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第四章
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約束した映画鑑賞の帰り。先月と同じように鮎原は妹尾と連れ立ってアパートまで戻る。さすがに薦めるだけあって「ブレードランナー」は興味深い内容で、面白かった。
妹尾に言われたわけではないが、久しぶりに自分の好きなように時間を満喫できたと思った。一抹の心に覚える塞ぐものの存在をしばし沈めることができた。
「今日は上がっていけよ。コーヒーぐらい出すから」
まるで送ってもらったような格好に、居心地の悪さを覚えた鮎原は、妹尾を誘った。ただの同僚相手だからこそ言えることだと思った。
妹尾は、少し考える素振りを見せたが、結局自転車を階段の下に止めて部屋までついてきた。
「あの鮎原さん、今日本当によかったんですか? 何ていうか、余り楽しそうに見えない」
態度に出すような真似はした覚えはなかったが、知らずついた溜め息や仕草で妹尾は感じ取ったのかもしれない。
「え、どうして? そんなことないぞ。映画面白かったし」
しかし鮎原は何げなさを装い否定して返した。カギを取り出してドアを開けると妹尾を招き入れる。
「何でそんな誤魔化すんです? 恋人のこと、でしょう?」
靴を脱ぎ、上がりかまちに足をかけた鮎原は、その姿勢で固まった。
図星だった。武村と後味悪く電話を切ってから、ずっと鮎原の心の中に重いものが居座っている。
けれど妹尾には関係ないことだ。
「ち、違うよ。そんな恋人なんて……いない、から」
「まったく、鮎原さん。ウソが下手ですね」
「ウ、ウソって何だよ。その言い方、生意気だな、お前――妹尾?」
軽くかわそうとした。けれど妹尾の自分を見る目が許さなかった。
「今日ずっと、考えていました。いや、今日だけじゃない。ずっとずっと。先月一緒に映画を観たとき、あなたは楽しそうで、だからこれでいいんだって思おうとしたけど。でも今日は違った。鮎原さん」
妹尾がいきなり鮎原の腕をつかみ、引き寄せた。
「オレにしませんか? 一緒にいて欲しいときに傍にいない恋人なんて止めて」
「何…を言って……」
今、何を言われている? 鮎原は自分を抱き締めている男の腕の中で目を見開く。
「ずっと、見ていたんです。あなたが好きです」
「せの…お……?」
顎を取られて僅かに上を向かせられると、すぐに柔らかいものが鮎原の口を塞いだ。
触れているのは何だ。これは何だ?
頭の中が真っ白になる。
こちらの意志を無視して重ねられたのに、なのに泣きたくなるほど優しい口づけだった。唇を食んでも、無理やりそれ以上こじ開けて入ってこようとせず、温もりだけを伝える。
妹尾の唇が離れる。鮎原は縋るものが欲しくて、手を伸ばそうとしたが止めた。前にいる男は自分が求めている男とは違う。
とん、と鮎原はそのまま身を後ろの壁にもたれさせて、俯く。
「そんな……、俺は――」
顔が上げられない。妹尾がどんな目で今自分を見ているのか、それを知るのが怖い。
「分かってます。あなたが誰を思っているかなんて。でも、でもオレなら、いつだって傍にいる。あなたにそんな顔をさせない。させないっ」
済みません、と言って妹尾は出て行った。開閉するドアの音がそれを知らせた。
「妹尾……」
鮎原は膝から力が抜けていくのを感じた。ずるずると背を滑らせ、床に座り込む。
まさか、と思った。どうして、とも。
妹尾は、気がつけばするりと横に立っている。気負うこともなくごく自然に。そんな存在だ。いい後輩だと。だから約束をして一緒に映画を観て。構えていなくても普段の自分で話せる。
武村と違って?
