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◆第八章◆

*7* 一人と一匹、思いもよらぬ一撃。

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「ねぇマリ、急いでいるのに本当に馬車を貸さないでも大丈夫なの?」

「大丈夫。むしろ貸さないでくれあんな危険なの」

「乗ってみれば……意外と、慣れるもの、だよ」

「いや、無理がありますよウィンザー様。そんな真っ青な顔で、今まさにあれに乗って帰って来た人に言われても」

 ベルの打ち上がらない花火を披露されて、忠太を丸洗いして、私とレベッカも個別に風呂に入って、そのあと部屋で喋ってる間に寝落ちた翌日。

 ホテルみたいな(行ったことないけど)朝食をレベッカと楽しみ、そろそろ帰ろうとしていたところで、ようやく館の主が帰還したと聞いて出迎えに出てみたらこれである。何だかなぁ……夫婦揃って顔色悪いし、ウィンザー様も悪阻なのかと見紛う現状だ。いや、惨状か?

「だけどとても速いのよ。前にマリのところに行った時にわたくしも使ったわ。少し揺れるけど安全だし空から見下ろす領内も美しいのよ。是非マリにも見てほしいわ。ね、フレディ様?」

「あ、ああ、そうだねレベッカ。マリ、安心してくれ、これは……わたしの体質、だと思う……っぷ」

 ウィンザー様はきっと一晩屋敷を空けてレベッカが心配だったのだろう。そしてこんな姿になってまで戻って来たところで、身重な妻の顔を立てようとするのは偉いが、こっちを犠牲にしようとしないでほしい。誰が見ても明らかな虚偽申告は止めろと喉まで出かかるが――。

【たいしつ かんけいなく よこになったほうが いいですよ わたしたちのことは おきになさらず】

 この反応の早さよ。出来るハツカネズミは違うな。こっちが考えてた間に打ち込んでたってか。先見がすぎて何ならちょっと怖いわ。

「うん、そう、それな? そういうことだからさレベッカ、私達は普通に街で辻馬車つかまえて帰るし。あ、でもその前にウィンザー様、ちょっとお手を拝借したいんですけど」

 忠太の仕事の早さに出遅れつつもその提案に乗っかって、ついでに自分の言い分もプラスして手を差し出せば、冷静な判断力を失ったウィンザー様が首を傾げて「別に構わないが……」と手を差し出してくる。

 その手が引っ込められる前に手首を握り「じゃあ失礼して」と前置いてから、人差し指と中指を合わせて思いきり振り下ろす。結構大きめな音がしたものの、意外にもウィンザー様の口から苦痛の声は出なかった。

 むしろこっちの指に手の甲の骨が当たって痛いくらいだったけど、レベッカは「マリ! どうしたの急に!?」と驚きを隠さず声に出す。ウィンザー様は相変わらずな猫背のまま、ジッとこちらを見つめている。いきなりの行動に逆上せず、理由を聞いてくれるつもりらしい。

 どっちかというとベルの方が私に対して殺気立っている。金太郎が庇う姿勢を見せてくれてなかったら、昨夜の電撃を食らってたかもしれない。

「ウィンザー様。妊娠中の妻と仕事を両立するのは難しいとは思うし、領民のこと考えたら働き者な領主って素晴らしいと思うんですけど。レベッカは貴男の家族だ。一番近い味方で、大切なものであるべきだと思う。だから初めての妊娠で不安なこの子を、あんま一人で留守番させないでやって下さい」

 大勢の命に責任感を持たないで良い一個人の愚かな願いだ。守らなくたって良いし、ここでブチ切れて捕まえたって良いのにな。心配そうに私達を交互に見やるレベッカの前で「確かにそうだな。善処しよう」と困った風に笑うこの人を、私は存外尊敬してる。

「また今度遊びに来るので、その時はレベッカと一緒に出迎えて下さい。で、今日私達が帰ったあとはのんびり過ごすこと。気付いてないだろうけど二人共顔色酷いから。ベル、見張りよろしくな」

 喧嘩を売る意思はないぞと声をかけるも生みの親より育ての親なのか、こっちにピリピリ感を向けるオレンジのクマ。褒めれば良いのか叱れば良いのかオロつく金太郎兄貴分。そしてパッと見でも分かるくらいふわっふわに毛を逆立てて臨戦態勢に入るハツカネズミ。

 見た目は可愛い三つ巴に最初に噴き出したのは誰だったのか。背後でひやつく使用人達には申し訳ないけど三人で大いに笑い合い、次の再会を約束したのち、レベッカの気が変わらないうちに早々にその場を離脱した。

 人気のない場所でまずは森の畑に飛び、張り切った金太郎のおかげであっさり水やりと収穫を済ませて自宅に飛んで。頭から服のまま井戸水を浴びて泥と汗を流し、身支度を整えてハリス運送の支店を訪ねたら、約束通り美味しいお茶とお菓子を出してもらえた。

 それを前に和やかに新しい商品の注文……えーと、前世で言うところの圧力鍋的なものが出来るかという〝あれ? 私の仕事って家電製造だっけ?〟と誤認するようなものだったが、まぁ、やってみますと返事しておく。何が次の仕事に繋がるか分からないし。

 その後は軽い世間話を楽しみつつ、今後はどんな流行りが来そうかなどという世間話に花を咲かせていたのだが、不意にブレントが「そう言えばお嬢は結婚願望なんていうのはないんですか?」と。突然前世のバイト先のスーパーのバックヤードで、先輩パートのオバサマ方にも投げられたことのない変化球を投げられ盛大に噎せた――が。

 思わず「そーいうの、セクハラっすよ」と素で返したら、ブレントは目を輝かせて「お嬢、そのせくはらっていうのはどんな商品なんです?」とか、少年みたいに目を輝かされてより返答に困ったのは、いつもなら助け船を出してくれるはずの忠太が肩の上でフリーズしていたせいだ。
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