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第288話 乳化
しおりを挟む机の上にはハンスが持ってきてくれたボール、泡立て器、水、油、蜜柑(と呼んでいる果物)が並んでいる。
「あっくん、最初はゆっくり混ぜて。
私が油を少しずつ入れていくからね。」
「了解。」
「ハンスは作り方を見ててね。
最初はゆっくり混ぜ始めるの。
油を一気に入れちゃうとうまく混ざらないから、油も少しずつ加えていくんだよ。」
「はい!」
あっくんが水と蜜柑の搾り汁に、少し油が入ったボールの中身をゆっくり混ぜ始める。
少し色が変わってきたら油を糸を引くくらいの細さで加えていく。
「あっくん、もうスピード上げて大丈夫。」
「了解。」
流石の力。
あっくんの力技でガンガン混ざっていく。
「ハンス、どう?簡単でしょ?」
「見ている分には確かに簡単そうですが、これはかなり力が必要ですね。」
「そうなの。混ざってくるとどんどん重たくなってくるからね。かなり疲れるよ。
これが成功して薬として広まったら、製薬所はあっくんみたいに筋肉ムキムキの人ばっかりになりそうだね!」
「川端様ほどの筋肉量は望めないでしょう。」
ハンスは真剣にあっくんの手元を見ていて冗談は一切通じなかった。
そりゃ泡立て器使うだけであっくんみたいなガチムチなんてなれるわけないだろう。
「あっくん、大丈夫?」
「大丈夫だけど、結構疲れるね。」
「軟膏として使うなら固くならないと駄目だもんね。頑張って!」
「うん。」
「ハンス、これは作るのに力が必要ではあるけど、あっくんみたいに一人で作らなくても交代して混ぜればいいからね。」
「手を放しても大丈夫なんでしょうか?」
「人が交代するくらいの時間なら問題ないよ。
それより、注意事項があるんだけど。」
「何でしょうか?」
「これ、油使ってるでしょう?
油って空気に触れると傷んでくるの。
だから破棄するまでの期間は考えないといけないよ。」
「どの程度なら使えますか?」
「そうだなぁ。
安全性を考えたら二週間くらいかな。」
「そんなに長いのですか?」
「うん。でも、なるべく涼しい所に保管しないと駄目だよ。
今まで薬草の薬ってどこで保管してたの?」
「すみません、保管場所までは存じません。」
「お酒作る時、温度管理が大切って言ってなかった?」
「はい。」
「じゃあ涼しい所はある?」
「涼しい場所が必要な時は地面を掘っています。醸造所は地下にあります。」
「そうなんだ!
じゃあ薬もそうやって保管して。」
「畏まりました。」
「しーちゃん、これくらい?」
「うーん、まだ柔らかい。
もう少し油足すから頑張って。」
「了解。」
「ハンス、お昼ご飯…いや、夜ご飯に猪肉食べてみたいんだけど出してもらえるかな?」
「手配いたしますが…牛はお好みではないですか?」
「食べたことないから、その好き嫌いが分からないの。食べてみたい。
次の日は鳥がいいな。」
「牛の他、にも、肉の、種類、あるの?」
あっくんは泡立て器で力が入っているせいか言葉が途切れ途切れだ。
「うん。猪肉と鳥肉があるんだって。
平民はそっちが主食だって。
あっくんも食べてみたいと思わない?」
「試して、みたい。牛は…ね。
いくら、高級って、言われても、流石に、飽きた!」
「畏まりました。」
「しーちゃん、どう?」
「うーん、もうちょい!」
「了解。」
「そういえばさ、塩ってどうしてるの?」
「どう、とは?」
「どうやって手に入れてるのかなって。」
「それは、俺も、疑問に、思ってた。」
「塩は西の辺境伯領でしか取れません。
森の奥に塩湖があり、そこでの生産もしておりますし、岩塩も取れます。
かなりの埋蔵量があり、それが西の特産品でもあります。」
「じゃあ塩を取るために森に入ってるの!?」
「はい。森に入ってはおりますが、魔物が少ないのです。
その森自体も小規模です。」
「そりゃ塩が取れるくらいなんだから周りに木なんて生えるわけないよ!
あ…餌がないから魔物が少ないんだ……」
「その通りです。
南の辺境ほどとは申しませんが、かなり魔物の発生頻度は低いです。」
「でも、塩湖があったら畑で作物を作るなんて無理じゃない?」
「無理ではありませんが、西では限られた物しか育ちません。」
「しーちゃん!ふぅー、どう?」
「いい感じかも!あっくん、お疲れ様!
やってみてどうだった?」
「疲れた!