鮎原は浮かんでくる意識を振り払う。いったい自分はどうしてしまったのだろう。
映画は嫌いじゃない。それほど観るほうではなくても。妹尾と出かけたのは、学生時代に戻ったみたいに楽しかった。
認めていいのか? 妹尾のことが気になり出している自分を。それはまだ、どこに着地しようとしているのか分からないのに。
「妹尾、こんなのありかよ」
唇にそっと指を這わせる。ここに妹尾の唇が重なった。自分の知らないキスだった。
妹尾に言われたわけではないが、久しぶりに自分の好きなように時間を満喫できたと思った。一抹の心に覚える塞ぐものの存在をしばし沈めることができた。
「今日は上がっていけよ。コーヒーぐらい出すから」
まるで送ってもらったような格好に、居心地の悪さを覚えた鮎原は、妹尾を誘った。ただの同僚相手だからこそ言えることだと思った。
妹尾は、少し考える素振りを見せたが、結局自転車を階段の下に止めて部屋までついてきた。
「あの鮎原さん、今日本当によかったんですか? 何ていうか、余り楽しそうに見えない」
態度に出すような真似はした覚えはなかったが、知らずついた溜め息や仕草で妹尾は感じ取ったのかもしれない。
「え、どうして? そんなことないぞ。映画面白かったし」
しかし鮎原は何げなさを装い否定して返した。カギを取り出してドアを開けると妹尾を招き入れる。
「何でそんな誤魔化すんです? 恋人のこと、でしょう?」
靴を脱ぎ、上がりかまちに足をかけた鮎原は、その姿勢で固まった。
図星だった。武村と後味悪く電話を切ってから、ずっと鮎原の心の中に重いものが居座っている。
けれど妹尾には関係ないことだ。
「ち、違うよ。そんな恋人なんて……いない、から」
「まったく、鮎原さん。ウソが下手ですね」
「ウ、ウソって何だよ。その言い方、生意気だな、お前――妹尾?」
軽くかわそうとした。けれど妹尾の自分を見る目が許さなかった。
「今日ずっと、考えていました。いや、今日だけじゃない。ずっとずっと。先月一緒に映画を観たとき、あなたは楽しそうで、だからこれでいいんだって思おうとしたけど。でも今日は違った。鮎原さん」
妹尾がいきなり鮎原の腕をつかみ、引き寄せた。
「オレにしませんか? 一緒にいて欲しいときに傍にいない恋人なんて止めて」
「何…を言って……」
今、何を言われている? 鮎原は自分を抱き締めている男の腕の中で目を見開く。
「ずっと、見ていたんです。あなたが好きです」
「せの…お……?」
顎を取られて僅かに上を向かせられると、すぐに柔らかいものが鮎原の口を塞いだ。
触れているのは何だ。これは何だ?
頭の中が真っ白になる。
こちらの意志を無視して重ねられたのに、なのに泣きたくなるほど優しい口づけだった。唇を食んでも、無理やりそれ以上こじ開けて入ってこようとせず、温もりだけを伝える。
妹尾の唇が離れる。鮎原は縋るものが欲しくて、手を伸ばそうとしたが止めた。前にいる男は自分が求めている男とは違う。
とん、と鮎原はそのまま身を後ろの壁にもたれさせて、俯く。
「そんな……、俺は――」
顔が上げられない。妹尾がどんな目で今自分を見ているのか、それを知るのが怖い。
「分かってます。あなたが誰を思っているかなんて。でも、でもオレなら、いつだって傍にいる。あなたにそんな顔をさせない。させないっ」
済みません、と言って妹尾は出て行った。開閉するドアの音がそれを知らせた。
「妹尾……」
鮎原は膝から力が抜けていくのを感じた。ずるずると背を滑らせ、床に座り込む。
まさか、と思った。どうして、とも。
妹尾は、気がつけばするりと横に立っている。気負うこともなくごく自然に。そんな存在だ。いい後輩だと。だから約束をして一緒に映画を観て。構えていなくても普段の自分で話せる。
武村と違って?
鮎原は浮かんでくる意識を振り払う。いったい自分はどうしてしまったのだろう。
映画は嫌いじゃない。それほど観るほうではなくても。妹尾と出かけたのは、学生時代に戻ったみたいに楽しかった。
認めていいのか? 妹尾のことが気になり出している自分を。それはまだ、どこに着地しようとしているのか分からないのに。
「妹尾、こんなのありかよ」
唇にそっと指を這わせる。ここに妹尾の唇が重なった。自分の知らないキスだった。
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