夜は異世界で舞う

穂祥 舞

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10 暴露

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「泣いても駄目だよ、今夜はハルさんに一歩踏み出してもらう」

 晶は晴也の手首をそっと離し、テレビの横の棚から、お香が入っているのとは別の、平たい箱を下ろす。その中には切手や封筒が入っていた。晶はさらりと命じた。

「今ここであの夫婦に返事を書け」
「……嫌だ!」

 晴也は駄々をこねる子どものように叫んだ。熱い涙がひっきりなしに湧いてくる。

「はがきがいい? 封書がいいかな」
「書かないって言ってんだろ!」
「駄目だ、今すぐ書け、俺が預かって投函するから明日先方の住所を教えて」

 晶は全く譲ってくれそうになかった。晴也は悔しくて唇を噛みながら、晶の出した淡い水色の便箋と万年筆を見つめた。

「じゃあこの間にお風呂沸かそうかな」

 晶は立ち上がり、パイナップルの皮だけが残された皿を下げて洗面所に向かう。晴也は怒りと悔しさに泣きじゃくった。何でこんな屈辱的な目に遭わなくてはいけない。
 リビングに戻ってきた晶は、晴也が泣き続けているのを見て、小さく溜め息をついた。晴也の眼鏡をそっと外し、ティッシュで目許や頬を拭くと、万年筆のキャップを外して晴也に握らせる。
 観念した晴也は泣きながら書きつけた。……ご無沙汰しております。晶の万年筆は、ボディが重いがとても書き心地が良かった。突然年賀状をいただき、驚きました――。

「ハルさん綺麗な字だな、惚れ直すよ」

 晶は手紙をちらっと覗き、言った。そして3分の1ほど残っているワインの瓶に栓をして、グラスとともにキッチンに持っていった。
 晴也は渋谷での話は一切書かず、新卒で入った会社に今も勤めていることと、都内に暮らしていることだけを書く。お嬢さんがいると初めて知りました、可愛いですね。そして、会いたいとはひと言も書かないで、手紙を結ぶ。

「住所を知られたくなかったら、ここの住所を書いて、吉岡方にしておけばいいよ」

 晶は言ったが、晴也は自宅の住所を封筒に書いた。それは、積極的に繋がりたくはないが、存在を控えめにアピールしたい気持ちの現れだった。

 便箋を入れ、封をする。晴也は晶の顔を見ずに封筒を彼に差し出した。

「……やってみたら簡単なことだろ?」
「……こんな嫌な思いをしてまでやるべきことだとは思えない」

 晶は晴也の言葉に苦笑した。晴也は疲れ果てて、ソファにぐったりと身体を預けた。

「きっとやっておいて良かったと思えるよ」
「どうだか……俺帰るわ、一人になりたい」

 晴也はそれこそ投げやりな気持ちになり、言った。いつも自分を楽しませて、良い気持ちにしてくれる晶から、いきなり平手打ちを食らったような気分になっていた。

「またそんなことを言う」

 晶が言い終わらないうちに、風呂の沸くチャイムが鳴った。晴也は呟く。

「帰る」
「駄目だって、ご褒美に気持ちよくしてあげるから」
「そんなの要らない、誰か他の奴にしろよ」
「俺はハルさんにしかしたくない」

 まだこれ以上の屈辱を俺に課すのか。晴也は惨めになって、新しい涙を浮かべた。

「嫌だ、これ以上おまえに踏み込まれてぐちゃぐちゃにされるのは」

 晶は顔から笑いを消した。

「ハルさん、くだらないって言ったり嫌な思いをさせたりしたのは悪かった、でもハルさんにとって大事なことだと俺は思ったんだ」
「だからって……」

 言葉が続かなかった。晴也だってわかっていた。この年齢になって、他人からこんな風にさとされるのは有り難いことだ。晶が自分に対して真剣に向き合ってくれていることも、感じる。だが。

「……どうしてショウさんはみっともない俺ばっかり見たがるんだよ、嫌なんだって……好きな人にカッコ悪い姿は見せたくない」

 あ、と晶は小さく言った。

「俺が好きだからみっともないことはしたくない?」

 晴也は沈黙した。口を滑らせたかも知れない。

「俺は誇り高いハルさんが好きだ、でもそのプライドがあなたをたまに苦しめてるから、俺の前では肩の力を抜いて欲しいんだ」

 晶は真剣な表情になり、晴也の手を両手で包む。

「カッコ悪くなんかない、感情を露わにして泣いたり気持ちよくて声を上げたり……素敵なことだ」
「……そんなこと言って、そのうちそれが鬱陶うっとうしいとかなるんだろ? 俺は自分の経験は無いけどそんな話はいくらでも知ってる」

 晴也の言葉に、晶はくくっと笑う。

「ハルさんは保険も掛けたいのか」
「保険?」
「確かに人の気持ちは変わる、それはお互い様だよ……ハルさんは俺が歳を取って踊れなくなったら、俺から離れて行くだろうなとか思うし」

 そんな、と思わず晴也は言った。

「俺そんなに薄情じゃないぞ」
「俺だってそんなに飽きっぽくない」

 晴也は返す言葉が無かった。そして、自分はやはり幼稚だなと思った。ひとつ息をつく。やがて晶は優しく言った。

「歯磨いて風呂入ろうか、ちょっと狭いけど背中流すよ」

 一緒に入らないといけないのだろうか。晴也は疑問に思ったが、晶が楽しげに箪笥たんすからタオルを出し始めたので、拒否する気になれなかった。
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