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「第二話 魔人集結 ~魔性の両輪~」

16章

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 六月を過ぎると、陽が落ちるのが随分と遅くなる。
 七時を回って闇が世界のほとんどを支配していたが、太陽の残滓が、そこここに転がっている感じ。閑静な住宅街にも、歩く人々の影がポツポツと残っている。
 
 「吼介先輩、私、歩くからもういいよ? 疲れたでしょ?」
 
 人通りの少ない道路で、その姿はやはり目立った。制服では隠せない屈強な肉体の大男が、セーラー服の女子高生をおんぶしている。しかも女子高生は、額・首・手首・左足と露出している肌のほとんどを包帯でまかれ、残った部分もガーゼなどが貼られた、傷だらけの身体。通りすがる人皆が、振りかえるのも無理はなかった。
 
 「あほ。そんなこと言って、ベッドから立てなかったのはどこのどいつだ? できないことを言うんじゃねーの」
 
 開襟シャツから、膨らんだ胸筋が覗く。背中の荷物などないような涼しい顔で、工藤吼介は傷だらけの少女・藤木七菜江をたしなめる。幼馴染に頼まれて、家まで送っていく道程だ。
 
 「でも・・・恥ずかしいんだもん・・・」
 
 「誰も見ちゃいねーよ」
 
 すれ違ったサラリーマン風のハゲオヤジが、ギョッとして立ち止まる。そのまま肩幅の広い背中と、包帯まみれのセーラーを見送る。少女の青いスカートが短くて、思わず視線が釘突けになってしまう。
 しばらくふたりは無言で進む。時々聞こえる蛙の鳴き声が、梅雨の到来を教える。上流家庭が多く住む地域だけに、元々往来は激しくない。気が付けば、街路灯に照らされる影は、七菜江と吼介だけになった。
 吼介の背中に、ギュッと圧力が懸かってくる。
 
 「どうした? 痛むのか?」
 
 七菜江の豊かな固まりが、発達した背筋に押し潰される。不意に少女はしがみつく力を強めてきた。
 
 「んーん。・・・・そうじゃないけど・・・・先輩の背中って、ゴツゴツしてるなぁって。ここになんか入ってるみたい・・・・・・」
 
 筋肉の動く感触を、七菜江は身体の前面いっぱいに感じ取ろうとする。逆三角形の背は、盛り上がった筋肉で凸凹していた。特に肩甲骨の下にある菱形筋と広背筋が異様に発達し、ソフトボールがふたつ、埋まっているほどに膨らんでいる。
 
 「ああ・・・正拳打ってたら、肉ついたんだよ。人を背負うには、イマイチの背中だよな」
 
 「・・・大丈夫、けっこう居心地いいよ・・・」
 
 広い肩に包帯で覆われた顔を埋める。ズキズキと疼く痛みは一向に去ってくれないが、伝わってくる体温が、暖かく沁みこんでくる。
 
 “今日は最低の一日だったから・・・ちょっとは甘えても、いいよね?”
 
 キュッと太い首に回した腕に、力をこめる。
 五十嵐里美の家が近付くのを感じる一方で、もう少し、ゆっくり歩いてくれたらと思う心がある。
 
 「しばらくは学校休んでしっかり直せよ。最近は宇宙生物だ、なんだって出やがるおかげで、補講が増えたからな。勉強はなんとかなるだろ」
 
 「うん」
 
 「あの豹女は、オレが潰してやる」
 
 「ッッ!!・・・そんな、いいですよ、そんなことしなくて!! ていうか、絶ッ対ッにやめてくださいッッ!!」
 
 思わず顔をあげ、七菜江は興奮した口調で吼介を制御する。いくら吼介が並外れた力の持ち主でも、ミュータントの可能性の高い神崎ちゆりと事を構えるのは、危険すぎる。ちゆりのバックには、メフェレスという悪魔も潜んでいるのだ。仇を取ろうとしてくれる気持ちは嬉しかったが、強くても一般人の吼介を、これ以上巻きこむわけにはいかない。
 
 「そうか、わかったよ」
 
 「ごめんなさい、声を荒げて・・・でも、もうあの女とは関わって欲しくないんです・・・」
 
 そう、あの女は私が倒さねばならない相手なのだ。
 神崎ちゆりと、片倉響子。
 この、メフェレスと繋がるふたりの魔女にいたぶられた、苦い記憶が蘇る。
 全力を出せないとか、薬を飲まされたとか、そんな状況や理由はさておいて、結果として残ったのは、悪魔の化身・メフェレスの仲間に、ファントムガールである自分が、ボロボロに蹂躙されたという事実。
 闇世界の支配者だろうが、天才学者だろうが、この強大な敵を打ち破らねばならないのだ。
 
 “もしかして、私はこの闘いで死ぬかもしれない。・・・実際、今日、何度殺されかけたか・・・”
 
