とあちこちから猛攻をかけられ、ジュール王子は父王の日頃の苦労がしのばれた。侍従も料理人も馬の世話係も不要と押しきり、ギリギリの人数に抑えることは成功したものの、彼の中に達成感はない。
 王子に一任すると父王が念を押し、代理人の体裁を整える書状も用意してくれたのに、それを真っ向から無視してかかる連中の如何に多いことか。要は、ジュール王子をただの若造と舐めてかかっているのだ。

「ジスラン。おまえも―――いや、そなたの家はうるさくなかったか」
「私は兄がおりますので、気楽なものでした」

 徐々に言葉遣いをあらためている『友人』のうっかりに聞こえなかったふりをして、ジスランは肩をすくめた。
 「御身のためにございます」と言いながら、余計な手出し口出しをする輩は後を絶たず、それを徹底的に排除することがジュールの望みだとジスランは心得ている。無謀な若者の蛮勇を案じ、大人が手を回したくなるのは理解できなくもないが、残念ながらそういうまともな理由で干渉してくる大人の割合は、小鳥の涙ほどに少ないのが実情だった。

 ジュール王子に兄弟はいない。前々から国王夫妻に二人目を作れとせっついていた者は、最近では「側妃を娶れ」に手を変えてきた。王子がたった一人だけでは不安だというのが彼らの言い分である。
 そして、王子が二人いる時の弊害をガーランドに思い知らせたのも彼らだった。そのようなこともすっかり忘れて、王子と変わらぬ年頃の娘や孫を堂々と推薦しようとするのだから呆れたものだ。
 ジスランも兄や父からその頃の話をよく聞いている。ガーランド国王には、かつて兄がいた。ガーランドは兄を慕っていたのに、周囲が勝手に派閥を作って争い始めた。兄王子は疑心暗鬼に陥り、にそそのかされて弟王子を亡き者にしようと画策、身を守るためにガーランドは動かざるを得なくなった。
 酒色にふけって自滅した兄王子が廃嫡されるまでの間、不審な死を遂げた者の数は、判明しているだけでも二けたを下らない。

 王子が一人しかいない現状は、確かに万一のリスクが高かった。けれどガーランドは決めているのだ。あの時、自分達兄弟の仲を裂いた者どもが生きている間は、二人目を作らないと。

(父上の次の子に期待する分だけ、私は扱いにくいとされてはいるのだろうな)

 弟妹がいない分、ジュール王子の妃の座は価値が上がる一方であり、競争に勝てる自信のない者が現王の側妃に色気を出している面もある。さらに言えばジュール王子に婚約者の候補すらいないのは、この熾烈な争いを勝ち抜き、その後も無事でいられそうな令嬢が現時点で見あたらないからだ。

(私、結婚できるのかな……しなければまずいのだが、相手の女性にも苦労を強いるのは確実だし。……いや、まだ十七歳だ。希望を捨てるのは早い)

 護衛に選んだ近衛隊長の名はパッシオ、部下の騎士はフィデリタスとアキエス。この三名は身辺に問題がなく、背後に余計なものが付いていない。
 逆に、目付け役という謎の役割を与えられた文官のモレス、この男は精霊獲得に積極的な右派が押し付けてきた。せっかく護衛を三人に増やしても、一人はこの男の見張りに割かれることになるなとジュールは嘆息した。



 ジュール王子とジスランを乗せた王家の馬車が先行し、文官のモレスは後方の馬車で付いてくる。大勢の騎馬が周囲をかため、華々しい一行に民衆が熱狂する。
 道の両脇に押し寄せて商売に励むたくましい人々もいるが、進行方向だけは決して塞がない。そんな真似をすれば一発で牢屋行きになるからだ。歩みはのろくともスムーズに馬車は進み、やがて人も建物もまばらになって、北の森の入り口が見えてきた頃に一行は止まった。

 馬車から降りた王子とジスランを三名の近衛が囲み、文官モレスが傍に立つ。その背後で威圧するように騎馬が並んだ。

「……あちらの迎えは遅れているようですね」
「ジスランは北の森へゆくのは初めてだったか?」
「はい」
「彼らはこちらの様子を確認してから現われる。先に着いていることはほとんどない」
「そうなのですか」
「殿下が危険をご承知の上で直々に足を運ばれたというのに、このような恐ろしい場所でお待たせするとはなんと不敬な」

