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後日談
15 耳元で囁くように言われ……
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クリスは夕食を食堂ではなく、居室で二人きりで取ることにした。グリフィスの様子が普段とは違って見え、一抹の不安を抱いたからである。何かあった時にはドクターをすぐ呼べるよう手配もし、頭の具合や体調を注意して観察した。
食卓に着くと、トリシアが流れるような所作で給仕をし、黄金色に焼けた雉のパイ包み焼きが、目の前に出される。ナイフを入れると香りと共に、肉汁があふれ出してきて、思ったよりも空腹であることに、クリスはこの時初めて気付いた。パイと雉肉をソースに絡めて口に入れる。
「美味しい……」
コクのある深い味わいに舌鼓を打ち、チラリとグリフィスに視線を向けた。気づいた彼は微笑みながら、クリスに軽く頷いて見せる。いつもと変わらぬ落ち着いた様子に、クリスはホッと胸を撫で下ろした。その後もドクターの世話になる事なく、二人は穏やかな時を過ごす。
居間でゆったりと寛いでいる時に、トリシアに声をかけられた。
「クリス様。湯浴みの支度が調いました」
「もうそんな時間?」
窓の外をうかがうと、夜も随分と更けて、空には煌々と輝く月が出ている。
「お湯を浴びてくるわね」
「………」
微かに……、グリフィスの瞳が揺れたように見えた。しかしすぐに頷き返され、気のせいかしら……? とクリスは浴室へ足を運ぶ。
猫足の浴槽には色とりどりのシャボンが浮かべられ、クリスは身を沈めながら、クスクスと笑いをこぼした。
「どうなさったんですか?」
「夕食の時にグリフィスから聞いた、執務室でのアーネスト達とのやり取りを思い出したの」
「ぜひ、私にもお聞かせください。早速 ”今日のアーネスト様”に書き記します」
「そ、そういえばアーネストの日誌をつけていたんだったわね。トリシアは本当にアーネストの事が好きなのね」
「クリス様、それは違います」
「?」
「好きなどという生易しいものではございません。身を焼かれるようなこの激しい想い……。恋焦がれて――おります」
「………溜めて言うほど好きなのね」
海綿で身体をこすられながら、クリスはトリシアに請われるまま、アーネストの話をした。”捕まるのは時間の問題……”とクリスが思ったのは言うまでもない。何せトリシアは、グリフィスの従姉弟なのだ。
「お身体を洗い終えました」
湯船から上がり、シャワーを浴びてシャボンを落とす。トリシアがタオルで丁寧に、クリスの身体から水気を拭き取っていった。
「クリス様、マッサージを…」
「今日はもう遅いからやめておくわ。香油だけ塗ってくれる?」
「かしこまりました」
すぐ赤面するグリフィスを困らせないよう、生成り色で、筒のようにストンとした形の、地味な前ボタンのネグリジェを身に着けた。トリシアが”あまりにも可愛げがない”と、瑠璃色のスカーフと、翡翠色のスカーフを出してくる。目の前で器用にその二本を捩じり合わせて、洒落た腰ひもを作ってくれた。
(寝るだけだから、別に可愛げがなくても構わないのだけど……)
そう思いつつも、せっせと世話をしてくれるトリシアに悪いので、クリスは黙って腰に巻いてもらう。
寝支度を終えて居間に入ると、夜着のズボンだけを身に着けたグリフィスが立っていた。気になる個所があるのか、熱心に書類に目を通している。湯あみを終えたばかりのようでタオルを肩に掛け、銀の髪は濡れていた。普段は後ろに撫でつけられている前髪も、乱雑に掻き上げたのか、ぱらぱらと額に落ちている。
広い肩幅に、すらりとしながらも筋肉がついた身体――…に思わず見惚れていると、ふとグリフィスがこちらを向いた。
バチッと目が合ってしまい、悪い事をした気分になったクリスは、顔を火照らせて最初に浮かんだ言葉を口にする。
「い、いつのまに書類を持ってきたの?」
(じっと見ていたのが分かったかしら――!?)