 ファントムガール・ナナとなって、1週間足らず。初めて藤木七菜江の意識に、死というものが実感を伴って入りこんでくる。
 七菜江も里美も、いつ死んでもおかしくない世界に足を踏み入れているのだ。わずか17にして、この世界を守る使命を背負って。
 里美とともに歩むことを決めたこの道に、後悔などはなかったが、それでも普通の女のコとしての願望は常にある。クラスメイトと買い物したり、部活の帰りにパフェ食べたり、ボーイフレンドとデートしたり・・・したい。
 こうやって、吼介と話すのも、今日が最期になるかもしれない。
 そう思ったら、この時間が抱き締めたいほど愛しくて、切なくて、たまらなくなる。
 
 再び包帯に包まれた小さな顔を、吼介の背中に押しつける。
 熱い、湿った感覚が、シャツ越しに背筋に伝わる。
 
 「・・・・・・痛むか?」
 
 「・・・・・・・違います・・・・・でも、もう少し・・・・・このままいさせてください・・・・・・・・」
 
 街路灯の下に、少女を背負った影が、長く伸びる。
 白い開襟シャツの背中に、透明な染みが広がる。
 風が吹く。ふたりは無言でいた。
 黄色の羽を持った蛾が、光に誘われ無軌道に飛んでいる。時々蛍光灯に当たったり、支柱に止まったり。やがて飽きたように、またフラフラとさ迷い飛んでいく。
 シャツの染みは、すっかり乾いていた。
 
 「・・・・・・吼介先輩・・・」
 
 「ん?」
 
 「私、先輩のものじゃあ、ないです」
 
 「なんだよ、聞いてたのか」
 
 「聞こえちゃったんです」
 
 「あん時ゃ、ああいった方がハッタリ効くだろ?」
 
 「・・・・・・そう、ですよね・・・・先輩は他に好きな人、いるもんね・・・」
 
 「・・・里美なら、幼馴染だからな」
 
 「嘘だ」
 
 「嘘じゃない、オレはお前には嘘をつかん」
 
 「でも・・・・・見ちゃったもん・・・・里美さんと先輩が・・・・・・・キスしてるとこ」
 
 自転車が通りすぎる。スーツ姿のOLが、街路灯の下で佇む、包帯に包まれた青いセーラー服を背負う学生に、視線を飛ばす。別れ話かしら? その割には不自然な状況に、一瞥した眼を元に戻す。若いっていいわよね。カラカラと回る車輪の音が、ふたりを残して遠ざかっていく。
 
 「そうか」
 
 「ふたりが単なる幼馴染なわけ、ないもん・・・・・なんで、そんな嘘つくの? ツライよ・・・・・・ツライよ・・・・・・」
 
 「・・・・・・・・」
 
 「お願いだから、ホントのこと言って・・・このままじゃ、ふたりともキライになっちゃいそうだよ・・・」
 
 「・・・・・・里美のことは、好きだ」
 
 「・・・・・・・・・・」
 
 「だが、それは有り得ないことなんだ」
 
 「・・・・・・・どういうことですか?」
 
 「オレからは言えない。だが、信じろ、七菜江。お前に嘘はつかない」
 
 同じセリフを吼介は繰り返した。
 
 「でも・・・・・・」
 
 「お前と里美は特別なんだ。ふたりとも好きだが・・・愛しているのはひとりだけだ」
 
 ドクンッッッ!!!
 
 巨大な矢が、七菜江の心臓を射る。
 火照った身体を沸騰した血液が駆け巡る。高まる鼓動が、背中越しに吼介に聞こえてしまいそうだ。
 頬が、桜色に染まってるのが、自分でもよくわかる。
 
 “な、なに・・・これ・・・・・これは告白と取っていいの? それとも・・・・・・”
 
 ドキドキと脈打つ心臓の音だけが、異様に響く。
 
 ビイーーン、ビイーーン、ビイーーン・・・・
 
 静寂をやぶる高音のサイレン。それは、緊急危機管理対策本部が取りつけたスピーカーから、洪水となって高級住宅地全体に流れていく。寝起きの枕元で、ハードロックの生演奏をされるような、けたたましい叫び。
 
 “こんなときになんなのよ!! くっそォ――ッ、ミュータントめぇ! もっとタイミングを考えてよッ!!”
 
 サイレンの鳴り方から、この周囲が第二種警戒区域、つまりミュータント(一般の人には、宇宙生物で名が通っているが)が現れた現場から10kmから100km離れた、“要警戒”区域に相当することがわかる。速やかに準備を進め、指定された避難場所へ行かなければならない。
 もちろん、七菜江の場合、逃げるより、やらねばならないことがあったが。
 
 「吼介先輩ッ、ごめんなさいッッ!! 急いで里美さんのお屋敷へ行ってくださいッッ!!」
 
 七菜江の懇願より先に、工藤吼介の足は動いていた。本来の役目を、忘れてなどいない、と言わんばかりに。
 
 
 
