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第四章
番
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風が入るように窓を開け、横になっている生方の体を拭くように湯をためた。
衣類をはだけ前を開けると、以前より少しばかり衰えた筋肉が見えた。筋肉に手を添え、指でなぞった。
「三条君、少し寒いかもしれない」
触っていた指をそっと外す。
「誠さん、目が覚めたんですか」
脚を拭いていた手を止め、タオルケットをかけると、窓辺に歩み寄った。
「ありがとう」
「いいえ、続きを拭きます。起きたのでしたら背中を拭きたいのでベッドに足を下ろして頂けますか」
「いつも、悪いな。そろそろ、職場復帰がしたい。俺は、出来るだろうか」
「忘れているのは、人間関係だけでしょう。僕もお手伝いは致しますから大丈夫ですよ」
実際に歴史の話は出来た。数学も英語も、最低限教師として問題ないくらいには良く出来た。
「名前、誠って言うんだな」
「ふふふ、そうですね。学校の生徒たちはみな生方先生と呼びますから、生方誠って名前だけは反応できるようにしておいた方がいいですよ」
「三条先生は同僚、ですか? なぐ……、いや、なんでしたっけ」
「南雲先生ですよ。誠さんは忍って呼ばれていましたから、その方がいいかと思います」
「ああ、その先生は何科ですか?」
「南雲先生は保健の先生です」
「ああ、授業を受け持つわけではないんですね」
「ええ」
「三条先生は僕のこと、よく知っているんですか」
「知っていますよ。それに僕って呼び方は、なんか不思議な感じがします。誠さんは自分を俺って呼ばれていましたよ。学校では生方先生の方が指導教員ですから、言葉遣いは気にしないでください」
「分かりました」
「もう……、わかったですよ」
「?」
首をかしげるしぐさをし、構ってあげたくなるようなそんな可愛さがあった。
「わかったって言ってみて下さい」
「どういうことだ?」
「そうそう、そんな感じに少し高圧的で、基本的にヘタレ」
「俺はヘタレなのか? あまり嬉しくない情報だな」
突然の記憶喪失。
学校も事件性は無いという事で、休職扱いにしてくれ、もう何日かしたら復帰というところまでフィジカルもメンタルも復活した。
「何か買ってきます。もう飲み物がないですから」
冷蔵庫の中が水しかなかったのに気が付くと財布を握りしめ、病室を出た。
「あっ、さんじょ」
何か言おうとしている事にはこの時には気が付かず、グーと手で意思表示をして部屋を出た。
生方の好きなメーカーのホットコーヒーを買って部屋に戻ろうとエレベーターホールに居た時、曲がりくねった廊下の奥からオメガの匂いがした。ヒートではないが明らかにオメガの匂いだった。
慌ててそっちの方に走り寄ると、病院着に身を包んだ誠さんが、見知らぬオメガに告白されていた。
ドキン……ドクン……
――寄るな。
「あの、ずっとここに入院されていましたよね。私、ヒートが強くて月に一度入院しているんです。強いアルファのフェロモンがあったらこんな所に入院しなくても良いんです」
「はぁ。それが俺に何か」
「もし恋人がいないなら、私とお付き合いして下さいませんか。初めて病院でお見かけした時から気になっていて……」
「俺と?」
「はい、お試しでもいいですから。それとも恋人さんが?」
「いや、それは無いが、誰かを探している気がするんだよ」
「それ、私かもしれないじゃないですか。私も運命の番をずっと探しています」
「君が?」
生方はこの病院に二ヶ月近く入院している。
その間見舞いに訪れる人は、三条、南雲、三条の家族くらいだった。
「あのお友達からでもいいので!」
少しばかり強引だと生方は思ったものの、嫌な気はしなかった。
「友達からでいいなら……」
「本当ですか?」
色白のその女性は嬉しそうに生方の腕にしがみついた。
その瞬間、体が勝手に動いていた。
「誠さん!」
「ああ、ここに居たのか。探していたら迷ってしまって、そうしたら、なぜかこの人が……」
髪の毛をくるくる巻いた色っぽい美人さんが、生方の腕に絡みつき、威嚇する様に、にっこりとほほ笑んでくる。
「この人には僕が居るから!」
突然三条が割って入り、女性に諦めてと言い捨てると、「行きますよ」と生方の手を引きエレベーターに乗り込んだ。
「なにやっているんですか」
エレベーターの中で握っていた手を振り解くと、怒ったように言い放った。
「ちょっと待てよ」
「何ですか」
「僕がいるって言うのはどういう事だ」
「すいません。つい……、適当です」
「は?」
「なんか腹が立ったんですって、あんなどこの馬の骨かもわからないのに」
――何か隠している。
食い下がるように幾度も問いただしたものの、それについては何一つ口を割ることは無かった。
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