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「第五話  正義不屈 ~異端の天使~ 」

18章

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 「この短い期間で、よく手術を成功させたものだ・・・あの男、有栖川邦彦の力がなければ、今ごろ我が国は壊滅を迎えていたでしょうな。が、しかし・・・」
 
 巨大モニターに映る、1vs3の闘いを見つめながら、老執事・安藤はひとり呟き続ける。彼が考えた作戦は、全てが終了していた。多くの努力と予想外の幸運により、大成功といっていい結果をもたらして。ただ、最終段階である、敵の撃破という点においては、未知の戦士に頼るしかない。あとは新戦士アリスの勝利を祈るだけであった。
 
 「ミュータントどものダメージは深い。時間にしても奴らが変身していられるのは、残り20分といったところだろう。マリーの呪人形もなく、捕虜もいない状況で、戦局はこちらに傾き始めている。だが・・・それでも1対3は厳しい」
 
 果敢に攻めこむオレンジの背中を見ながら、参謀格の紳士は冷静な戦力分析を行っていた。
 霧澤夕子という少女を、安藤はよく知らない。それでもその闘いぶりから、戦闘の素人であることはすぐに察知していた。数的不利を覆すだけの実力があるのかどうか・・・カードを全て切ってしまった安藤は、打つ手なく、指をかんで眺めているしかないのだ。
 
 「奴らに残ったあとふたり・・・あのふたりが出てきたら・・・」
 
 三日月に笑う黄金のマスクと、水色の蜘蛛が脳裏に浮ぶ。
 ここまで辿りついた幸運に感謝しつつ、安藤は人類の最後の砦となった装甲の天使を、すがるような視線で追い続けた。
 
 
 
 “な、なにやってんのよォッッ、メフェレス!! 新しい邪魔者が現れたら、抹殺するのがあんたの役目でしょオがッ!!”
 
 焦るマヴェルの心の内は、作戦が遂行されない苛立ちで満ちていた。
 光の戦士にせよ、闇の魔獣にせよ、人間の『エデン』の融合者が巨大化できる時間は、60分が限度である。新たに出現したアリスと、すでに30分以上闘っているマヴェルたちとでは、時間的余裕に大きな差があった。そのハンデをなくすために、あえて迎撃人員としてメフェレスが残ったはずなのに、肝心の待ち伏せ者が現れないのでは、作戦は破綻したも同じだ。
 
 「君のような美少女がまだいたとは! アリスくん、是非私のコレクションに入ってもらいますよ」
 
 ナナの超震動を食らい、高圧の電流まで注がれて、軟体生物の体組織は崩れかけていたが、そんな大ダメージを醜悪な欲望が吹き消していた。言葉の丁寧さとは裏腹な殺気を含んだ触手が、ギリシャ彫刻の美女を彷彿とさせる造形のマスクに襲いかかる。
 オレンジのグローブが濃緑の槍を払いのける。
 本能のままに飛んでくる物体を叩き落すアリス。決して上手な受けではないが、パワーが少女のものではない。腕の一振りで、まとめて数本の触手を弾き飛ばす。
 
 8本の足の迎撃で手一杯な装甲少女を、魔豹の斬撃が背後から襲う。
 前後の攻撃に対応する技術は、アリスの正体霧澤夕子にはない。五十嵐里美のような忍びの血を引くエリートではなく、藤木七菜江のような天然の超アスリートではなく、西条ユリのような伝統を受け継ぐ武道の達人ではなく、ただ独学で機械工学の知識と技術を体得した天才少女は、格闘においては全くの素人なのだ。
 マヴェルの白刃が、少女の背中を切り裂く・・・ことはできなかった。
 この窮地を、アリスは素人らしい単純な行動で切り抜けていた。逃げたのだ。
 だが、そのスピードが尋常ではない。左足の金色のパーツが機械音を漏らすや、マッハの壁を破って300mは彼方にオレンジの少女は移動する。ファントムガール一の身体能力を誇るナナと、遜色ない動き。
 
 標的を見失って狼狽する豹とタコに、アリスの右手が差し向けられる。その金色の上腕に備えられた、円筒の発射口が、二匹のミュータントを捉える。
 
 パパパパパパ・・・
 乾いた連続音が、ひとけのないベッドタウンに木霊する。
 火花を散らして発射された炸裂弾が、マシンガンのように女豹とヘドロ獣をハチの巣にしていく。
 
