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第一章 ジャンヌ・クレモルンの結婚
18 運命
しおりを挟むヘルゼン伯爵家へと戻るバスの中で、私はアマンダの具合が悪いことを思い出した。時刻はもう夕方に差し掛かっていたけれど、せっかくの機会なので寄っておいた方が良いだろう。幸い、クレモルン邸はヘルゼンへ戻る途中にある。ハンベルクの祖父母から預かったジャムも渡したい。
軽くなったバスケットを片手に私はバスを降りる。余ったサンドイッチは道中で出会った鳥や動物に分け与えた。持ち帰ってもどうせ食べ切れない。
(病人に古いものを渡すのもダメだし、)
父ダフマンの話が正しければ、アマンダはひどい腹痛でベッドから動けないという。音楽学校に通っていた頃も、朝方は体調の不調を訴えることが多かったから、またその傾向が出ているのかもしれない。新しく始まった学校生活に身体がストレスを感じているのだろう。
「ジャンヌお嬢様!」
呼び鈴を鳴らすと出て来たのはメイドのケリーだった。クレモルン男爵家に仕える唯一の使用人である彼女は、おそらくこの屋敷の誰よりも邸のことに詳しい。何が何処にあるのか、なんて質問にはすぐに答えてくれる。
「お久しぶりでございます……!ヘルゼンへ行かれてまだ二週間ほどしか経過していないのに、私と来たら懐かしくって……」
そう言いながらポケットからハンカチを取り出したケリーは大きな音を立てて鼻を擤む。私は訪問の目的を伝えて、ケリーに続いて屋敷の中を歩き出した。
「アマンダ様の容態が悪くなったのは本当に突然のことだったのです。昨日の夕食時には特段変わった様子はなかったのですが、今朝になって急にお腹が痛くて堪らないと………」
「ええ、父に聞いたわ。今日はお母様のお墓へみんなで行く日だったから、残念だったけど、仕方がないわよね」
「左様でございますか……キャサリン様はお優しい方ですから、きっとお許しになられるはずです」
古びた建物の階段は螺旋状になっており、私は手摺りを持ちながら歩みを進めた。アマンダと私の部屋は廊下を挟んで向かい合っている。
古いながらも、クレモルンの屋敷内はケリーのおかげで清潔に保たれている。私が去ってどうなることかと少し心配していたけど、彼女のおかげで著しい変化は見当たらない。
「アマンダ様、ジャンヌお嬢様がいらっしゃいました。ご案内しても良いですか?」
ケリーの呼び掛けに対して、高い声で返答があった。
二人で並んで扉を押し開けると、想像よりいくらか明るい顔でベッドに横たわるアマンダの姿が目に入った。
「アマンダ!体調はどう?」
「うん、だいぶ良くなったわ。本当にごめんなさい。自分がこんなに病弱だと思わなかった……」
悲しそうに目を伏せるから、私は気の毒になってそのブロンドの美しい髪を撫でた。長い睫毛を震わせて、アマンダが顔を上げる。
「ジャンヌは良いわよね…… 素敵な旦那様と立派なお家があるんだもの」
「え?」
「イーサン様は素晴らしい旦那様だと思うわ。小父様もよく仰っていたけれど、絶対に手放しちゃダメよ」
「そうね。だけど、騎士団のお仕事が忙しいみたい。今日だって急に稽古が入ったって」
私一人で行ったのよ、と肩を落としながらバスケットを見せると、アマンダは同情を示してくれた。
「それは大変だったわね…… でも、元気に帰って来て良かったわ。あっちの方って今日は雨の予報だったでしょう?滑って怪我でもしたらと思って、心配だったの」
私は瞬きをしてアマンダを見た。
「驚いたわ、詳しいのね?」
「たまたまよ、小父様が教えてくれたの。出掛けた先で新聞を読んだみたい。腹痛のお薬も飲んだし、私はすっかり元通りよ」
「なら良かった。ハンベルクのお祖母様たちから手製のジャムを預かってるから、お父様に渡しておくわね」
「まだ元気だった?」
私はバスケットからジャムの瓶を取り出しながら、背中越しに二人の様子を伝える。目立った病気はないものの、老いは確実に迫っていると。
アマンダはベッドの上で足をぶらぶらさせながら、考え込むような素振りを見せた。
「どうしたの?」
「いいえ…… ただ、ジャンヌは歓迎するんだなと思って。お祖母様たちは私のことを嫌っているから、きっと私が一人で行っても中へ入れてはくれないわ」
私は驚いてアマンダの方へ向き直った。
「そんなことないわ!お祖母様もお祖父様も、貴女のことを心配していたもの」
「私、知っているのよ。お母様が二人の反対を押し切ってお父様と結婚したから、もうハンベルクとは何の関係もないの。つまり、」
そこまで言ったところで、部屋にノックの音が響いて私たちは扉の方を振り返った。視線の先には、いくぶんか疲れた父ダフマンが顔を覗かせている。
「ジャンヌが来ているとケリーに聞いてね。私はもう少し仕事をしているから、もし夕食を食べるなら一緒にどうだ?」
「あ……そうですね、私もぜひ一緒に食べたいのでヘルゼンのお屋敷に電話してみます」
そう答えると、父は安心した顔で笑顔を見せて、扉の向こう側へと消えた。
私はアマンダの方へと身体を向ける途中で、椅子の背に乱雑にコートが引っ掛けてあるのを見つけた。
「外へ出掛けたの?」
何気ない質問だったが、アマンダは驚いたように少し目を見開いた。
「どうしてそんなこと聞くの?」
「いえ、コートが出ていたから。アマンダでも出しっぱなしにすることがあるんだなと思って」
綺麗に整えられた部屋の中で、異質な気がしたので聞いただけ。大した意味はないのだと説明すると、アマンダは微笑んで見せた。
「ふふっ、私だって忘れることがあるわよ。この頃学校のことでも忙しくって、ケリーや小父様にもお世話になりっぱなし」
「大切な夢のためよ。みんな分かってるわ」
「ありがとう。貴女もイーサン様とお幸せにね」
二人は運命なんだから、と無邪気に喜ぶアマンダの顔を正面から見れず、私は曖昧に頷き返した。その運命を斬り捨てる方法を探していると告白したら、彼女はなんと言うだろう。
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