炊き出しをしていただけなのに、大公閣下に溺愛されています

ぽんちゃん

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第一章

第七話 ――見つけた 《カイゼル視点》

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 部隊を率いるということは、いつだって命を天秤にかける仕事だ。
 命令一つで、誰かの生死が決まり、戦局すら動く。

 だから俺は感情を手放した。
 誰よりも冷静で、的確で、迷いのない存在であろうとした。

 ……それなのに。

 夜明け前の野戦本部。
 積み上げられた報告書と、負傷者の名簿。
 看取った仲間の数。
 取りこぼした命の重さ。
 すべてが、肩にのしかかっていた。

 戦場に立つ者として、覚悟はしていた。
 それでも、兵たちの呻き声や、誰かの名前を呼び続ける泣き声には、何度耳をふさいでも慣れなかった。

「セリアン……しっかりしろ。まだ死ぬな」

 副官であるセリアンが倒れた。
 かつて剣を交えた戦友であり、今は右腕として俺を支えてくれている男。
 その彼が、戦傷熱で臥せったとき――

 胸の奥に張りつめていた何かが、音を立ててひび割れた。

(……まだ、崩れるな。俺まで潰れたら、全員が止まる)

 夜を徹して、彼のそばにいた。
 頭が痛む。
 食事も取っていないせいか、手が震えていた。

 だが、誰も「食べろ」とは言わない。
 当然だ。
 俺は大公であり、最高司令官だ。
 顔色一つ崩せば、全軍に動揺が走る。

 俺は、常に強くなくてはならない。
 そう思っていたのに……。

「お疲れのところ、失礼します」

 不意に声がした。

 振り返ると、見慣れない若い兵士が立っていた。
 背は低く、痩せていて、軍服もまだ新しい。

 ふと視線がその掌に落ちた。
 布にくるまれた、小さな白い塊。

「それは……?」

「おにぎりです。片手でも、食べやすいようにと」

 ――おにぎり。

 この戦場で、そんなものを目にするとは思わなかった。

 干し肉と硬いビスケット、冷めたスープが常の食事だ。
 けれど、これは明らかに人の手で、想いを込めて握られたものだった。

 俺は黙ってそれを受け取る。
 ほんのりと温かい。
 指先に、誰かの体温が残っていた。

(――こんなに、人の温もりを恋しく思う日が来るとは)

 一口、かじった瞬間――

 すべての思考が、止まった。

(……なんだ、これは)

 味は、塩だけ。
 けれど、噛むごとに米の甘みがじんわりと広がっていく。
 なによりそのやさしさに、胸の奥がふっと緩んだ。

(……こんな味、知らない)

 俺の記憶に、こんな温もりはなかった。
 ただ黙々と食わされた栄養食。
 飢えを満たすためだけに胃に流し込む保存食。

 だけど、これは違う。

 口の中で、ほろりと崩れた瞬間。
 喉の奥が熱を帯びた。

 まるで、『生きろ』と、静かに背を押されるような味だった。

「…………うまい」

 言葉が漏れた。
 自分でも驚くほど、素直な声だった。

 この数日、俺は何かを噛みしめる感覚すら忘れていた。

 この一口に救われたんだ。

 礼を言おうと顔を上げたときには、青年の姿はもうなかった。

(……誰だ。あの青年は)

 名を知らない。階級も、所属すらわからない。
 けれど、あの味は忘れられない。

 これは、単なる好奇心ではない。
 あれほど人の心を立たせる味を、見過ごすことなどできるはずがなかった。

 この足を引きずってでも、あの青年に会いに行こう。

 胸の奥に、久しく忘れていた『人としての興味』が、静かに芽吹いていた。



 ◇ ◇ ◇



「――見つけた」

 前線の片隅で、青年の後ろ姿を見つけた。
 俺は迷わず彼の元へと向かう。

「……この形、いいな」

 控えめに残ったおにぎりを手に取ろうとする彼に、声をかけた。
 『残り物なので……』と気遣うその様子から、人柄の良さが滲み出ている。

 冷えたおにぎりだったが、それでもうまかった。
 もっと食べたくておかわりを所望すると、彼は俺のためにまた握ってくれるという。

 だが、この青年は、魔物討伐部隊の最高司令官である俺の名も、顔も知らないようだった。

(若き剣聖と持て囃されてはきたが……。所詮は、戦の名でしかないらしい)

 俺は自身の容姿が整っている自覚はあったが、彼は俺に媚びる様子もなく、ただひとりの炊事兵として接してくれた。
 その真っ直ぐな姿に、俺の胸が不思議と温かくなっていた。



 ◇ ◇ ◇



 午後。
 俺はひとり、厨房を訪れた。

 兵士たちの間で噂になっていたのだ。
 ――炊事班に、“妙にうまい飯を作る奴”がいる、と。

 最初は、名門貴族の《弓聖》ニコロ・マクミランの力だろうと噂されていた。
 軍規違反も金で揉み消せるような背景のある一族。
 だが、そうではなかった。

(ここには、『人を動かす』料理がある)

 戸を開けた瞬間、熱気と湯気、そして香りが流れ込んできた。
 戦場の空気とは違う、『誰かを想う匂い』だった。

 鍋の前で、せっせとおにぎりを握る青年。
 その周りには、三人の男たち――元英雄たちがいた。

「おにぎりの具の王道は鮭ですが、ここにはありませんからねぇ」

「となると、昆布か?」

 具材について話し合う弓聖ニコロと、槍聖――エドゥアルド・テオフィロス。
 楽しそうにしているが、目は真剣だ。
 そして青年は、自身の隣に立つ白いエプロンをつける男に尋ねた。

「ヴァル先輩はなにが好きですか?」

「……おにぎりは、梅干しに限る」

 その声に、俺は目を見張った。

 軍の頂点に立つ男――俺の師、ヴァレンタイン・レイノルズ元帥げんすい
 その人が、青年に渡していたのだ。

 しかも、『ヴァル先輩』と呼ばれている。

 俺は一度も、あの人をそう呼んだことがないというのに……。

 気がつけば俺は、ニコニコしながらおにぎりを握る彼から視線を逸らせなくなっていた。


「レーヴェ! おにぎりの次はなにをつくるんだ?」

「うーん……。次は、お肉がゴロゴロ入ったカレーなんてどうでしょう?」

「っ、俺の出番か!!!!」

 槍聖エドゥアルドが立ち上がる。
 片足を失ってなお、魔物退治に行く気力を取り戻していた。

「仕方がありませんね。エドひとりでは心配ですから、私も行きましょう」

 片目の視力を失った弓聖ニコロも、それに続く。

 元英雄たちが、再び武器を手に取った。
 ――ひとりの炊事兵のために。

 その青年は、武器も権力も持っていない。
 それでも、彼の料理は人を動かす。

 鍋の前に立つその背中から、目が離せなかった。


 ――料理ひとつで、戦場の空気を変えるとは……。


 こんな男を、見過ごせるはずがない。












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