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伊佐ヅカ

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第七話:Back to Blue

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部屋の時計が、丁度午後九時を指し示す。
毎晩、そわそわしながらこの時を待っている——そんな自分に、もう随分慣れてしまった。

携帯から聞き慣れたメロディーが鳴って、テレビ通話の着信を告げる。
名前の表示に胸が少しだけ高鳴る。

「もしもーし、きよちゃん」

画面に映ったのは、どこのおっさんよ、と言いたくなるくらいに髪も髭も伸び放題の青年。
それでも、目尻の下がった瞳も、筋の通った鼻も、彼の造りが元々端正であることを隠しきれていない。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥にふわりと灯るものがある。

「今日は、どこにいるの?」

「ペルーだよ。こっちは朝の七時。マチュピチュへ行こうと思って」

「……うらやましいな」

「今度、一緒に行こうよ。ちゃんとエスコートするから」

ふと口角が緩んでしまった。
甘い言葉に照れてみせながらも、心の奥ではきっと——その日を夢見ている。


高校卒業後、湊は都内の外資系ホテルでホテルマンとして働き始めた。
スタッフや客の半数は外国人。湊はその環境を活かし、積極的に外国語を習得していった。

限られた二年という時間を最大限に使うため、島には一度も戻らず、地道に節約も重ねる。
不規則なシフト勤務のため、毎日の連絡は一通きり。けれど、その短いやりとりが日々の楽しみになっていた。

そして一年半が経った頃、あっさりと職を辞する。

実は、湊の中では初めから描いていた計画だった。
貯めた給料を元手に、彼は世界周遊の旅へと飛び立ったのだ。

ベトナムに始まり、インド、チェコ、グアテマラ——
世界地図を広げないと場所もわからないような国々を、次々と渡り歩いていく。
持ち前の語学力と翻訳アプリを駆使して、異国の地でも堂々と生きていくその姿に、思わず舌を巻いた。

午後九時。
湊が旅に出てから、毎晩その時間になると、決まってテレビ電話が鳴る。
まるで僕の暮らしの一部のように、当然のように、彼はそこにいた。

けれど画面に映る湊の顔は、どんどん“知らない顔”になっていく。
髪も髭も伸ばしっぱなしで、まるでどこかの放浪詩人みたいだ。
童顔でナメられがちだから自衛のつもりらしいが、目尻の下がった瞳も、笑ったときの頬のふくらみも、やっぱり湊のままだ。


新しい世界を吸い込んで、どんどん大人になっていく彼を見るたびに、
誇らしさと、ほんの少しの寂しさが胸を掠めるのだった。




豆粒のように小さかったフェリーは、あっという間に近づいて港へ船体を寄せている。

「佐伯先生!」

観光客を出迎える業者の一団から、湊の弟・航生こうせいがこちらを見つけて駆けて来た。

「やっと、湊が帰って来るね。」

どことなく湊に似た面持ちで、悪戯っ子のようにクスクスと笑う。

湊が島を出てから、お弁当の配達は高校生になったばかりの弟、航生の仕事になった。
はっきりと確認はしたことはないが、彼はこちらの事情を把握しているような態度だ。

「今日は入港日で、うちは忙しいから。先生、兄ちゃんのこともてなしてやってよ。」

意味深にバシバシと豪快に背中を叩いている。

搭乗橋が設置され、乗客の下船が始まった。
今なら、島民と観光客の違いが一目瞭然でわかる。
上着を着こんでいるのが、観光客だ。

「あっ!湊兄ー!!」

リュック一つでずば抜けて身軽な、背の高い青年がこちらを見る。

「…何やってんの、先生?」

背後に隠れ、小さく座り込む僕を、航生は怪訝そうに振り返った。

「いや、いざ久しぶりに顔を合わせるのかと思うと、気恥ずかしくて…。」

「はははっ、何だ、そりゃ。」

僕の動揺ぶりを笑う彼をよそに、聞きなれた優しい声が降る。

「きよちゃん。」

一昨日も電話で話したはずなのに、その懐かしい声に涙が出そうになる。
僕の為に、彼は島を離れたのに、ずっと会いたかった。
隣で、一日一日大人になる君を見ることが出来なかった。

濃い影が覆い、目に入るのは、大きな洒落た異国風のワークブーツ。

見上げれば、可笑しそうに困った顔で微笑む湊。
ああ、画面越しではわからなかったけど、随分背が伸びた。
がっしりとした肩幅に、引き締まった輪郭。
手首や顎には骨っぽさが浮き、あの頃のあどけなさはどこにもない。

