71 / 150
毒蛇の歌 四
しおりを挟む
「よくお聞き! おまえが我が儘を言えば、おまえの従者が痛い思いをすることになるのよ」
腕を組んで傲慢にアイーシャが言い終わるのを待って、エリスが低い声で説明する。
「けなげな従者でした。伯爵を鞭打つのを免除するかわりに、歯を差しだせと命じますと、獄吏の手をわずらわせることなく、みずからで歯を抜いてみせました」
「な、なんてことを……」
アベルはドミンゴの忠誠心に胸が痛いほど熱くなった。忠実な僕は、主に危害を与えるのを厭うて、みずから苦痛を引き受けてくれたのだ。それほどまでに自分を想ってくれている彼を見捨てて、自分は我が身だけの名誉を守るために、この苦悶から一人逃げ出そうとしたのだ。アベルは心で詫びた。
(ああ、ドミンゴ……私を許してくれ)
さらにエリスは低い声で言い足す。
「……地下牢でカサンドラと会いました」
カサンドラ。
その名は、今のアベルにとっては希望を意味していた。
(そうだ、彼女がいたのだ……)
カサンドラは首尾よく帝国の外交官たちと会えたろうか。うまくいけば、自分もドミンゴも救われるかもしれない。
(いや、私はともかく、ドミンゴだけは生きて祖国へ帰してやらねば)
そのためにも、死ぬことは出来ない。アベルは決意した。
(ドミンゴ、許してくれ。もう少しでおまえを見捨てて一人楽になるところだった。……私は、おまえを無事祖国へ帰してやるまでは、絶対に死なない!)
どれほどの屈辱も苦痛も耐えてみせる。アベルは己自身に誓った。
「さ、素直に調教を受ける気になった? お前が我を張れば張るほど、地下牢にいるドミンゴが辛い目に遭うことになるのよ」
「わ、わかった……」
はらわたを引きずり出される想いに耐えて、アベルは了承する。
「そ、そのかわり、約束してくれ。ドミンゴには手を出さないと」
アイーシャの黒い瞳に妖しい光がともる。唇の両端が吊り上がる。魔女か女魔神を思わせる笑いである。
「ほほほほほ。お安くないわね。よっぽどそのドミンゴという男が気に入っているのね」
気に入っている、という言葉には淫靡な響きが込められてあった。
アイーシャにとって、人と人との繋がりというものは、損得勘定か欲望であり、純粋な忠誠心や信頼、友情などというものが、この世に本当に存在しているなど一度も信じたこともないのだろう。そんなものは絵空事だと頭から決めつけているのだろう。
アベルは、自分とドミンゴの関係を邪推する女の浅ましさを激しく嫌悪したが、言い返すことはせず、とにかく相手がそのことを約束してくれるのを待った。
腕を組んで傲慢にアイーシャが言い終わるのを待って、エリスが低い声で説明する。
「けなげな従者でした。伯爵を鞭打つのを免除するかわりに、歯を差しだせと命じますと、獄吏の手をわずらわせることなく、みずからで歯を抜いてみせました」
「な、なんてことを……」
アベルはドミンゴの忠誠心に胸が痛いほど熱くなった。忠実な僕は、主に危害を与えるのを厭うて、みずから苦痛を引き受けてくれたのだ。それほどまでに自分を想ってくれている彼を見捨てて、自分は我が身だけの名誉を守るために、この苦悶から一人逃げ出そうとしたのだ。アベルは心で詫びた。
(ああ、ドミンゴ……私を許してくれ)
さらにエリスは低い声で言い足す。
「……地下牢でカサンドラと会いました」
カサンドラ。
その名は、今のアベルにとっては希望を意味していた。
(そうだ、彼女がいたのだ……)
カサンドラは首尾よく帝国の外交官たちと会えたろうか。うまくいけば、自分もドミンゴも救われるかもしれない。
(いや、私はともかく、ドミンゴだけは生きて祖国へ帰してやらねば)
そのためにも、死ぬことは出来ない。アベルは決意した。
(ドミンゴ、許してくれ。もう少しでおまえを見捨てて一人楽になるところだった。……私は、おまえを無事祖国へ帰してやるまでは、絶対に死なない!)
どれほどの屈辱も苦痛も耐えてみせる。アベルは己自身に誓った。
「さ、素直に調教を受ける気になった? お前が我を張れば張るほど、地下牢にいるドミンゴが辛い目に遭うことになるのよ」
「わ、わかった……」
はらわたを引きずり出される想いに耐えて、アベルは了承する。
「そ、そのかわり、約束してくれ。ドミンゴには手を出さないと」
アイーシャの黒い瞳に妖しい光がともる。唇の両端が吊り上がる。魔女か女魔神を思わせる笑いである。
「ほほほほほ。お安くないわね。よっぽどそのドミンゴという男が気に入っているのね」
気に入っている、という言葉には淫靡な響きが込められてあった。
アイーシャにとって、人と人との繋がりというものは、損得勘定か欲望であり、純粋な忠誠心や信頼、友情などというものが、この世に本当に存在しているなど一度も信じたこともないのだろう。そんなものは絵空事だと頭から決めつけているのだろう。
アベルは、自分とドミンゴの関係を邪推する女の浅ましさを激しく嫌悪したが、言い返すことはせず、とにかく相手がそのことを約束してくれるのを待った。
1
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる