美里

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陽子

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陽子は夕を憐れむような目をしていた。いや、憐れむと言うには優しすぎる。それは、自分で掘った落とし穴に、自分ではまってしまった子供を見る大人みたいな目だった。
 実際彼女は、お可哀想に、と、夕にそう言った。
 「夕さまは、逃げる方法も知らないんですね。……恵まれている方だって思っていましたけど……今も思ってはいますけど、でも、可哀想な方。」
 落とし穴に落ちた子供の夕は、その縁に立って夕を見下ろす陽子に必死で言葉を投げつけた。
 「可哀想なんて、言うな。」
 半分自棄みたいな声が出た。
 恵まれている方。
 たしかに夕は、そうなのかも知れない。少なくとも、金銭的な面では。ただ、陽子の言う通り、夕はこの場から逃げ出す方法も知らない。
 父を、母を、藤を、恨んでも、そこから逃げ出す方法がわからない。ただ、父を、母を、藤を、睨んで立ち尽くすだけだ。それこそ、子供みたいに。
 「ごめんなさい。」
 陽子は夕の顔を覗き込み、心配そうに眉をそっと寄せた。
 「どこにも行けないのは、お辛いだろうと思ったんです。……でも、陽子みたいに、どこかに行かないといけないほうが可哀想ですね、きっと。」
 「……どこから来たんだ、陽子は。」
 「遠いところですよ。寒いところ。北です。」
 「北?」
 「本州の、一番北らへんです。」
 北。
 繰り返される単語は、俺にとてつもなく遠いどこかを想像させた。
 夏でも大地が凍りついているような、そんな、日本ではありえないくらいの、ずっと北。
 北、とまた繰り返し、陽子は長いまつげを伏せた。
 「そこに、父と二人で住んでいたんです。……でも、去年の夏、逃げ出しました。」
 「……なんで?」
 陽子は、躊躇うようにしばらく自分の黒いブーツのあたりを見つめていたけれど、やがて、ぼうっとしていたら聞き逃してしまいそうなくらい小さな声で言った。
 「耐えられなかったからです。……陽子を、逃げた妻のかわりにする父親には、どうしても。」
 逃げた妻のかわり。
 そこに含まれるであろう性な匂いが、一瞬強く陽子から香った。いつもの幼げな顔をしている陽子からは、決して漂わない匂いだった。夕は、これまで何度かあった女との性交を思い出した。それは、その一人ひとりをではなく、漠然と、女というものの匂いを。
 たじろぐことさえできないで固まる夕に、陽子は白く粒の揃った歯を見せて、にっこりと笑った。
 「昔のことですよ。今の陽子は、ここにいるんですから。」
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