「うぇーい。にーちゃん、おかえり。」

航生がお道化て抱き着くと、次は…というように、その腕が広げられる。

「…おかえり。」

掠れた声が、自分でも情けなくなる。
けれどもう、誤魔化せなかった。
腕の中のぬくもりに触れた途端、胸の奥にずっと空いていた穴が、じわじわと埋まっていく気がした。

「ああ……」

言葉にならない安堵の吐息が、勝手に零れる。
ああ、やっぱり僕はこの人が、好きだ。

湊が、ぎゅっと強く抱きしめ返してくれる。
その大きな手が、背中をぽんぽんと優しく叩くたび、心までとろけそうだった。

「ただいま。」

間近で見上げた瞳には、穏やかさとその奥に強さが宿っていた。




「俺、このままお客さんの送迎へ入るから。兄ちゃんは、先生に任せるよ。」

宿泊名簿片手にキリキリ働く航生は、当たり前のように湊にヘルメットを投げてよこした。

「兄ちゃん、明日からシャカリキに働けよ。そのぶん、俺が楽になるからさ!」

ガハハハッて豪快に笑うと、宿泊客を引率して駐車場へ消えていった。

「…。」
「…。」

「きよちゃんのバイクに、乗せてもらってもいい?」
「ああ、いいよ。」

改めて二人になって、僕はドキドキしっ放しだ。
航生め、用意周到過ぎる。
どこまでが計算なんだ。

「あー、きよちゃんのバイク、懐かしい。まだ、使っていたんだ。」

バイク自体は、かなり使い込まれて古いが、今では島の生活には欠かせない必需品だ。

当たり前だが、僕の後ろに跨った湊の手は、なんの躊躇いもなく腰に回される。
変にぎくしゃくしてしまう僕の耳元で、湊はクスリと笑った。

「きよちゃん、ドキドキしてるね。」

甘えるように、唇を項に擦り付ける。それでも、もう昔のような子犬感はない。
圧倒的な色香が漂う。

「ねぇ、俺をきよちゃんの部屋へ連れて行って。……俺の、言っている意味、わかる?」

掠れた吐息交じりの声。
その意味が解らないほど、僕は子供じゃない。
いや、むしろ三十も過ぎた。

「…二年も待ったんだ。…きよちゃん、もう焦らさないで…。」

僕は耳まで真っ赤になって、人形のようにコクコクと頷くしか出来なかった。



三月の末だというのに、ここ父島では燦々と日差しが降り注ぐ。
衣替えしたばかりの半袖Tシャツの裾が、からりと乾いた潮風を受けてはためく。

意識するな、意識するな、意識するなと必死に自己暗示をかけて、何とか無事アパートへとたどり着いた。


「お茶か、ジュースか、……あと、コーヒーとか…。」

部屋の中、二人きりになったことで、いよいよ緊張で思考がまとまらない。
するのか…湊と…。

部屋の隅のキッチンへ逃げ込んだ僕へ、悠然と湊が呼びかけた。

「きよちゃん」

湊は部屋の一番奥に置かれたベッドの端に腰かけて、自分の隣をポンポンと叩いた。
『……俺の、言っている意味、わかる?』
囁きが、ずっと耳に残っている。

意を決して、湊の横へ腰かける。
触れた湊の腕から、彼の情熱のような熱が伝わって、僕は身を強張らせた。

「…まだ、怖い?」

…怖い。湊は二年もかけて、僕に誠実に向き合おうとしてくれた。
答えてやりたのに。
かつて投げかけられた、刃のような言葉が頭をよぎる。

「大丈夫だよ。…ちゃんと、話をしよう。今なら、何でも答えられるよ。聞いて。」

僕を怖がらせないように、ゆっくりと湊の大きな手が僕の手の平を包んだ。

「…内地には、素敵な人がいっぱいいただろう。」

島の外へ出れば、僕よりも魅力的な人は山ほどいる。初めて内地へ行った湊は、どう思ったのだろう。

湊は、僕の手を包んだまま、まっすぐに見つめてくる。
その瞳に映るのは、誰でもない“僕”だった。

「正直、たくさんの人を見た。
綺麗な人、才能のある人、優しい人、強い人。でも――」

言葉を置いて、湊はそっと僕の頬に触れた。
指先が優しくて、くすぐったくて、逃げ出したくなる。

「“欲しい”って思ったのは、きよちゃんだけだった。
触れたい、抱きしめたい、全部知りたい。
世界中を回って確信したんだ。
俺が本当に愛したい人は、きよちゃんだけだって。」

