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密約 三

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「いいの? イルビア王女はまだ十六歳でしょう? 今のところは娼館の奥で高級娼婦としての行儀作法や楽器を仕込まれているだけですむけれど、おまえが死んでしまえば、私はおまえに払ったお金を彼女に請求することになるわ。そうなると、雇い主も悠長なこともしていられないので、翌日からでも客を取らされることになるかもよ」

「そ、そんな……」

 聞いていてダリクも複雑な気持ちになった。

 もちろんダリクのような一兵卒は王女の顔を直接見たことはないが、なにかの式典の折、騎士に守られた年若い王女たちを遠目に見たことがある。

 純白のドレスにそれぞれ紅玉ルビー青玉サファイヤ碧石エメラルドをかざった王女たちは皆、花の妖精のように可愛らしく、アルディオリア国民の愛情と崇拝のまとだった。
 
 なかでもひときわ可憐な金髪碧眼きんぱつへきがんの美少女が、イルビア王女だと隣の朋輩ほうばいが指差しささやいていた。当時はまだ十二……十三にもなっていなかったと思うが、それでもその幼い美貌には目を見張るものがあり、成長すればアルディオリアは勿論、近隣諸国にもたぐいまれな美姫びきとなることは予想された。
 夏の昼の光のもと、白薔薇の蕾のように輝いていた美少女の姿を思い出してダリクは胸がしめつけられそうになった。

 国王陛下の第三王女、姉妹たちのなかでももっとも美しく聡明だと言われ、国王夫妻が一番寵愛している姫君。「国王陛下は、イルビア王女をアルディオリア最高の騎士にしたいとおっしゃっているそうだ」と朋輩はさらに囁いていた。それからしばらくしてサイラス=デルビィアス伯爵将軍との婚約話が出たのだが、なんという運命の転変だろう。
 
 似合いの美男と美少女の二人が祖国をうしない、ともに奴隷として売られ、娼館で春をひさぐことになるとは。あの夏の式典の日に、誰が予想したろう。
 振り捨てたはずの母国だが、ついダリクはしんみりした気持ちになってくる。サイラスはともかく王女には恨みはない。純粋に亡国の花が散らされることに、ひそかに胸を痛めた。だが、必死に同情を顔に出さないように気を引き締める。

「よ、よせ! 王女には手を出すな! あ、あの方は陛下が私を信頼して預けてくださったのだ。城が落ちるとき、せめてイルビアだけでも助かって欲しいと……。た、たのむ! 王女には手を出さないでくれ!」
 
 悲痛な面持ちでサイラスがマーメイに懇願するのを、ダリクは複雑な気持ちで見ていた。下肢を真っ赤に濡らしたマーリアの幻がちらつく。

「おまえしだいね。おまえが素直になって言うことを聞くのなら王女は無事よ」

 一年間は。一年が過ぎると、契約は切れる。だが、マーメイはその点についてはそれ以上は言わない。

 奴隷に堕ちての一年は運命との闘いだろう。与えられた新たな人生を受け入れ運命の神と手を結ぶか、それともそれを拒絶し、死神のもとへ行くか。

 サイラスにとってもイルビア王女にとっても試練の一年となる。だが、その一年が過ぎても試練は終わることなく、新たな苦難の日々がつづいていくころになるのだ。それか、もしくは全てを運命にゆだね、王族貴族としての誇りを捨てて、いったん死んだつもりで、娼婦男娼として新たに生きなおすか。

「どう? 素直に言うことを聞く?」

 マーメイの血を塗ったかのように赤い唇から誘惑の言葉がこぼれる。まさにこの女は人魚マーメイドだ。その唇からこぼれる玉声ぎょくせいは毒を秘めている。

 サイラスは金の眉をしかめて、逡巡するような顔を見せた。額には玉のような汗粒が浮かんでいる。数秒の沈黙のあと、やがて彼は頷いた。

「き、聞く。なんでも言うとおりにする。だ、だから王女には手を出さないでくれ」

 ほほほほほほ……。館の女主は高らかに笑った。
「いい子ねぇ。では、これから本格的におまえの調教に入るとするわ」
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