途中まではラクラクだったけど、重たくなってきてからが大変だった!」
「ここまで固くしないと薬草から抽出したのが液体だったら緩くなっちゃうもんね。
ハンス、これが軟膏の元。
ここに薬草の怪我に効く成分を混ぜて使うの。
その成分にもよると思うけど、死を覚悟するほどの痛みは絶対ないよ。」
「これが…………本当に水と油でこんなことが可能なのですね……」
「あとはベンジャミンさん達の、効果のある成分分析次第。」
「紫愛様はベンジャミンに任せてもよろしいのですか?」
「何で?ギトー家に一番近い製薬所の責任者なんだから知識ある人なんじゃないの?」
「それはそうですが、あの体たらくでしたし、何より紫愛様を危険に晒したのです。」
「ハンス、それはベンジャミンさんをクビにするってこと?
ベンジャミンさんは良かれと思ってやってたことだし、今まで間違ってないと信じて薬を作ってたはず。
それに、成分の分析だったり抽出こそがこれからのベンジャミンさんの仕事になるんだよ。
さっき言ったよね?
そこは私達の仕事じゃないって。
ベンジャミンさんをクビにするのを考えるのは、菌の存在だったり、私が提案した瓶を煮沸することや素手でやったりしないこと、口を覆えって言ったことに対して異議を申し立てたり受け入れない時でしょ?
話が通じないんなら兎も角、今はそんなこと言うべきじゃない。」
「ありがとうございます。
一辺境の者として、ベンジャミンの処遇までお考えいただき感謝申し上げます。」
「なに?私が怒ってると思ってたの?」
「……実際お怒りでいらっしゃいましたから。」
「死ぬかもって思ったら誰だって怒ると思うけどね。
ただ、知識のない人に一方的に怒った私も悪かったよ。」
「しーちゃんは悪くない。これから何か症状が出てもおかしくないんだ。
あんなに痛い思いさせておいて薬じゃなかったなんて有り得ないだろ。」
「申し訳ありません。」
「もし症状が出たらその時言って。
もうこの話は終わり!
あっくんはこれから醸造所行くでしょ?」
「うん。行ってくるよ。
でもそろそろ昼ごはんの時間じゃない?
しーちゃんと食べてから行くよ。」
「そうしよう。
お酒の味の感想よろしくね。
何か気がついたことがあったら教えて。」
「うん。」
「ハンスは?早く報告行きたいよね?それともあっくんについていく?」
「報告は私が行かねば正しい理解は得られないでしょう。一刻も早く報告と方針を伝えに行きたいところではありますが、恐らくかなり時間を取られます。
そうしますと、私は不在。
川端様にはニルスがつくことになり、紫愛様の護衛がいなくなってしまいます。
紫愛様はこれからどちらへ赴く予定ですか?」
「しーちゃんはもう今日は休みだ。
二度も傷を刺激してしまっている。
本当なら完治するまで安静にしててもらいたいくらいだ。」
「それはさっきあっくんとも約束した。
悪いけど、今日一日はじっとしてることにするよ。」
「畏まりました。」
「なぁ、それよりラルフについてだが、あいつは自分でここに戻ってきたことあんのか?」
「いいえ、戻りません。」
「騎士団の馬鹿共の世話と連携、当主への報告があるにしたって少しも戻らないなんておかしいだろ?
何かイレギュラーでもあったか?
何のために俺達の護衛としてついてきてると思ってるんだ?」
「申し訳ありません。」
「二人で護衛が回るわけないってことも分からねぇほど馬鹿じゃねーだろ?
俺としーちゃんはここで飯食ってるから一度ラルフとどうなってるかニルス連れて話してこい。」
「ですが護衛が不在と「まだ当分ここにいるのに護衛二人で過ごすつもりか?
魔力濃いめに広げてるから心配無用だ。」
「そうだよ。ハンスもニルスも少しも休めてないでしょ?倒れちゃうよ。」
「では、お言葉に甘えましてそうさせていただきます。」
「あ、ハンス!離れる前に何か書くもの持ってきてくれない?」
「すぐに手配いたします。」
「ありがとう。」
「はい。失礼いたします。」
部屋を出るハンスを見送り
「ラルフどうしたんだろ?
私も気になってたんだよね。」
「あいつが遊んでるとも思えないしなぁ…
だけどそれにしたって一切戻らないなんてことある?」
「うーん…
初日に魔物が出た事実もあるし…」
「それだって俺が瞬時に倒したのに?」
「外の人達に何かあったとか?」
「ま、これからハンスとニルスが話してきてくれるだろ?二人に任せるしかないな。」
「そうだね。」
応援ありがとうございます!
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