その言葉は、何よりも重く、優しく、僕の奥まで届いた。

胸の奥がきゅうっと熱くなる。
こんなに真っ直ぐ欲しいと言われたのは、人生で初めてだ。

「……ほんとに、僕なんかでいいのかよ。」

そう漏らした声は、震えていた。

湊は何も言わず、僕の額にそっと唇を落とした。

「きよちゃんがいいんだよ。」

──ああ、もう。

なんで、そんな顔するんだよ。

「…将来、…自分の子供が欲しいとか…思わないか。」

胸が張り裂ける思いで、一番聞きたくない言葉を絞り出す。

「…思わないよ。奇跡的にきよちゃんとの間に、子供が出来るなら欲しいかもしれないけど。澪と渚の子育てで、育児は一通り経験させてもらったしね。」

その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
僕がずっと怯えていた問いを、湊はあっさりと受け止めてくれる。
まるで、そんなこと初めから心配しなくてよかったんだ、とでも言うように。

湊の手がそっと僕の頬に触れた。
体温を確かめるように、優しく、ゆっくりと。

「ねえ、きよちゃん。」

そう囁く声は、どこまでも優しく、あたたかい。

「そんなに不安な顔、しないで。」

額にふわりと、キスが落とされる。
続けて、頬に、まぶたに——最後に、そっと唇を重ねられた。
深くも強くもない、ただ「大丈夫だよ」と語りかけるような、甘やかなキス。

「俺は、きよちゃんが不安でも、辛い過去を抱えていても、
 全部ひっくるめて、今ここにいる、きよちゃんがいいんだよ。」

その声が、まるで胸の奥まで染み込んでくる。
安心させるためだけに触れてくる手。
僕が自分を赦せるまで、ちゃんと待ってくれる人なんだと、そう思えた。

どこかで諦めていた。
また同じように、傷つくのが怖くて、
ずっと扉を閉ざしていた心が、わずかにきしむ音を立てて開いた気がした。

「……湊。」

声に出した名前は、思った以上に震えていた。
それでも、彼は責めずに、黙って僕を見つめてくれる。

「僕……」

言葉が喉の奥で引っかかって、うまく出てこない。
それでも、言わなきゃいけないと思った。
彼と向き合いたいと、心の奥で確かに願っている自分がいる。

「……あのね。」

ゆっくりと、けれど確かに、僕は顔を上げた。

「ん?」

「大人だし、本当は僕がリードするべきなんだろうけど。…僕、一人としか、そういった経験がなくて……。」

酷く恥ずかしくて、情けない。
引くよね。

「…っ、ほんとに?」
湊はふわりと笑って、僕を抱きしめた。

「きよちゃんは、本当に一途なんだね。その愛を、今度は俺にだけ注いで。」

耳元で囁くように乞われて、心臓が跳ねる。

「大丈夫だよ。俺、はじめてだけど、ちゃんと勉強してきたから。二年もあったしね。」
湊はからりと笑って、僕の頬に手を添えた。

指先が、撫でるように髪を梳いて、耳の後ろを優しくなぞる。
触れられるたび、身体の強張りが少しずつ解けていく。

「……しても、いい?」
低く囁かれたその声に、ただ頷くことしかできなかった。

そっと唇が触れて、長く、深く、何度も重ねられる。
湊の手が背にまわり、気づけば僕はゆっくりとベッドの上に横たえられていた。

ああ、大丈夫だ。
湊になら、この身を預けてもいい。
そう思わせてくれる、確かな温度がそこにあった。

首筋をじゃれるように、厚い唇がなぞっていく。
僕の様子を確かめるように、それは肩に、Tシャツ越しの胸へ落とされる。

僕を何かから守るように、覆いかぶさる胸板は厚く、湊が一人の男なのだと感じさせる。
確かめるように、優しく、ゆっくりと大きな熱い手が僕の輪郭をなぞる。

「ああ、…やっと、きよちゃんに触れられる。」

互いに好意があるのだと認め、キスを許した日から島を離れるまで、湊との攻防は続いた。
何度も流されそうになりながら、素肌へ触れることすら許さなかった。
不安定な意思を裏切って、身体が熱を持ってしまうことが怖かった。
性に目覚める頃の、彼の破裂しそうな欲を感じながら、何度も見ないふりをした。
それでも、湊が無理事をすることは、決してなかった。