 雑音が聞こえた。モレスだ。会話に割り込んでいい許可など与えていないのに、何故自分は不敬を許されると思っているのだろうか。
 ジュールは近衛隊長に声をかけた。

「パッシオ。モレスはどうやら繊細で臆病な性質たちらしい。怯えるあまりに舌を噛んではならぬから、一人彼の護衛につけてやってくれ」
「はっ」
「なっ、わ、わたくしはっ」

 ジュールの命令を意訳すれば「こいつが余計なことを口走りそうになれば黙らせろ」だ。有能な近衛隊長は正しく聞き取り、モレスの反論を右から左へ流してアキエスに護衛を命じた。

「殿下はあの森に入ったことがおありなのですね?」
「まあな」

 ジスランの問いにジュールは頷く。ジュール王子以外、北の森の内部まで足を踏み入れた経験のある者はこの場にはおらず、みな密かに聞き耳を立てた。

「幼い頃に誘拐されてな。ヴェリタスに助けられ、しばらく奴の館にかくまってもらったことがある」
「そのようなことが!?」
「ああ。……そら、来たようだぞ」

 ぴしりと並んでいた騎馬の線が崩れた。動揺して下がろうとする馬を、騎士達がなだめている。
 大樹の幹の間からにゅ、と顔を出したのは、遠近感の狂いそうな巨大な犬だ。モレスが「ひっ!?」と青ざめ、つくづくこの者は何故ついて来たのだとジュールは嘆息した。
 街道は森のずっと手前で途切れており、除雪はされていない。その上を馬ほどもある犬が雪車そりきながら、悠々と歩いてくる。さすがのジスランも表情が強張り、近衛騎士達の纏う空気が張り詰めた。
 が―――

「うおおーい、お待たせいたしやした! 王子サンの御一行で間違いねぇですかい!?」
「ああ、久しいな。そなたは確かタッド、相棒の名はアルフィだったか?」
「そうでやすよ! ―――あんれぇ? 王子サン、でっかくなりやしたね!? 前はこぉーんなちっこかったのに」
「はは、もうすぐ十八だからな」

 雪車そりの上からブンブン手を振る粗野な男と王子が親しげに話し始め、全員が呆気にとられた。

「六名なのだが、乗れそうか?」
「六名? そいつぁ荷物の量によりますねえ」
「極力減らしはしたのだが。あれらがそうだ」
「んー、多いでやすねぇ。それか一人降りてもらうか」
「というわけでモレス、そなたが降りよ」
「なっ!? ご冗談を、わたくしはあなた様をお守りし彼奴きゃつらの―――むがっ」
「降りるのは嫌か。ならば余分な荷を置いてゆくがいい」

 さっそくアキエスがいい仕事をして、モレスの決定的な失言は回避できた。ジュールはこの文官をここに捨てて行きたくなったが、とんぼ返りをさせたらどんな嘘八百を広められるかわからない面倒くささを感じる。

「たやすい話だ、モレス殿。貴殿の荷と、殿下のお荷物を見比べられよ」
「うぐ……」

 近衛隊長が冷ややかに指摘した。モレスが己の従者に命じて用意させた荷は、ジュール王子より遥かに多かった。自分が持てるだけの大きさの鞄をひとつ、そう命じられたにもかかわらず、一般的な貴族の旅行支度をしていたのだ。
 いざ迎えが来れば、のらりくらりと理由をつけて押し通す腹づもりだったのだろう。まさか王子の迎えによこされる乗り物が魔犬の雪車そり、しかも一台しか来ないとはとんだ想定外に違いなかった。
 誰が見ても王子を舐めているのは明白な大荷物に、モレスの擁護をする者はいない。自分の旗色が悪いと察し、モレスは悔しそうに顔を歪め、最低限の着替えが入っている鞄のみを従者に選ばせた。―――何がどこに入っているか把握していない。どうやら使用人も強引に連れて行く腹積もりだったようだ。

(やれやれ。……せいぜいヴェリタスにもらうがいい)

 王子のブーツは深い雪の上を歩ける仕様にはなっていない。タッドが新雪の上に足場用の板を敷き、ジュールは平然とその上を通って、雪の上の舟に乗り込む。
 戸惑いながらジスランと近衛騎士の三名が続き、各々の荷を積んで、タッドはその荷が落ちないように縄で固定した。


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