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第二章 アルカディア王国編

41.ノアと図書室▼

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結局、ノアの謎の不機嫌はその後三日ほど続いた。

私はその間に宮殿の中を散策して、幾つかのお気に入りスポットを見つけた。園庭の美しさや様々な楽器が揃えられた音楽室に心が躍るのは当然なのだが、私の心をとりわけ捉えて離さなかったのは圧倒的なラインナップを誇る図書室だった。

アルカディア王国の歴史を紐解くための本は勿論のこと、隣国の成り立ちや文化に関連する本、芸術活動も盛んなアルカディアらしく絵画の技法に関する本などもあった。

幸いなことに、アルカディア王国とカルナボーン王国の文法は似た形を取っており、難しい議論などで無ければ日常会話に支障はない。加えて、カルナボーン王国では自国の国力の弱さ故か、将来を見据えて中等教育から第二外国語として近隣の強国の言語を学ぶ機会が与えられるため、私もなんとかアルカディアの言葉を理解することが出来た。

ノアはふらっと居なくなる猫のような人なので、彼が見当たらない時は図書室に来て時間を潰すようにしていた。古い書物の匂いは私の心を安心させ、アルカディアに関する知識を吸収することで少し、自分もノアに近付けているような気がした。


「こんな場所に居たんだ」

読んでいた本から顔を上げると、夕陽が差し込む窓をバックにノアが立っていた。手には数冊の薄い本を抱えている。

「はい。さすが宮殿の図書室ですね、色々な種類の本があってとても勉強になります」
「何の本を読んでるの?」
「今はアルカディアの歴史書ですが、国のことを知るために明日からは新聞も読んでみようと思っていて…」
「勉強熱心だね、リゼッタ。それだけアルカディアに詳しくなってくれたら将来も安心だ」

手に持った本を棚に置いて、冗談とも取れないことをノアはサラッと言う。
間に受けてはいけないと頭に警告を出しながら、近付いてくるノアに向き直った。今日は会話こそしてくれるものの、相変わらず視線は重ならない。

「……あの、私何か気に触ることをしましたか?」
「どうして?」
「いえ。少し…いつもと違う気がして、」

遠慮がちに問い掛けると、彼は小さく溜め息を吐いた。

「リゼッタは何も悪くないよ。俺に余裕がないだけで」
「余裕?」
「どうしてだろうね、自分でも分からない」
「ノア……、」

「ノアー!どこに居るの?」

口を開いたところでアリスの声が被った。驚いて顔を見合わす。カツンカツンと靴が廊下を蹴る音が近付いてくる。私は息を殺してノアの目を見つめた。

その時、何の前触れもなくその大きな手は私を抱き寄せた。鼻先がくっ付くほど近くなる距離に思わず身を引こうとすると、ノアは腰に手を回して「動かないで」と囁いた。

「もう~どこに行ったのよ!こっちに行く後ろ姿が見えた気がしたんだけど。部屋かしら?」

アリスの大きな独り言がすぐ側で聞こえる。
声の大きさからして、おそらく本棚を挟んで反対側にいるようだ。バクバクと高鳴る胸の鼓動は、きっとノアにも聞こえている。

ノアは棚に手を突いて、隠すように私を尚も強く抱く。その身体からは花のような甘い匂いがして、緊張と恥ずかしさで目には薄っすらと涙の膜が張った。

永遠のような時間が早く過ぎ去ることを願いながら、ノアと視線を絡ませる。息を呑むと上下する喉元を見つめた。

「ほんとにもう~!」

地団駄を踏んで、諦めたようにアリスの足音が遠ざかって行く。胸を撫で下ろしながら息を吐いた。ノアがアリスに見つかることを恐れる理由は理解できる。もう夕方の黄金色の時間も終わろうとしている。夕食に向かわなければいけなくて、こんな場所で時間を潰したくはないはずだ。

図書室の扉が閉まるバタン、という音が聞こえて心の底から私は安堵した。しかし、どういうわけか、まだ離れる気配のない腕の持ち主を見上げる。

「そんな目で見ないで」
「え?」
「リゼッタのこと欲しくなる」
「……っあ、」

腰に回っていた手が胸の膨らみに添えられる。突然のことに驚いて、短い嬌声が漏れ出た。空いている方の手がスカートの裾から入って来て、ショーツの隙間から長い指が侵入して来る。さすがにそれには焦って、私はノアの手に自分の手を重ねて制止した。

「やめてください!」
「なんで?」
「ここは図書室です、本を読む場所ですよ…!」
「でも濡れてるよ」

ノアの指が割れ目を這って、私は顔が赤くなるのを感じた。羞恥のあまり逃げ出したい心とは裏腹に下腹部は熱を持て余している。しかし、場所が場所故に、私は理性を叩き起こして何とかノアの肩を押した。

「やめて、」
「期待してるのに何で強がるの?」
「……だめ…っ人が、来ちゃう…!」
「君が静かにしていたら大丈夫だ」

言うなり口に指を捩じ込まれて舌の動きを封じられた。抵抗してもビクともせず、ただ溢れた唾液がノアの手を伝わって落ちていく。

「っひゃだ、」
「嫌なら我慢して。出来るよね?」

意地悪なノアの言葉に仕方なく頷く。こんな場所で行為に及んでいる背徳感からか、与えられる刺激はいつもより強く感じた。小さな水音が周囲に聞こえないことを強く願いながら目をギュッと閉じる。

どういうわけか私の身体の良いところを知り尽くしているようなその手の動きは、あっという間に私の気持ちを高めて、私は呆気なくすぐに達した。

「…ん、はぁっ……」

抜き取った指を舐めながら「我慢できなかったね」と残念そうに笑うノアを睨む。いくら娼婦と言えどこんな扱いは無いだろう。それとも彼は恋人に対してこんなことを強いるのか。

「もう二度とこんなことしないでください」
「ごめんね。怒った?」
「怒りました、かなり」
「でも気持ち良かったよね…?」

目を合わせてそんなことを言われると何も言い返せなくなる。手を後ろに組んでニコニコと私を見下ろす意地の悪い王子に頭を下げて、私は自分の部屋へ戻ることにした。

廊下を突進する私の後ろを、ゆったりした足取りでノアが歩く。精一杯歩いているはずなのに距離が開かないのは脚の長さの問題なのだとしたらとても悲しい。

ようやく部屋に到着したので扉を閉めようとしたが、ノアは当然のように笑顔で部屋に入って来た。

「ノア、私は怒ってるんです!」
「うん。知ってるよ」
「入って来ないでください、」
「君が怒ってても泣いてても構わない。泣いてる君を相手にするのは心が痛むけれど、怒ってる顔を見ながら抱くのは結構興奮しそうで良いね」

恋人のお願いだから叶えて、と甘えるように目を覗き込まれると困ってしまう。今更のことだけれど、彼はだいぶ常識外の人間だ。私が併せ持った既存の価値観が当てはまらない。

「……貴方の愛は苦しいです」

吐き出した細い声はノアの耳にも届いたようだった。少しだけ目を開いて驚いた顔を作って見せた後で「平凡過ぎて忘れられるよりよっぽど良い」と笑う。

ノアの恋人の振りなんて軽く承諾してしまったけれど、実はとんでもない大役だったようだ。このまま彼の愛を恋人として受け続けていたら、お役御免となった時に私の心は壊れてしまわないだろうか。

そんな心配すら一瞬で消し飛ばすように、ノアは私を強く抱き締める。

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