11 / 111
第1章
契り 08
しおりを挟む僕は泣き腫らした顔を元に戻すことが出来ないまま、モップを持って仕事に戻った。
「ずいぶんと遅かったわね……って……亜矢ちゃん?!」
「どうしたの、その顔……!大丈夫?」
侍女さん達が心配そうに駆け寄ってくる。
「大丈夫です……ほこりが目に入っちゃって……」
咄嗟に下手な嘘をついてしまった。きっと本当のことではないと解ったのだろう。侍女さん達は腑に落ちない顔で僕を見ていたけど、「ちゃんと洗わないと駄目よ」と直ぐに明るく声を掛けてくれた。
それから一時間程、結月さんは姿を現さなかった。
女性を送り出す時、僕ははっきりと彼女を見た。綺麗な巻き髪の、モデル体型の美人だった。
あれが、笠原嬢か……。身分も、容姿も、結月さんにすごく似合ってる。
そう思って、チクンと胸が痛んだ。
「亜矢」
「……っ!!」
唐突に結月さんから声をかけられ、ビクリと肩が跳ねる。
紺青の瞳がじっと僕を見つめていた。
――何もかも、見透かされてる気がする。この気持ちを知られるのが怖い。今日は傍に行きたくない……。
「俺の部屋に、茶をお願いできるか」
「は、い……」
仕事なので拒否するわけにもいかない。僕は紅茶を淹れて結月さんの仕事部屋へ向かった。
視線を合わせないようにしたまま「どうぞ」と、彼の目の前にカップを置く。
「ああ、ありがとう」
「では……失礼します」
一刻も早く此処から立ち去りたくて、直ぐに部屋から出ようとした途端、「待ちなさい」と彼に呼び止められてしまった。
「っ……何ですか?」
「いつまでそうやって俯いているつもりだ」
振り返りもせず無言で下を向いていると、結月さんが近づいてくるのが気配で分かった。
「亜矢は笑顔が可愛いのに」
その言葉に今さっき見た光景が思い出される。
「……そんな台詞、誰にでも平気で言うんですね。そんなの、あの人にいくらでも言えばいいじゃないですか」
軽く睨んで噛み付くようにそう言うと、結月さんは小さく溜息をついた。
「……やっぱり見ていたか。覗き見なんて悪趣味だぞ、亜矢」
「あの人、結月さんの彼女ですか……?」
平静を装って聞いてみる。返される答えは肯定だと思っていた。それなのに。
「違う……ウチと繋がりのある会社の令嬢だ。……ただ、それだけだ」
ただ、それだけ……?それだけの関係であんな事を……?
「悪趣味なのは、貴方の方です。好きでもない人を平気で抱けるなんて……」
厭味な台詞が勝手に口をついて出る。
――結月さんは、僕を犯す男達と一緒じゃないか。
“彼は違う”。そんなことは解っているはずなのに、嫌忌と絶望感が心の中を支配する。
「亜矢、会社の将来が懸かってるんだよ……しょうがないだろ?」
結月さんが弁解するように話すのを黙って聞いていると、「亜矢?」と困惑した瞳を向けられ、そっと肩に手を置かれた。
「触らないでっ……」
手の甲の僅かな痛みに、ハッと自分のしたことに気づく。
咄嗟に彼の手を払っていた。
僕は無意識に重ねていた。穢れたあの男達と結月さんを……。
結月さんは目を見開いて僕を見た。
謝らなきゃ、結月さんに、ちゃんと……。
そう思うのに言葉が出てこない。目を見つめたまま立ち尽くしていると、彼はスッと視線を外した。
「解らないのだったら……もういい……」
呆れたような、空気を含んだ掠れた声に、全身が強張る。結月さんはそのまま僕の横を通り過ぎて部屋を出て行ってしまった。
静かな部屋にひとり取り残され、ただ呆然とする。
怒らせた……大好きな結月さんを。
あんなに酷いことを言ってしまった。
何してるんだよ、僕は……。
「っう……ひ……く……」
さっきあれほど泣いたのに涙は次々と溢れてくる。
心が苦しい。
もう人を好きになることなんて、ないと思っていた。
あんなに苦しい思いは二度としたくないと、感情に蓋をした。
そうして忘れたはずだったのに――
0
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
はじまりの朝
さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。
ある出来事をきっかけに離れてしまう。
中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。
これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。
✳『番外編〜はじまりの裏側で』
『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
僕の恋人は、超イケメン!!
刃
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる