煉獄の歌 

文月 沙織

文字の大きさ
158 / 181

しおりを挟む
 だが、今夜の主客である宇田は、そんな手にひっかかって落ちるような玉でないことは、嶋も察していた。
 裏の事情にも通じているし、木藤組組長とも懇意だという。裏稼業の人間でありながらも、政治家や、日本有数の資産家、金融界の大物とも通じており、弱味も握っているという、戦後の闇社会に幅をきかせるかなりの傑物けつぶつである。金や力への計り知れない欲望と同じぐらい、性に関しても以上な執着を持っているとも聞く。
 敬がそんな男の相手をさせられるのかと思うと、嶋は吐き気がしてきた。
(いっそ……)
 嶋の目は、手元にある包丁に向かう。
 銀色の刃先に目が吸い込まれる。
(隙をねらって、宇田を殺せば……) 
 宇田を殺して、敬を連れて逃げ出せば……。
 夢のように愚かな考えが頭を揺さぶる。
 無理だ、無理に決まっている、と思いつつも、嶋はこのとき分別を失っていた。包丁を持つ手はゆるまなかった。

「こうして見れば見るほど綺麗な子だなぁ」
 宇田はしたたる欲望に目を細め、土気つちけ色の指を敬のたもとに押し入れた。
 敬は強張った顔で感情を出さないでいるが、それだけに悲壮な覚悟めいたものが感じられる。
「では」、と言いおいて瀬津は室を去ろうとした。
 料理もあらかた終わったし、客人との会話もひと段落ついた。これから先始まる宇田のお遊びに付き合う気はなかった。
「いいじゃないか、もう少しここにおれ」
 命令形で言われて、しぶしぶ、上げかけた腰を座布団に戻す。
「しかし、可愛い子だな。まだこの稼業に慣れていないんだね。おやおや、怯えているのかな?」
 いかにも脂ぎった客の中年男が、面白そうに敬の青いほどに白い頬を食い入るように見ている。
 舌なめずりせんばかりの様子に、内心瀬津はうんざりした。柏田かしわだという金満家だが、この男もかなり過激な性質で、以前世話した娼婦には、医者を世話する羽目になった。道具を使って楽しむ嗜好しこうがあるらしく、それが女の身体に合わなかったのだ。
 だが、彼よりももっと苦手なのは、もう一人の井上という男だ。
「本当に、綺麗な子ね。来た甲斐があったというものだわ」
 かなり名の知れた名家の子息だが、四十過ぎの今でも妻帯しておらず、おかっぱのような髪型に鼻の下にちょび髭、というかなり印象的な風体だ。着ている背広も時計もかなり値のはる外国製で、彼の富を物語っているが、今ひとつ威厳が感じられず、内心瀬津は彼を軽く見ている。瀬津でなくとも、こういう男を尊敬しろと言う方が無理だろう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

  【完結】 男達の性宴

蔵屋
BL
  僕が通う高校の学校医望月先生に  今夜8時に来るよう、青山のホテルに  誘われた。  ホテルに来れば会場に案内すると  言われ、会場案内図を渡された。  高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を  早くも社会人扱いする両親。  僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、  東京へ飛ばして行った。

男の娘と暮らす

守 秀斗
BL
ある日、会社から帰ると男の娘がアパートの前に寝てた。そして、そのまま、一緒に暮らすことになってしまう。でも、俺はその趣味はないし、あっても関係ないんだよなあ。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

水泳部物語

佐城竜信
BL
タイトルに偽りありであまり水泳部要素の出てこないBLです。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

処理中です...