たっくんは疑問形 〜あなたと私の長い長い恋のお話〜

田沢みん

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最終章 2人の未来編

13、お前さ……すぐに泣くだろ? side拓巳

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「お前さ……すぐに泣くだろ? 俺がいなくなったら絶対に泣くじゃん?」

 小夏のこめかみの傷痕を指でなぞりながらそう呟いたら、膨れっ面をして「たっくんのせいじゃん!」と睨まれた。

「俺もさ……散々考えたんだ。あのまま学校を続けられないか、お前と一緒にいられないか……って」
「……うん」

「どうにかしてお前と離れずに済む方法を見つけようとしたけれど……無理だった」

 チラリとスマホに目をやると、時刻は既に午後3時22分。あまり時間が無い。先を急ごう。


「初めて伯父さんと施設を訪れたその日……離れに戻ってすぐに、施設から電話が掛かって来たんだ」

「えっ、ここから電話が?」
「そう、ここから……母さんから」





『もしもし、拓巳くんですか? わたくし『サニープレイス』の川口です』

 母さんのケアワーカーである川口さんから電話が掛かってきたのは、離れに荷物を置いて本当にすぐのことだった。


『先程はどうも。実は……穂華さんが拓巳くんと話をしたいと仰って……』

「えっ、母さんが?」

『はい……あの……』

 口を覆うようにして喋っているのだろう。少しくぐもったヒソヒソ声は、耳を澄ませて集中しないと聞き取れなくて、俺は何度も聞き返さなくてはいけなかった。

『穂華さんが、拓巳くんを担当にして欲しいって仰ってて……。彼は今はここにいないって言ったら、直接お願いするから電話しろって……』

ーーああ、そういう事か……。

 要は母さんの我が儘に困り果てて電話を掛けて来たって事なんだろう。

「分かりました。母に代わって下さい」

 しばらく受話器の向こう側で何か話している気配がしてから、ほんの1時間半ほど前に聞いたばかりの声が耳に飛び込んできた。

「拓巳くん? 私、穂華です」
「はい」

「ねえ、今度はいつ来てくれるの?会いたいんだけど」
「……俺はボランティアなんで……たまにしか行けないんです」

「え~っ、たまっていつ?明日は来てくれる? 明日絶対に来てよ。来るまで待ってるわよ」

 自分勝手なのは昔からだったけど……ここまで強引なのは、病気のせいなのか、それとも男相手だからなのか……。

 昔よく彼氏に電話していた時のような甘ったるい声で話し掛けられて若干イラッとしながらも、ここで病人相手に怒ったって仕方がないと自分に言い聞かせる。

「分かりました……明日行きますから」
「ホント?本当ね?絶対よ!絶対に来てね!」

「はい、絶対に行きますから……待ってて下さい」
「うん!待ってる!」

 そこで電話の相手が川口さんに代わり、俺が明日も行くと伝えると、恐縮しながらもとても喜ばれた。

『良かったです。お祖母様がいらっしゃれなくなってから、ずっと落ち込んで食欲も無かったんですよ。こんなにはしゃいでいる姿を見るのは久し振りです』

 困ったな……と思いながらも、そう言われると悪い気はしないし、理由がどうであれ母親が待っていてくれるのは、やっぱり嬉しかった。

 そのまますぐに伯父に電話を掛けてそのことを伝えると、『そうか、よろしく頼む。朝、仕事に行く前に送って行くから』とだけ言われた。
 言葉は短かったけれど、そこには以前と違って暖かいものが流れているような気がした。



 部屋の片付けは案外すぐに終わってしまった。
 荷物は以前段ボールに纏めたままになっていて、後は捨てる物とそうでない物を仕分けするだけで良かったから。

 昔の洋服なんてもうサイズが合わないし、大切な物はここを出る時に持ち出していたから、残りは全部ガラクタだ。
 母だってここに置いて行った物は今更必要ないだろう。家具も全部まとめて処分してもらおう。


 伯父さんが注文してくれた出前の寿司を頬張りながら、ふと小夏のことを思い出した。

 ヤバい……横須賀に着いたらすぐに連絡しようと思っていたのに、あまりにもいろいろあり過ぎてすっかり忘れていた。小夏も待っているに違いない。

 電話を掛けようとして、すぐに手を止めた。

ーーダメだ……今直接話したら、余計なことを言いそうだ。

 母さんのことはまだ言いたくない。俺の考えだってまだ纏まってないのに、小夏に何をどう話せばいいのか分からない。
 それに小夏のことだ、話せば心配して、今すぐ飛んで行くとか言い出しかねない。だけど、あんな母さんは見せたくないし、俺も今は1人でゆっくり考えたい。

ーーごめん、小夏……。

 迷った末に、『帰って来た』の一言だけを打ち込んで送信して、電源を切った。

 畳にゴロンと仰向けに体を投げ出して、天井を見つめる。

 心も身体もすっかり疲れ切っていたのに、その夜はいろいろ考えていたら、とうとう一睡も出来なかった。




「あら、拓巳くん、会いに来てくれたの?嬉しいわ」

 翌朝、叔父の運転で『サニープレイス』に行くと、母はパアッと顔を輝かせて喜んでくれたけど、昨日の電話のことなどすっかり忘れていて、俺が自分の意思で勝手に訪問して来たと思い込んでいた。

 だったらこんなに慌てて来るんじゃなかったと少し後悔したけれど、後ろで川口さんが、「昨夜はあなたの名前を呼んで、いつ来るんだ、遅過ぎるって大騒ぎして大変だったんですよ」と小声で伝えられて、職員さんに申し訳なく思った。

 夕方まで一緒に過ごして帰る途中で、また施設から電話が掛かってきた。

『明日も来てくれる?寂しいんだけど』

 その甘えた声を聞きながら、これが認知症の現実なのかと、絶望的な気分になった。
 どうせまたこの電話の内容も忘れて、夜中に職員さんに食って掛かるんだろう。

「くそっ!」

 俺は一旦離れに戻ってリュックに着替えと歯磨きセットとスマホの充電器を詰め込むと、タクシーで今さっき出てきたばかりの施設へと舞い戻った。

 その日から、俺は面会者用の宿泊室で寝泊りする生活を始めた。
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