 「げえええええッッッ!!」
 
 血飛沫をあげてのたうつ敵を見て尚、冷徹なマスクは表情ひとつ変えない。
 だが、処刑人と化した装甲天使は、突如として業火に包まれる。
 
 「ッッッ!!!」
 
 3人目の敵、呪術師マリーの魔法陣。呪いの人形だけが黒魔術ではない。空中に描かれたダビデの紋章に似た図形から、紅蓮の猛火が油断したアリスに放たれたのだ。
 だが、次の瞬間、驚愕したのは黒魔術師の方だった。
 
 纏わりつく炎を振り千切りながら、オレンジと銀の身体が突進してきたのだ。
 サイボーグ戦士にとって、灼熱地獄は、他の守護天使ほどには脅威にならなかった。
 赤髪のツインテールに炎をちらめかせ、アリスの右拳が、ダッシュの勢いをそのまま伝えてマリーを打つ。
 黒衣が紙切れのように宙を舞い、12階建てのマンションに激突する。
 
 振り返る機械少女。虚を突こうと爪を構えたマヴェルが目の前に。
 美少女戦士の青い瞳が、緋色の輝きを炸裂する。
 単なる閃光ではない、フラッシュビームの要素も備えた一撃に、悪の華が巨大な瞳を押さえて悶絶する。
 
 「ちゆり・・・あんたに剥がされた私の眼の威力はどう?」
 
 「ぎゃああああッッ・・・・・・ゆ、ゆるしてぇぇッッ・・・」
 
 もんどりうって苦悶するマヴェルが、土下座するようにアリスの足元にうずくまる。狂気に満ちた怒号が一変し、悪女の声は哀れみすら帯びた懇願になっていた。
 他人を虐げることしか知らなかった「闇豹」が、滅亡寸前にまで追いやられる――全身を蝕む痛みが、五十嵐里美と同い年の少女に変化をもたらしたとしても、なんらの不思議はなかった。
 
 「マ、マヴェルの負けよォ・・・も、もう勘弁してぇぇ・・・」
 
 甘ったるい声に戻った豹少女は、背中を丸めて震えていた。豹どころか子猫のように足元で怯えるマヴェルに、装甲天使はそっとしゃがんで近付く。
 
 「・・・なんて、言うわけねえだろッッ、バカがッッ!!!」
 
 突如として牙を剥いた豹が、ナイフより鋭い青い爪を、アリスの心臓に突き立てる。
 止まっていた。
 罠を仕掛けて待ち受けたはずの騙しの一撃は、オレンジの左手に容易く掴まれていた。
 
 「言うわけないわね。見え見えなのよ、あんたの芝居」
 
 鈴のような可愛らしい音色に反した、冷酷な響き。
 ゾクッとしたマヴェルが思わず仰け反る。
 
 「ま、待って! マヴェルはこんなにボロボロなのよォ・・・今のは冗談、ホント、もうゆるしてよォ・・・」
 
 懲りもせずに、「闇豹」はシナまでつくって迫る鎧少女に哀願する。たとえ芝居とばれていても、手負いの相手に許しを乞われて手を出すことはできないだろう。強者に依りかかって裏世界を生き延びてきた悪女の計算がそこにはあった。
 
 「ぷぎいいッッッ!!!」
 
 顔面の中央に右ストレートをめり込ませ、血を吐きながら女豹は後方にゴロゴロと転がっていく。
 渾身のパンチを打った装甲少女はそびえるように立っていた。大きな瞳が可憐なマスクが、無表情のままで言う。
 
 「私はナナみたいに甘くないわよ。二度死んで、二度生き返った女の怒り・・・身に染みて受けるがいいわ」
 
 大の字でピクピクと痙攣する魔豹に、冷徹ですらあるサイボーグ少女が歩み寄った――
 

 
 地上の激闘の余波さえ届かぬ地下深く、五十嵐里美をさんざんに蹂躙し尽くした拷問部屋に、久慈仁紀の痩身はあった。
 コンクリートが剥き出された殺風景な部屋には、天井の中央から極太の麻縄が垂れ下がっているのみであった。よく見れば、縄はしっとりと濡れている。わずかに篭る血臭と汗の匂いが、数時間前に繰り広げられた惨劇を思い起こさせる。
 
