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17 ハンベルク邸
しおりを挟む結局、なんとか一人で二人前のサンドイッチを食べ終えた頃には雨が上がっていたので、私はユーリの元を後にした。思っていたほど悪い人ではなかったことに、心の中でこっそり謝罪も添えて。
母方の祖父であるハンベルク子爵の家に行くのは何年振りだろう。母が生きていた頃はよく家族で遊びに行ったが、いつからか疎遠になってしまって、年に数回の手紙のやり取りがかろうじて続いている程度だった。
父ダフマンが訪問する旨を伝えてあるということは、祖父母はきっと待ってくれているはず。ユーリのおかげで雨宿りも出来たし、道がぬかるんでいることを除けば、良いハイキングだ。
(知れば知るほど変な人ね………)
はじめは王立騎士団の団長ということもあって、かなりの堅物と警戒していたけれど、仕事を離れた場所で見た彼はそこまで恐ろしくなかった。
ユーリの言葉が頭の中でゆらゆら揺れる。
簡単に人を信じてはいけない、その言葉の意味は理解出来る。だけど、ずっと疑心暗鬼で生きるのは苦しいし、何より辛い。
いっそ、記憶がなければ良かったと思う。
何も知らずにまたもう一度、やり直せたら。
◇◇◇
「ジャンヌ!すっかり大人になって!」
久方ぶりに再開したハンベルクの祖父母は変わらぬ笑顔で私を迎えてくれた。しっかりした抱擁を受けながら、丸い背中を撫でる。
「お祖母様、お久しぶりです。お祖父様は……?」
「今は部屋でゆっくりしてるはずよ。この年齢になると、なかなか若い頃みたいに動き回れなくてねぇ」
すぐ疲れちゃう、と眉尻を下げて言う祖母の肩は、記憶の中のそれより痩せている。何かと理由を付けて会いに来なかったことを悔いた。
祖母の呼びかけで階段を降りて来た祖父もまた、嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして笑ってくれた。笑うと祖父は亡くなった母キャサリンにそっくりで、私は目元にギュッと力を入れた。せっかくの再会なのだから、泣いてはいけない。
「結婚式、素敵だったわ。邪魔しないように見守っていたんだけど、貴女がたくさんの人に囲まれていて安心したの」
「お祖母様………」
それはおそらくイーサンの友人たちだろう。入れ替わり立ち替わり挨拶に来てくれたから、誰が誰だか覚えていないけど、彼の交友関係の広さはよく分かった。
「アマンダは元気?ダフマンさんは?」
「お父様もアマンダも元気です」
「まだ一緒に住んでいるの?」
「はい、アマンダは医療学校に通い始めました。亡くなった両親のような人たちを助けたいと」
「アマンダが?」
祖母は驚いたように目を丸くしたが、すぐに表情を改めた。私は気になって口を開く。
「どうかしましたか……?」
しわの寄った手を摩りながら、祖母はどこか迷いのある様子で目を泳がせていた。やがて、短い溜め息とともに私の方へと向き直る。
「こんなこと言うのは変だけど…… アマンダがマルジェラのことをどう思っていたのか私には分からないの。マルジェラは親子の関係で悩んでいたようだったから………」
「…………?」
私が思い出すのは葬式で泣きじゃくるアマンダの姿だけで、小さい手で必死に棺桶にしがみつく姿は子供ながらに胸が痛んだ。
アマンダの母マルジェラは奔放な人だったと聞いている。子爵家を飛び出して駆け落ちしたという経緯があるので、祖母自身も何か思うところがあるようだが、亡くなってしまった今となっては触れることもない。
「ジャンヌ、生活は大丈夫?ダフマンさんも忙しいと聞いているし、もし何か困ったことがあったら、」
「心配しないでください。嫁ぎ先は父が務めるヘルゼン商会の会長のご子息なんです。使用人もたくさん居て身の回りのことをやってくれるし、夫であるイーサンも優しくて、伯爵夫妻だって……」
言いながら虚しくなった。
まるで自分に言い聞かせているみたいで。
「とにかく、毎日充実しています。家庭教師の仕事は辞めて正解でした。今の私にはヘルゼンの屋敷でやることがたくさんありますから」
「そう。なら良いのだけど……」
ホッとしたような祖母の顔を見て、これで良かったのだと胸を撫で下ろす。肘掛け椅子に座っていた祖父もまた、安心した様子で微笑んでいた。
老いた二人に無駄な心配を掛けたくない。
元気に過ごしていることを伝え続けないと。
私はまた来ることを約束して、ハンベルク邸を出発した。
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