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第36話 遺言状2

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「なぜかあなたの自己評価が低いような気がしてたのは、そういうことだったのね」

 母に唐突に抱きしめられた。私の方が背が高いので母の髪が私の鼻のあたりになりくすぐったい。

「期待したら潰れてしまうと思ってた。貴方がそんなにしっかりした考えをする子と気づかずにいてごめんなさい。私たち、ちゃんと貴方のことわかってなかったわ」

「もっとも実の娘にそう思わせてしまっていたのは、おじ様とおば様の怠慢だと思いますよ。まだ間に合ううちにレティエの本音が聴けたのは幸いですよね」

 私の後ろからミレーヌが容赦なくずっぱりそう言い切る。そういうきついことを言っても相手に許してもらえるだけの仲であると確信している甘えもあるのだろう。

「そうね、ミレーヌのいう通りだわ。ごめんなさいレティエ……」

 ミレーヌの言葉に反省する母のその素直さが好きだ。私は母の背中を抱きしめ返す。

「私が勝手にいじけていたのが悪いのです。お二人の考えも知らずに……ごめんなさい、お父様、お母様、ミレーヌも……ごめんね」

 私の謝罪にミレーヌが照れたように鼻の頭を掻いている。
 
「ううん私、自分に対して言ってたんだわ。レティエがそう思ってることも見抜けなかった自分の節目さ加減にね。おば様たち、八つ当たりしてごめんなさい」

 母に抱き着かれている私の側に父が寄ってきて頭を撫でられた。そんなことをされたのはいつぶりだろう。

「引っ込み思案なお前だから、もし嫁に行きたくないというなら、この家でずっと暮らしていけるようにしてあげたいと思っていたんだ。私たちの気遣いが、かえってお前を傷つけていたなんて思わなかった。すまなかった……」

「甘やかしすぎですよ、お父様」

「貴族とはいえ家のために結婚するというのがなじめなくてな……。私たちが恋愛結婚だったから、もし結婚するとお前もそうするのが当たり前と思い込んでいたみたいだ……。なのにお前は外に出歩かないから、結婚願望ないんだろうなと勝手に判断してたよ」

 え、お父様たち恋愛結婚だったの!? 知らなかったのだけど、と母の方を見ると、言ってなかったかしら? といつものようにおっとりと首を傾げている。
 本当に色々と勝手に思い込んで思い悩んで、そして自分で自分を傷つけていただけだ。涙ぐんだ母をソファに座らせてハンカチを手に握らせた。
 私のせいで謝り大会みたいになっているのが申し訳なく感じる。

 気持ちを切り替えて、置きっぱなしになっていたおばあ様の遺言状の写しに手を取った。私に関する部分を読みなおして、今更疑問がわいてきた。

「ねえねえ、ミレーヌ……なんで本は私に贈られるのかしら?」
「私が本を貰っても読まないからじゃないの?」

 ミレーヌが私の側に寄ってきて、二人で書類を覗き込む。ミレーヌも人気の少女小説のようなものは読むが、私ほどなんでも読むというわけではない。
 ようやく落ち着いた母がソファに座りながら話に参加してきた。

「レティエがあそこの家に行く理由を残してくださったのではないかしら」
「どういうこと?」 
「あそこに本があったらレティエなら読みに行くでしょう? 今後もどうせ本を読んで増やしていくでしょうし」

 それを聞いて私は自分の顔に血が上るのが分かった。
 私がこっそりと買って読んで家には置いていなかった本の数々を、おばあ様の家に置いていたことを母は気づいていたのかもしれない。もっとも家に置いてある本だって少ないとは言えないけれど。

「本の管理もしなくてはいけないし。レティエならおばあ様の本を売ったり粗末にしないで大事にしてくれるのわかるもの。ミレーヌがあそこに住むとしても、レティエと縁を切らさないでほしい、二人でいつまでも仲良くしなさいってことだと思うわ」
「でもそんな理由作る必要あります? なんであの家にレティエの本があることがそういう意味になるんですか?」

 ミレーヌが、レティエなら私の家にいつでも来ればいいじゃない、と唇を尖らせると、母は首を振る。

「あの家に将来ミレーヌが住むというなら、その時貴方はよほど困窮しているか、身寄りがないという時よ。もしミレーヌがその時に誰かと一緒にあの家に住んでたら、レティエはその人に遠慮をして顔を出しにくくなるでしょう? でも、レティエの『財産』と呼べるものがあの家にあるとなれば、その人はレティエの訪れを断れなくなる。定期的に訪れるいとこの存在って、ミレーヌになんらかの害意を持って騙そうという人間がいたとしたら、相当脅威よ?」

 母の推測を聞いて頭を殴られた気になった。成人したミレーヌが財産を持つ一人の女性として世界の中に放り出させられる可能性のことなんて考えたこともなかった。そんな女に悪意を持って誰かが近づく危険性は高いのだ。
 そして彼女だけでなく、私もそのような目に合う可能性があるということも思い知らされた。
  
「とはいえ、貴方たちがどうなっていくかはわからない。2人とも頼れる人に出会って幸せな結婚をしたり子供が生まれるかもしれない。だから本の相続に対しては自由度が高かったんだと思うわ。おばあ様の遺産は最悪に備えた保険よ。私たち親はいつかは貴方たちより先に逝く運命ですもの。だから同世代の貴方たちはいつまでも何かあったらお互いに助けあえるようにしていてほしいわね」

「おばあさ、ま……」

 おばあ様は自分が死んだ後のことまで心配してくれるほど、私たちのことを思ってくださったのに、私は甘えて受け取る一方でなんの恩返しもできなかった。

 ごめんなさい。間に合わなくて。
 おばあ様の思い出の庭園も探しきれなくて、見つけられなくて。

 おばあ様の葬儀の最中では、出なかった涙が後から後からあふれてくる。
 ぽたぽたと落ちた涙が胸を濡らして色を変えていく。

「レティエ……」

 私が渡したハンカチを手に持っていた母は、そのハンカチで私の涙を拭いてくれた。
 今度は私が母の胸に頭を預け、涙を流す番だった。
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