 桜宮桃子がテレポートさせるのに、もっともイメージしやすい場所。確信をもって、五十嵐里美が送転されたと踏んでいた場所には、玲瓏とした月のように美しい少女の姿は見当たらなかった。
 
 「ここにいない・・・となると、オレの考えが間違っていたのか? しかし、あの身体で、五十嵐里美が自力で動いたとも考えられん」
 
 黒の綿パンツとジャケットでコーディネートされた、しなやかな肉体が振り返る。細面を照らす暗い照明が、陰惨な影を整った容貌につけている。
 
 「・・・いや、君がここにいるということは、やはりボクの推理は正解だったのかな?」
 
 陰鬱であった魔人の声が、垢抜けたプレイボーイのそれへと変わっていた。
 眼光のみ鋭さを残して、片隅に固まる密度の濃い闇を凝視する。
 気付かなかった。気付けなかった。
 仮にも柳生の剣術を修めた自分が、存在を気取らせてもらえなかった。
 
 「一応ここはボクのビルなんだけど。不法侵入は困るなァ、工藤くん」
 
 片膝をたてて座る工藤吼介の巨大な肉体が、部屋の端で闇に溶けこんでいた。
 久慈のことばに応えるように、ゆっくりと、しかし、ずいっと音が聞こえてきそうな圧力を伴って立ちあがる。
 
 「そろそろ、互いに猫かぶるのはやめないか」
 
 落ちついた調子で吼介は言った。
 
 「初めて会った時から、お前からは嫌な匂いを感じていた。軽薄な仮面の下に隠れた悪党の素顔が、プンプンと匂ってくるぜ」
 
 怒りを見せるでもなく、淡々と話す逆三角形の男。薄笑いを浮かべていたヤサ男から笑みが消え、ふーッという深い溜め息が洩れる。
 
 「いいだろう。オレも疲れた」
 
 声が暗黒の王のものへと戻る。
 
 「オレも貴様は要注意人物と思っていた。下僕となればこれほどの番犬はいないが、敵に回った場合のリスクが、あまりに高すぎる男。生かさず殺さず様子を見るつもりだったが・・・やはり五十嵐里美の側に立ったか」
 
 「・・・あいつの名誉のために言うが、オレは里美からは何も聞いてない。いや、実を言えば・・・わからん」
 
 「わからん?」
 
 「今の状況もわからなければ、あの女の言うこともわからん。そして、オレ自身、これからどうすればいいのかも、な。だが、ひとつだけ、ハッキリわかっていることがある」
 
 メキイッッ・・・ビキビキビキッ・・・ミチミチッッ・・・
 奇妙な鳴き声とともに、タンクトップの下の筋肉が膨張する。
 傍目にわかるほどに工藤吼介の肉体が膨らんでいく。胸板は厚く、腕は太く、筋肉繊維が明瞭化し、血管が浮びあがる。一本一本の筋繊維が凝縮して鋼鉄となり、瞬発力が装填されていく。巨大化しすぎた筋肉が皮膚の上からくっきりわかり、人体模型のように筋肉組織を露にする。それはまさに、鋼の筋肉獣。
 
 「里美を傷つけた貴様は許さん、久慈」
 
 ドンッッッッ!!!!
 
 一気に解放され、怒涛となって押し寄せる闘気が、魔人の心臓を鷲掴む。
 
 「フン・・・たかが女一匹のために命を捨てるとは。最強が堕ちたな、工藤吼介」
 
 吹きつく激情に、額から汗を流しながらも、冷酷な魔人はニヤリと笑ってみせた。
 超高校級どころか超人間級と呼ばれ、プロ格闘家すらも凌駕すると噂される工藤吼介の強さ。
 それがいかほどのレベルに達しているかは、暴風雨並の殺気を受けているだけでわかる。
 もし、久慈仁紀という一個の人間が、工藤吼介と闘えば・・・果たして勝てることができるだろうか? しかし、今の久慈は『エデン』の融合者なのだ。そして吼介は知らない、久慈が壊し屋・葛原修司を、藤木七菜江や西条ユリでさえも勝てないと断言した、長身のストライカーを、素手で真正面から叩き潰していることを。
 
 「最強の看板を降ろさせてやろう。そして、我が軍門に下るがいい」
 
 久慈の両拳があがる。ボクサーそっくりの構え。
 地上から隔離された地下室で、今、もうひとつの決戦の火蓋が切って落とされた。
 
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