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妃嬪の徴証

後門の虎②

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 まずは持ち帰る、と言い翠明を伴って乾清宮に戻っていった皇帝の決定は、それまでの様子から考えると異常なほどに迅速だった。
 すぐさま主席宦官の昌健と後宮の管理をしている李尚宮を集め検討をしたところ、慶事としてすぐさま紅花を妃嬪に召し上げ宮を与えることに決まったのだという。

 曰く、現在の御子が女子しかいないこと。
 曰く、男御子が産まれることに期待があること。
 曰く、一の帝姫(つまり銀月)の身体が弱く輿入れ先は慎重に選択する必要があること。

 皇后派の主席宦官の昌健は皇后派なので少々難色を示したらしいが、それでも御子の少なさと男御子が産まれていないことへの懸念を優先した結果となった。
 ただし発表はもう少し根回しをしてからということになり、皇后主催の笄礼の宴は予定通り行われることになった。正式に宮を与えるには、後宮の主である皇后の承認が必要だからだ。皇后に否と言わせないための工作のための時間、ということだろう。
 紅花はそれまで承乾宮の側座房に留め置かれることになり、その世話は主に翠明が行うこととされた。懐妊を発表するまでの安全のためという判断だが、これも妥当と言えば妥当である。
 懐妊が外に漏れれば不埒なことを考えて行動を起こす者がいるものだ。彼女の本来の主である曹婕妤には、李尚宮が体調を崩した紅花の身柄を預かっているという偽の情報を知らせるという徹底ぶりだった。
 そして正房には近寄らせないよう、そして銀月とは遭遇しないよう、翠明はしっかり紅花を看護しつつ監視した。さらにはその間、万が一に備え白狼はずっと銀月の衣装を着せられていた。どこからか情報が洩れ、紅花や銀月へ暗殺などの手段に出られた時の身代わりとしてである。

「……つまらん」

 頭に鬘を乗せられいつものようにぎゅうぎゅうと地毛と紐で結ばれたり簪で突き刺されたりし、頭痛にうんうん唸りながら白狼は卓で頬杖をついていた。
 仕事中だぞ、という銀月の嫌味など聞き流す。主の身代わりとして女物の着物と化粧で着飾らせられ、ここを動くなと指示された通りのことをしているのだ。その通りずっと銀月の寝室にいる。文句を言われる筋合いはない。

「なあ、これいつまで続けさせられんの?」

 白狼は傍らで書を読む銀月に目線だけ動かして尋ねた。
 銀月自身も宦官の服を着てはいるが、既に白狼と身長差が顕著になっているため表で外の仕事をしている「小柄な宦官」のフリをさせるわけにはいかない。かといって帝姫に炊事や掃除をさせるわけにはいかないと、結局二人して部屋に軟禁されている状態である。

「とりあえず、笄礼の宴で紅花が妃嬪として入宮するという発表がされるまでかな」
「いつだっけ」
「十日後」
「なげえよ……」

 お前も納得しただろうと言われれば返す言葉もない。紅花に選ばせると自分から吹っ掛けた手前、その通りにことが進んでいるのだから文句を言うなということだ。

「せめて身体動かしたい」
「黒花が自分の傑作を壊したら承知しないぞと言っていただろう」
「この化粧と髪型にそんなこだわるか?」
「腕によりをかけて作ったと言っていた。ちょっとでも乱れたら、後が怖いと思うが?」
 
 はあ、と白狼はため息を吐いた。それはだめだ。翠明に叱られるのも恐ろしいが、本当に怒った時に手に負えないのは黒花だと思う。美人が怒った顔は迫力があって怖さが増すということを、この間の甘味盗み食い事件で思い知った。
 銀月は読んでいた書を棚に戻すと、傍らに置いてあった碁笥に手を伸ばした。

「暇なら碁でも打つか?」
「どうせぼこぼこに負かすんだろ?」
「たまにいい手を打つじゃないか。毎日打たねば上達しないぞ」

 そういいながら銀月は既に碁盤も卓に置いている。誘う体ではあるが白狼に拒否権はないらしい。銀月も部屋から出られず退屈していたのだろう。心なしか足取りが軽く見える。
 ちっと舌打ちをしながら白狼は碁笥の蓋を開け黒石を取り出した。いつも白狼は先に五つ好きなところに黒石を置いていいことになっている。さて、今回はどこに置いてやろうかと盤上を見ていると、扉をこつこつと叩く音がした。
 入ってきたのは小葉だ。そして手には米やら野菜やらの食料が入った籠を抱えている。

「失礼します、姫様」
「どうした」
永和宮えいわきゅうからの贈り物ということです」

 永和宮から、と銀月が首を傾げた。

「徳妃の宮の者がきたのか。なぜそんな食べ物を?」
「ええっと、徳妃様付の宦官ではく様という方がいらっしゃいまして」

 徳妃のところの柏といえば確かあのひょろ長いやつだ。

「最近、白狼が病ということで表に出ないので、徳妃様がご心配なさっていると……」
「徳妃が? 何故白狼の心配など……?」

 そういえばあの騒ぎと前後して、燕の訪問をすべて断っていた。表向きの理由としては白狼が病で寝込んでいるからとしているが、まさかそれが彼女の主に伝わったからか。
 しかし、よその宮で働く自分の下女の知り合いに、主自ら見舞いを送って寄こす妃など聞いたことがない。

「姫様への贈り物として持って来てくださったようですが、柏様がいうには白狼にも滋養のあるものを食べさせてやってほしいとのことでした」
「お前、徳妃の宮の者と付き合いがあったのか?」
「いやあ、付き合いというか、付きまといと言うか?」

 じろりと銀月が白狼を睨む。小葉はにやにやしながら銀月にささやいた。

「姫様、この子、徳妃様のところの下女に惚れられてるんですよ」
「なに?」
「ちょ、待ってよ小葉さん! それ、小葉さんの下衆な勘繰りだろ!」
「だって、差し入れの量が物凄いじゃない。それにあの子の表情、あれは間違いないわ」

 どういうことだと食って掛かる銀月に、自信たっぷりに断言する小葉。白狼は頭痛が酷くなった気がして項垂れたのだった。
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