「…脱がせても、いい…?」

緊張で息を飲むように、上下する喉ぼとけ。

「…うん。」

初めて湊に出会った日のように、両手を軽く上げると一気にシャツを抜き取った。

湊の手が、そっと僕の腰に触れる。

「ここも、……いい?」

その声は熱を含みながらも、どこまでも優しくて、僕を気遣っているのがわかる。

恥ずかしさで目を伏せながらも、僕はまた小さく頷いた。

ベルトの金具がカチャリと鳴る。
ズボンのジッパーが静かに下ろされる音が、やけに大きく響いた気がした。
湊は焦ることなく、僕の身体の反応を確かめながら、布地を慎重に滑らせていく。

足首まで降ろされたズボンが、ゆるりと引き抜かれた瞬間、肌に触れる風がひどくこそばゆい。

「どうして、隠すの?」

タオルケットに包まった僕を見下ろして、湊が小さく首を傾げる。
不安を感じている僕の答えを促すように、穏やかに微笑みかけた。

薄暗いワンルーム。
カーテンの隙間から、熱を帯びた日差しが淡く差し込む。

「……。」

僕はゆっくりとタオルケットを捲り、一糸まとわぬ姿をさらした。

最近は肉が付いてきたとはいえ、痩せすぎた白い身体。
あまりの恥ずかしさに、視線を外して、ぎゅっと目を閉じた。

「十も年上の男の身体…嫌じゃないか?」

ありのままの姿で横たわる僕の肌を、湊の強い視線が撫でる。

「…きよちゃんは、綺麗だよ。」

確かめるように、そっと指先が伸びて、僕の鎖骨をなぞる。
その動きはあくまでも優しくて――けれど、どこか熱を帯びていた。

「こんなふうに、触れたかった…。」
低く掠れた声。
理性で抑え込んだ欲が、言葉の端にひそやかに滲む。

「好きだよ。……きよちゃんの全てが。…大事にする。」

真剣な瞳をした湊は、決して僕の愛を否定しない。

信じて大丈夫なんだと思うと、安堵で涙が零れた。

一瞬はっとする、湊へ

「安心したら、涙腺が緩んじゃって…。」

これは、不安から零れるものじゃない。

これからは、ここが僕の居場所なんだ確信できた。

そっと手を伸ばして、泣くと何度も慰めてもらった厚い胸板に触れた。
シャツ越しに、湊の熱が伝わる。

「俺、泣いてるきよちゃん、嫌いじゃないんだよね。…綺麗な涙だと思ってた。普段、物静かなきよちゃんから、溢れる感情みたいで。」

労わるように目尻を親指が拭う。
ああ、何気ない仕草で、いつも優しさをくれる湊が好きだ。

ゆっくりと湊のシャツの裾を掴むと、ためらうことなく頭上に引き抜いた。

「きっ、きよちゃん…。いいの?」


「ああ。」

湊の喉奥が鳴って、ほんの一瞬、瞳が色を変えた気がした。




労わるように、探るように触れてきた手のひらは、押し殺した吐息が漏れる頃になると、大胆なものへと変わった。
僕の存在を確かめるように、丹念になぞられていく。
くすぐったいような、心地よいような、多幸感にゆるゆると意識が溶けていく。

湊の匂いと熱が肌を包み込み、脈打つ鼓動まで伝わってくる。
ずっと求めていたものがそこにあって、堪らず手を伸ばした。

「きよちゃん、大好きだよ」
「僕も……」

言葉では足りない思いが溢れ、自然と身体が近づく。
熱を分け合うたび、境目が曖昧になっていく。

真っ暗な海の底。
一人ぼっちで、もう誰かと愛を分かち合うことなどないと諦めていた。
それでも、寂しくて、誰かを愛したくて、死なずにもがいていた。


湊の優しさが、そっと唇へ触れる。
僕のではない筋張った手が、頬を包み角度を変えて何度も降り注ぐ。
薄っすら瞳を開けると、慈しむように目を細めて微笑む湊。
胸の中で、何かが解けていく。
触れるだけの口づけは、いつのまにか吐息が混ざり合い、熱が深く入り込んでくるたび、心臓が跳ねた。