 この地方一帯で、最も栄えた繁華街。
 夜ともなると蛍光色のネオンが溢れ、酒の臭いと、女の嬌声、そして酔っ払いたちの反吐の酸味が、彩りを加える。
 隣接するオフィス街には、高層ビルが立ち並ぶ。定規で測ったように、同じような高さでズラリ並んだビル群の中に、100mを越える超高層ビルもいくつか点在している。
 半分以上の窓に灯った光の中に、ネクタイを締めたままのサラリーマンの姿がチラチラ映る。残業に心砕く彼らは、夜景に浮ぶネオンを恋しく見つめる。最近、御無沙汰だなぁ、と。
 
 しかし、今の街にはそんな日常の光景はなかった。
 サラリーマンも娼婦も、我先にと逃げる。車道も歩道も人でいっぱいになり、詰まった道をこじ開けて逃げていく。車の上を走る者、ケンカを始める者・・・転んでしまった何人かが、その後に押し寄せる人の波に踏みつけられ、内臓を破裂させた骸を曝け出している。
 
 ビルの合間に垣間見える、茶色の巨大な影。それが非日常を運んできた張本人。
 闇より暗い漆黒が、天から降ってきたと思うと、それは瞬く間に、轟音とともに巨大生物に形を成したのだ。
 鳴り響くサイレン。運悪く、怪物の降り立った目の前にいた、帰宅途中のOLが、最初の犠牲者となった。眼を見開いた彼女の身体は、足首より先だけ残して、あっという間に食べられた。
 
 怪物が右手を振る。速い! 巨大生物独特のゆっくりとした動作がまるでない。ボクサーがそのまま大きくなったような動き。 
 その右腕の一撃で、ビルがまるごと爆発する。
 技を使ったわけではない、単純なパンチの威力に依るものだ。衝撃の伝わるパンチだからこそ、飛んだりせずに、ビルは粉々になる。
 ビルが崩れたおかげで、怪物の全体像が明らかになる。
 
 全身を茶色の体毛で覆われた体は、動物であることを強く認識させる。
 特徴的なのは、その歯。顔全体が細長く尖り、その先に鍬のような巨大な歯がふたつ生えている。人間の眉に当たる部分の骨が発達して飛び出していたが、その奥に光るのは、赤くて、朝顔の種みたいな小さな眼。それらの特徴はネズミを想起させるのに十分だったが、その割には体つきは人間によく似ていた。
 まず怪物は二本足で立っていた。人間と比べると、足が異常に太いが、それでも二本足で立つ姿勢に、違和感はない。そして、バランスよくついた筋肉。胸や腕の筋肉は明らかに浮びあがっている。奇妙なのは、拳の大きさ。顔よりも遥かにデカイ。まるで壷を持っているかのよう。指にはサザエの殻のようなトゲトゲが付いており、拳を握ると、その先端に鋭利な爪が無数に伸びているように見える。
 ネズミと人間が合体したような・・・それが巨大生物の印象だった。
 
 巨大ネズミが、その凶悪な左手を振るう。
 手には逃げ遅れた人々が数人、捕まっている。
 なにか喚いている食糧を、ネズミは躊躇なく口に運ぶ。
 骨と肉の砕ける音が、阿鼻叫喚の地獄と化した繁華街に木霊する。
 ジュルジュルと血を飲み干す音。
 前歯の隙間から、食い残した女の手首が落ちてくる。赤いマニキュアが毒々しい。
 
 「ガハハハハ! うまい! うまいぞォ!! 人間がこんなにうまいものとは知らなかった!!」
 
 ネズミが発する人間のことば! 巨大生物が喋るのはこれで2度目だ。前回のメフェレスは、ファントムガールをとことん苦しめた、恐るべき敵だった。ということは、この敵も?? しかし、逃げ惑う人々にそこまで考える余裕はない。とにかく生きてこの場を離れることが全てだ。怪物が喋ったことで、ただ恐怖のポイントがひとつ増えただけ。
 
 「すばらしい・・・すばらしい力だ!! 与えてくれて感謝するぞォッッ!! これでオレは神になるのだ!!」
 
 巨大獣が吼える。その震動でビルのガラスが一斉に割れ、瀑布となってアスファルトの大地に落ちていく。小さな、下等生物の悲鳴が、ガラスの砕ける美しい音色に溶けていく。
 超高層ビルの屋上から、怪物の暴れっぷリを眺めていた女が、満足げに腰まである長い髪を掻きあげる。
 
 「ふふふ・・・存分に暴れるがいいわ。子猫ちゃんをおびき出すために・・・ね」
 
 創られたような美貌が、微笑む。
 そんな彼女の声とは無関係に、ネズミ型の巨大生物は、己の欲望と復讐を満たすべく、吼え続ける。
 
 「まずは工藤吼介ぇぇッッ!! どこにいるッッ!! 貴様を殺すのが、オレが神になる第一歩だ!! 腹わたから食い尽くしてやるぅぅッッ!! どこだぁッ!? どこにいるのだあッッ!!?」
 
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