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一章

〈28〉モブのはずが、小公爵様とデートに来ています(3)

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 ロベリアははっとし、彼の顔を見た。驚くほど冷静で、真剣な様子で彼が続ける。

「君といると、本来の自分でいられる。初めは、自由奔放な君に振り回されることがただ楽しかったんだ。けれど、君の読めない心に調子が狂うようになって……。戸惑えば戸惑うほど、君に対する愛情に気づかされたんだ」
「……ユーリ様……」
「こんなに誰にも渡したくないと思ったのは、初めてなんだ。隠していられないほどに。たぶん僕は今……君にとても――恋焦がれてる」
「…………!」
「ロベリアは、僕のことをどう思っているんだ?」

 ロベリアは言葉を失った。なんとなく、彼の好意には薄々気づいていたものの、まさかこんなにすぐに、告げられることになるとは思いもしなかった。そもそも、ユーリ・ローズブレイドに自分が恋をされる展開など予想外だ。

「わ、私は…………」

 同情と義理でユーリを救うことを一念発起し、彼に近づいた。実際に関わってみると、彼はロベリアにとって波長が合う人だった。関われば関わるほど、失いたくないと思うようになった。――守りたいという思いが強くなった。

 こういう気持ちを、世間ではきっと――。

「私は――」

 鼓動が波打つ。緊張でいっぱいになり、喉の奥が乾く。彼は沈黙して、ロベリアの言葉を待っていた。いつ見ても息を飲むほど美しい深碧の瞳が、こちらを見据えている。

「私も、ユーリ様のことが好きです。……とても」
「……!」

 そのとき、彼の瞳が大きく見開かれた。そして、子どものようなくしゃっとした無邪気な笑みを浮かべる。

「そっか。……そうだといいなって、思っていたんだ。嬉しいな」

 彼の柔らかな笑顔に、きゅうと胸の奥が甘く締め付けられた。
 しかし。――現実は時に残酷だ。ロベリアは気がつくと、涙を流していた。

「……ユーリ、様……。お願いだから、どこにも行かないでください……っ。ずっと、ずっと健やかで、幸せに……っ」
「ロベリア……?   何がそんなに君の心を苦しめているんだ?   前もそうやって君は……泣いていた」
「……嫌です、私……っ。いなく……ならないで……っ」

 俯きながらほろほろと涙を流した。ユーリはそんなロベリアの様子に当惑している。

「ロベリア、落ち着いて。僕はここにいるじゃないか。どこにも行ったりしないよ。だから泣くのをやめてくれ」
「…………」

 ロベリアは悲痛に顔を歪めながら、顔を横に振った。

(言わなくては。きっと今なら、信じて聞いてくれる。……全てお話しなくては、彼の未来のために)

 必死に息を整えて、言った。

「……ユーリ様に、言わなくてはならないことがあるの。聞いてくれる?」
「ああ。君の話ならなんでも聞くよ」

 ロベリアはそっと、ユーリの腹部に――ツンと指を指した。

「――この辺り」
「……?」
「ユーリ様は、卒業式後の夜会で、ここを刺されて……亡くなるの」


 ◇◇◇


 ロベリアは、前世の記憶だということも含め、知りうる情報を洗いざらい打ち明けた。ユーリはあまりに突拍子もない告白にしばらく戸惑っていたが、疑いもせずに聞いてくれた。

「……そう。アリーシャが僕を……」
「信じてくださるの?」
「うん。君の言葉を疑ったりはしない。……それに、少し現実味のある話だと思ったんだ。彼女は、精神的に脆い一面があるから」
「まだ、お会いしたことはないのよね?」
「うん。でも、ナターシャやご夫妻からよく話を聞いているよ」

 ユーリは、公爵代理として、公爵家と縁深いエヴァンズ家に頻繁に出入りしている。
 ロベリアは悲しそうに眉をひそめていると、彼が苦笑した。

「大丈夫。手の打ちようはいくらでもある。そう思い詰めなくていい」
「でも……」
「君が未来を打ち明けてくれた時点で、僕は死なないし、防刃チョッキもいらない。僕はただでやられるような人間ではないよ」

 ユーリは続ける。

「その……小説の中では、僕がアリーシャを都市の屋敷に迎えるよう夫妻に助言するんだよね?」
「ええ。そうよ。アリーシャは田舎の孤独な暮らしから解放されて、あなたに強い恩を感じる。……その恩は、次第に敬愛と恋心に変わり――執着になる」

