夜は異世界で舞う

穂祥 舞

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extra track ハルさんと踊る

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 あきらは良く知る、広々としたレッスン場で脚をほぐしていた。鏡の前には、小中学生の生徒たちがずらりと並び座っている。晶が毎週月曜日の夜にダンスを教えている子たちである。こんな真っ昼間に、何のために来たんだったかな。晶は思い出せない。
 実家である、吉岡バレエスタジオの長方形のレッスン場は、晶が今まで見てきたレッスンルームの中でも、5本指に入るくらい立派だ。壁には木のバーを巡らせてあり、正面は全面鏡張り。大きな窓からは、晴れた日には太陽の光が入るが、室内に直射しないように位置が考えられている。もちろん冷暖房完備で、隣接する更衣室も広々としていた。

「あら晶、もう踊れそう?」

 レッスン室のドアが開くと、母が普段着で入って来た。生徒たちがこんにちは、と大きな声で彼女に挨拶する。

「皆さんレッスン外の時間なのによくいらしたわね、今日はショウ先生のバレエを楽しんで行ってくださいね」

 生徒たちは楽し気にはあい、と応じる。は? と晶は脚を揉む手を止めた。

「待って、何を踊るって? 聞いてないぞ」

 不良息子の言葉に、吉岡バレエスタジオの主催者は、眉間に皺を寄せた。

「生徒さんたちの前でしょう、つまらない冗談はやめなさい……来年3月の発表会にゲスト出演してくださるダンサーとの初稽古でしょ?」

 晶は驚いて立ち上がり、母のもとに歩み寄った。彼女は常に横暴だが(こんな大きなダンススタジオを運営する女王なのである意味当然だった)、相手が誰かも、何を踊るのかも聞いていない。しかもバレエと言わなかったか。生徒たちに聞こえないよう、小声で苦情を申し立てた。

「マジで待てって、何にも知らないし、大体俺クラシックはもう10年近くまともに踊ってないし……」

 その時再びドアが開いた。入って来たほっそりとした男性の姿に、晶は仰天する。少しウェーブのかかった柔らかそうな髪に、白い肌。

「ハルさん……?」

 長袖のTシャツにレギンスという、完全にダンサー仕様の晴也はるやは、顎を上げて晶を嫌な顔で見た。

「おまえがやる気無いなら帰るぞ」

 母は彼のこういう口の利き方を良く知るかのように、笑いながら言った。

「福原さん、ごめんなさい……晶は馬鹿だけれどちゃんと踊りますから」
「吉岡先生、生徒さんの前でしたね、すみません……いつもの調子でやっちゃいました」

 にこやかな晴也は母と既に知り合いなのか。晶は珍しく混乱した。しかも晴也が、手にしていた巾着袋から出したのは、赤いトウシューズだった。

「待ってハルさん、それで踊るのか?」
「は? 俺おまえの相手役じゃなかったっけ?」
「そういう意味でなく……」

 男性舞踊手はトウシューズを履かない。コミックダンサーで、女装して踊る人たちはいるが、相当の訓練が必要だ。足の大きな男が細くて小さなトウシューズで踊るのは、足への負担が大きくて危険なのである。
 驚いて失語する晶の前で、晴也は腰を下ろして赤いシューズの先を慣らすために数度押した。そしてタイツに包まれた、ほっそりとした足を入れ始めた。やけに艶めかしい所作に、晶の目が釘づけになる。何故赤いトウシューズなんだろう? 普通バレエの練習に使うシューズは、肌の色に近いという意味で、淡いピンク色だ。吉岡バレエスタジオでは、10年間通い続けた女子の生徒に、赤いトウシューズをお祝いに送るという習慣がある。赤いシューズは、そういう意味で特別な、生徒たちの憧れのひと品なのだった。
 晴也はきれいなカーブを描いた足の甲にリボンを交差させ、細い足首に巻きつける。赤い蛇が彼の脚に這い上がっていくようだ。バレエダンサーがトウシューズを履く姿は美しく、晶は基本的に好きである。しかし晴也の様子はほとんど煽情的だった。
 母は晴也の準備が整ったのを見て、レッスン場の隅のコンポに向かう。鏡の前に座る生徒たちは、期待の表情になっている。下手な踊りは見せられない。だが……。
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