屈託のない笑顔で近づいてくるグリフィスに、クリスは一安心する。
(良かった。気付かれていないみたい……)
「昼食で部屋に戻った時にこっそり。アーネストとデイヴィッドばかりに負担を掛けているから」
目の前に立ったグリフィスの、裸の厚い胸板を見て、クリスはドギマギして目のやり場に困ってしまう。それを誤魔化すように彼の肩からタオルを手に取り、濡れた頭を拭き始めた。
「記憶も戻っていないのだし、無理をせずに二人に甘えてもいいのではないかしら? ……頭に手が届かないから少し屈んで?」
「ん……」
グリフィスは屈んで、暫くは頭を拭くに任せていたが、ふいに手を伸ばしてクリスの左腕を掴んだ。
「え?」
ぐっと力が入ったかと思うと強く引かれ、無防備だったクリスは呆気なく、引き締まった身体に抱き寄せられる。タオルや書類が足元に落ちて、バラバラと散乱した。
「グリフィス、書類が――」
「クリスは、……早く俺の記憶が戻ってほしい?」
「え?」
耳元で囁くように言われ、逞しい胸に抱き締められて……クリスの胸の鼓動が早くなった。
食卓に着くと、トリシアが流れるような所作で給仕をし、黄金色に焼けた雉のパイ包み焼きが、目の前に出される。ナイフを入れると香りと共に、肉汁があふれ出してきて、思ったよりも空腹であることに、クリスはこの時初めて気付いた。パイと雉肉をソースに絡めて口に入れる。
「美味しい……」
コクのある深い味わいに舌鼓を打ち、チラリとグリフィスに視線を向けた。気づいた彼は微笑みながら、クリスに軽く頷いて見せる。いつもと変わらぬ落ち着いた様子に、クリスはホッと胸を撫で下ろした。その後もドクターの世話になる事なく、二人は穏やかな時を過ごす。
居間でゆったりと寛いでいる時に、トリシアに声をかけられた。
「クリス様。湯浴みの支度が調いました」
「もうそんな時間?」
窓の外をうかがうと、夜も随分と更けて、空には煌々と輝く月が出ている。
「お湯を浴びてくるわね」
「………」
微かに……、グリフィスの瞳が揺れたように見えた。しかしすぐに頷き返され、気のせいかしら……? とクリスは浴室へ足を運ぶ。
猫足の浴槽には色とりどりのシャボンが浮かべられ、クリスは身を沈めながら、クスクスと笑いをこぼした。
「どうなさったんですか?」
「夕食の時にグリフィスから聞いた、執務室でのアーネスト達とのやり取りを思い出したの」
「ぜひ、私にもお聞かせください。早速 ”今日のアーネスト様”に書き記します」
「そ、そういえばアーネストの日誌をつけていたんだったわね。トリシアは本当にアーネストの事が好きなのね」
「クリス様、それは違います」
「?」
「好きなどという生易しいものではございません。身を焼かれるようなこの激しい想い……。恋焦がれて――おります」
「………溜めて言うほど好きなのね」
海綿で身体をこすられながら、クリスはトリシアに請われるまま、アーネストの話をした。”捕まるのは時間の問題……”とクリスが思ったのは言うまでもない。何せトリシアは、グリフィスの従姉弟なのだ。
「お身体を洗い終えました」
湯船から上がり、シャワーを浴びてシャボンを落とす。トリシアがタオルで丁寧に、クリスの身体から水気を拭き取っていった。
「クリス様、マッサージを…」
「今日はもう遅いからやめておくわ。香油だけ塗ってくれる?」
「かしこまりました」
すぐ赤面するグリフィスを困らせないよう、生成り色で、筒のようにストンとした形の、地味な前ボタンのネグリジェを身に着けた。トリシアが”あまりにも可愛げがない”と、瑠璃色のスカーフと、翡翠色のスカーフを出してくる。目の前で器用にその二本を捩じり合わせて、洒落た腰ひもを作ってくれた。
(寝るだけだから、別に可愛げがなくても構わないのだけど……)
そう思いつつも、せっせと世話をしてくれるトリシアに悪いので、クリスは黙って腰に巻いてもらう。
寝支度を終えて居間に入ると、夜着のズボンだけを身に着けたグリフィスが立っていた。気になる個所があるのか、熱心に書類に目を通している。湯あみを終えたばかりのようでタオルを肩に掛け、銀の髪は濡れていた。普段は後ろに撫でつけられている前髪も、乱雑に掻き上げたのか、ぱらぱらと額に落ちている。
広い肩幅に、すらりとしながらも筋肉がついた身体――…に思わず見惚れていると、ふとグリフィスがこちらを向いた。
バチッと目が合ってしまい、悪い事をした気分になったクリスは、顔を火照らせて最初に浮かんだ言葉を口にする。
「い、いつのまに書類を持ってきたの?」
(じっと見ていたのが分かったかしら――!?)
屈託のない笑顔で近づいてくるグリフィスに、クリスは一安心する。
(良かった。気付かれていないみたい……)
「昼食で部屋に戻った時にこっそり。アーネストとデイヴィッドばかりに負担を掛けているから」
目の前に立ったグリフィスの、裸の厚い胸板を見て、クリスはドギマギして目のやり場に困ってしまう。それを誤魔化すように彼の肩からタオルを手に取り、濡れた頭を拭き始めた。
「記憶も戻っていないのだし、無理をせずに二人に甘えてもいいのではないかしら? ……頭に手が届かないから少し屈んで?」
「ん……」
グリフィスは屈んで、暫くは頭を拭くに任せていたが、ふいに手を伸ばしてクリスの左腕を掴んだ。
「え?」
ぐっと力が入ったかと思うと強く引かれ、無防備だったクリスは呆気なく、引き締まった身体に抱き寄せられる。タオルや書類が足元に落ちて、バラバラと散乱した。
「グリフィス、書類が――」
「クリスは、……早く俺の記憶が戻ってほしい?」
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