 片田舎の小さな屋敷で療養生活を送るアリーシャは、無為の時間を持て余し、日々不満を感じていた。そんな彼女を思い、本邸で家族と共に過ごさせてはどうかと提案したユーリは、彼女にとって救世主のように見えたのだった。

 ユーリに殺意が向いたのも、姉への嫉妬や他人への異常なまでの劣等感で崩壊した心で、かつて助けてくれたユーリに縋っていたことが大きい。

 そして、手に入らぬのなら――死んでしまえばいい、そんな恐ろしい考えに至ったのだ。

「でもね、アリーシャを都市に連れ戻すことには賛成してるの。あのまま窮屈な暮らしを続けていても、次第に心は枯れてしまうわ」
「そうだね。でもどうする?   僕はこの件に関与しない」
「……私が、エヴァンズ夫妻に進言するわ。同性なら、恋愛沙汰にはならないだろうし……」
「駄目だ。万が一アリーシャの怒りの矛先が君に向いたらどうする?」
「でも……そうする他思いつかないわ。私……アリーシャのことも救いたいの。放っておけない」

 ユーリは息を吐いた。

「君って人は、本当にお人好しだ。……いいよ、君のやりたいようにやってみるといい。でも万が一、アリーシャの精神状態がおかしくなることがあったら、施設に入るよう強制する。誰かを傷つけて犯罪を犯すより、ずっといいだろう」
「…………」
「僕のことを冷酷だと思ったならそれでいい。でも、そうならないように力を尽くすつもりだ」

 ロベリアは彼に全てを打ち明けて、肩の力がやっと抜けた。そして、きまり悪そうに笑う。

「私、一人でどうにかしようと思って右往左往していたけれど、駄目だったわね。だって私……器用じゃないから。いつも空回りしてばっかり」
「不器用だけどまっすぐひたむきなところが、君のいいところさ。……君がアリーシャを助けたい気持ちは分かった。僕たちは、僕たちなりに誠意を尽くそう。後は彼女次第だ」
「ええ。……そうね」

 すると、彼がおもむろに手を伸ばしてきて、芝生の上に置かれたロベリアの手を取る。マメが潰れて皮膚が固くなったたなごころを確かめながら言う。

「……体術を学んでいたのは、僕のためかい?」
「……そ、うよ。できることはなんでもやっておこうと思って」
「ばかロベリア。刃物を持った相手に立ち向かおうなんて、無謀にも程がある」
「…………ファビウスにも同じことを言われたわ」

 ユーリは、ロベリアの手をぎゅうと握り締めて囁いた。

「でも、僕のことを守ろうとしてくれた気持ちは嬉しい。ありがとう。……でも、僕にも君を守らせて」
「…………!」
「約束してほしい。決して無茶はしないと。せっかくできた大切な人なんだ。もっと自分の身を考えて行動してほしい」
「分かったわ。ユーリ様も……約束を。いつまでも元気でいて、ご自身を大切にすると」
「うん、約束する」

 ロベリアはそっと、片方の手の小指を立ててかざした。

「……何?」

 彼が不思議そうに首を傾げる。ロベリアが「あなたもやって」と促すと、彼も真似て小指を立てた。ロベリアは、自分の指と彼の指を絡めて腕ごと揺すった。

「嘘ついたら針千本飲ーますっ!」
「……随分物騒なことを言うね」
「ふふ、前世の私の国では、約束を交わすときこうするのよ」
「過激な風習のある国なんだね?」

 ロベリアが指を離すと、ユーリはそのまま全ての指を絡ませて手を繋いできた。自分よりも大きくてしなやかな手。彼の温もりが皮膚に伝わり、顔が熱くなった。

「きゃ――」

 ユーリは、ロベリアの手をそのまま引いて、腕の中に抱き寄せた。彼は、細くすらっとした見た目の割に、胸板は厚くて固く、鍛えられている。ロベリアはユーリの胸の中で再び鼓動を早めた。

(……あれ?   ユーリ様も、緊張なさってる……?)

 耳を胸に添えると、彼の心臓が普通より早く音を立てていた。彼の心臓の律動に耳を傾けていると、上から呟きが聞こえた。

「君は意外と小さいんだね。細くて……壊れてしまいそうだ」
「私、女性の中なら背は高い方ですよ。ユーリ様が無駄に大きいいだけでは」
「はは、そうかも。ああ……本当に幸せだ。ずっとこうしていたいくらい」
「…………」

 ロベリアはユーリの背中に手を回した。抱き合い、互いの温もりを感じるこの瞬間ほど心地よいときはない。心が安らいで、幸福感に満ちていく。ロベリアは愛おしさが溢れ出して、少しだけ泣きそうになった。
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