夜は異世界で舞う

穂祥 舞

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7 萌芽

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 その夜の20時過ぎに、晶はめぎつねにやって来た。常連の2人組、藤田と牧野が、年内は忙しくてもうめぎつねにもルーチェにも行けないと言って、もしショウさんが来たら伝言して欲しいと先週言っていた。晴也は付箋ふせんにそれを書き留め、晶のボトルに貼っておいた。

「それがこれな」

 晴也は晶のボトルを棚から下ろして、ピンク色の付箋を見せた。近眼の晶は付箋を剥がし、目を通して笑みを浮かべる。

「この店でファンが出来て嬉しいなぁ、先週ルーチェに花を届けてくれたんだ」

 美智生はカウンターにちゃっかり自分のグラスも並べながら、言った。

「誕生日の?」
「ええ、白い薔薇の大きなのを……役がついた公演の楽屋見舞いにもそんなの貰ったことなかったから嬉しかったです」

 誕生日だというのに、あの朝は冷めた態度だった晶だが、意外なお祝いは嬉しいらしかった。
 美智生がロックアイスを入れたグラスに、晴也はゆっくりと余市を注いでいく。

「ショウさん水割りでいいんだよね?」
「うん」

 晴也は普通に訊いたのだが、美智生がおやっという表情になったのが視界の隅に入った。ハルちゃんこっちも、という声がかかり、晴也はカウンターを出てそちらのテーブルに向かう。
 その時、遠慮がちに扉のベルが揺れて音を立てた。顔を覗かせたのは、中年の女性である。一番近い場所にいた晴也は、そちらに足を向け、いらっしゃいませ、と声をかけた。女性がそれ以上扉を開けようとしないのがやや不審だったので、晴也は彼女を覗き込んだ。すると彼女は驚いたように言った。

「えっちゃん……!」
「えっ、俺……?」

 晴也はその女性に隠れるようにして、もう一人男性がいることに気づいた。良く知っている顔だった。晴也は息を止めて身体をこわばらせた。

「山形さん……」

 晴也の様子がおかしいことに、ママが真っ先に気づいてくれた。すたすたとこちらにやって来て、扉を開けて全てを察したようだ。

「ハルちゃんは出て来るな、俺が話をつけるから」

 ママは扉の向こうにするりと出て、後ろ手に扉を閉めた。晴也はどきどきする胸に思わず手をやる。山形は申し訳なさそうに項垂れ気味になり、上目遣いで晴也を見ていた。
 カウンターのショウの横には、いつの間にかナツミが座っていた。彼は予告通りの行動に出たということらしかった。山形の姿を見たのとは違うざわめきが、晴也の気持ちをかき混ぜる。

「ハルちゃん、どうしたの?」

 ナツミは晴也の顔がこわばっているのを見て、言った。晶も怪訝な顔をする。山形が来ていると、正直に言うべきか。

「いや、ママが対応してくれてるけど、山形さんが……女の人と来てるんだ、たぶん奥様だと思う」

 ナツミのにこやかだった表情が豹変し、晶も眉根を寄せた。

「謝りに来たのかも……」

 晴也は感じた通りに言ったが、二人とも深刻な顔を崩してくれない。

「謝って済むなら警察要らないわよ」
「全くだ」

 カウンター周辺の空気はすっかり淀んでしまった。晴也はちょっとうつむいた。

「返す返すもごめん、俺の不注意で起きたことだ」
「どうしてハルさんがそんな風に言う? 襲われた方が悪いって誰か言ったのか? ならそいつをここに連れて来い」

 晴也が目を上げると、晶が怒りをはらんだ顔になっていた。少し怖くなる。

「ショウさん、そんな怖い顔したらいい男が台無しよ、ショウさんの意見に私は賛同するけど」

 ナツミの言葉に、晶は毒気を抜かれたような顔になった。そして晴也にごめん、と小さく謝った。
 ママはしばらくして店内に戻ってきた。

「やまりん、奥様と一緒に謝りに来たよ、ハルちゃんに謝りたいって言ってたけど拒否した……ハルちゃんは優しいから顔見て謝られたら許すと思う、でもそうするには少し早い」
「早いって……」
「謝って許しを得たら直ぐに再犯に走る奴もいるからな、お灸を据えておくんだ」

 晴也は頷くしかなかった。この話題が不快だったのか、晶はその後あまり積極的に話さなくなった。ナツミが常連客に呼ばれてカウンターを外した時、ちょうど晴也は帰った客のグラスと皿を下げてカウンターの中のキッチンに入ったが、晶はもう水割りを追加する気も無さそうだった。

「調子良くない? 疲れてるんじゃ……」

 晴也は昼間も彼の顔色が良くないように見えたことを思い出し、こそっと晶に訊いた。彼は案外素直に不調を認めた。

「うーん、朝から風邪薬飲んでるんだ」
「そうなのか? もう帰った方がいいよ、薬効かなかったら病院行け」

 晶はそう言う晴也の顔を、眼鏡越しにじっと見つめた。晴也は気恥ずかしくなる。

「ハルさんが俺にねぎらいの言葉を……」

 言いながら目を細め、蕩け気味になる。

「こんなお言葉を賜われるなら入院してもいい」
「くだらないこと言ってるとマジで入院しなきゃならないようにするぞ」

 晴也はむっとして応じた。全く、入院している人は好きでそうしてる訳じゃないのに、馬鹿なことを。

「ごめん、これは良くないな」

 晶は晴也の不快感の理由を察したように言った。分かりゃいいんだよ。晴也は彼と目が合うと、ほんのわずかに口許を緩めてから、ふいと視線を外した。
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