舌先が触れ合った瞬間、視界の端が白く滲む。
ただの温もりではなく、湊そのものが流れ込んでくるようで――怖いほど、愛しい。

するりと離れる気配を感じてー

「…やだ、…離れないで……」

咄嗟に呟いた一言は、自分でも驚くほど甘い声で。
次の瞬間、腕の中の僕を抱き寄せる力が増す。
肌と肌がぶつかり合い、吐息が耳元で熱を持った。

「……そんなこと言われたら、本当に止まれなくなる」

低く掠れた声とともに、唇が深く重なった。
息もできないほど長く、熱を奪い合う。


湊の熱が押し入ってきて、引きずられるように熱く絆されていく。

「…っだいじょうぶ…?」

荒い吐息で、欲に浮かされた瞳で、それでも気遣う湊が愛おしい。
獲物を前に、奥歯を噛み締めて耐える狼のようで可愛くて仕方がない。

「…うん。…もっと、おいで。」

ひと回り大きな背中を掻き抱くと、一ミリの隙間も許さないほどに抱きしめられた。
湊と、この先も生きていきたい。
…この先、何があっても、この決断は後悔しないだろう。

押し寄せては引く波のように、甘い快楽が繰り返し全身をさらっていく。

「…湊…みなと…。」

掠れた声で、何度も愛する名前を呼ぶ。
そのたび、湊の腕が僕をぎゅっと抱きしめ、逃げ場を塞ぐ。

「きよちゃんは、もう全部俺のものだ。これから先、絶対に離さない…覚悟してね」

耳元で囁く声は甘く、それでいて鎖のように重い。
背中を撫でる掌が、まるで境界線を塗りつぶすようにゆっくりと動き、僕を自分だけの領域へ閉じ込めていく。

熱が限界までせり上がり、視界が白く滲んだ。

次の瞬間、何も考えられなくなるほどの大波が、僕を呑み込んだ。
身も心もまとめてさらわれて、ただ湊の胸に縋りつく。
大きなうねりが静まるまで、その温もりにしがみつき、息を整えていた。




ビービーという耳障りな機械音で目を覚ます。
室内は暗く、肌寒い。
窓からは、頼りなげに月光が注いでいた。
玄関のチャイムか。
のそりと怠い体を引きずって起き上がると、自分が全裸であることに気が付いた。
隣にはスヤスヤと眠る穏やかな寝顔の湊。

二年という時を埋めるように何度も挑まれ、心地のいいまま、眠りに誘われた。
四時ごろに互いに空腹で目が覚めたのに、離れがたくてベッドの上で戯れている間に、また眠っていたようだ。
時間を確認すれば、いつものお弁当の配達時間。
ドアの向こうから、微かに航生の声がする。
ベッドを降りると、手早脱ぎ散らかされた服を拾う。
さっと身につけ、ドアへ向かおうとすると、強い力で手首を引かれた。

「…湊?」

起きていたのか。
湊は素早く身を起すと、僕を抱きしめた。

「お願い。相手が航生でも、そんな顔、見せないで欲しい。」

切実な瞳で頬を撫でると、湊も素早く服を身につけ玄関の向こうへ消えていった。
いやいや、僕は今どんな顔をしていると言うのか。
わからなく、恥ずかしくて、その場でへたり込んだ。


湊の実家から二人分のお弁当を届けらた。
ご飯が赤飯になっていることに困惑が隠し切れない。
湊は、家族へ何をどう話をしているのだろう。

「へへへ、明日からお弁当は俺が持ってくるから。落ちついたら、一緒に暮らそうよ。ずっとずっと、一緒にいて。おじいちゃんになるまでさ。」

人懐っこい笑顔で微笑むと、世界を一緒に回って来たリュックを漁って、お洒落な木箱を恭しく開いた。

「俺の手作りなんだ。」

シンプルなシルバーのリングには、控えめにこの島の波のような模様が掘られていた。

「ふふふっ、本当に涙もろいんだから…。」

感極まってしまった僕の涙を拭って、湊も幸福そうに微笑んだ。

「ああ、ずっとずっと一緒にいよう」
その言葉と同時に、湊は僕の左手を取り、薬指にそっと指輪をはめた。
次の瞬間、その指先に小さく歯を立てる。

「……絶対、離さないから」
囁きは甘く、けれど鎖のように重かった。
ぞくりと背筋が震えるのに、不思議と嫌じゃない。

怖いほど真っ直ぐなこの想いを、これからも受け止めていく。
湊の胸の奥にある、優しさも、独占欲も――その全部を。



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