炊き出しをしていただけなのに、大公閣下に溺愛されています

ぽんちゃん

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第三章

第六話 赦す男、赦せない男 《カイゼル視点》

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 焚き火の前で、レーヴェが鍋をかき混ぜていた。

 香ばしい油の匂いが立ちのぼり、揚げ物の音が静かな村の空気に溶けていく。

 その手つきは慣れたもので、迷いも、怒りも見えなかった。

「本当に、やるつもりか」

 少し離れた場所から問いかけると、レーヴェは微笑み、うなずいた。

「せっかく来てくれるんです。だから僕も、できることを返したい」

 その言葉には、曇りがなかった。

 まもなく、兵士たちが村に到着する。
 かつてレーヴェを侮辱し、排除し、無視し、時には嘲笑していた男たちだった。

 その足取りは重く、表情は後悔に歪んでいた。
 村の広場で一列に並び、皆が頭を下げる。

「……すまなかった」

「お前がいなくなってから、気づいた。どれだけお前に支えられていたのか、ようやく分かったんだ……」

 誰もが、赦しを乞う言葉を並べた。

 だが、レーヴェは何も言わない。

 怒ることも、責めることもできただろう。
 過去の過ちを突きつけて、罰を与えることもできたはずだ。

 それでも彼は、黙って鍋の前に立ち、言った。

「召し上がってください。揚げたての唐揚げです」

 ひとつずつ皿に盛りつけ、両手で丁寧に差し出していく。

 その姿に、なぜか胸が締めつけられた。
 何もなかったように微笑み、差し出すその手が、あまりに綺麗で、悲しかった。

 兵士たちは最初、戸惑っていた。
 誰も、最初の一口を運べない。

 だが、涙を浮かべながら口にしたひとりの兵士が、震える声で呟いた。

「っ……うま、い……」

 その瞬間、堰を切ったように次々と手が伸び、唐揚げが頬張られていく。

 皆が無言で食べ、涙をこぼし、後悔とともにうなだれた。

(赦しを乞うことは、簡単だ)

 だが、レーヴェにかけられた冤罪や、積み重ねられた侮蔑は、決して軽いものではない。

 料理の不味さを彼の責任にした者。
 炊事班を「敗残者の巣窟」と決めつけ、見下していた者。
 そして、エリンとディルクの関係を知りながら、黙って祝福した者たち。

 レーヴェは、その全てに向き合い、今、鍋を振るっている。

 自らの傷に蓋をしてまで、“誰かの空腹”に応えようとしている。

(それでも、なぜか彼の笑顔は、前よりもずっと、綺麗だった)

 悔しくなるほど、優しくて――。

 その姿を見ていると、言葉にならない感情が胸を締めつけた。

「……君は本当に、俺の誇りだ」

(俺はこの男を、心から愛している)

 ぽつりと呟いたその言葉は、レーヴェには届かなかったかもしれない。

 それでもいい。
 俺自身に刻むための言葉だった。

 だが同時に、こみ上げる激情を押しとどめられなかった。

 俺は兵士たちの列へと歩み出る。

 レーヴェの手によって、許されかけている彼らに、どうしても伝えておかねばならないことがあった。

「この場にいる全員に言っておく」

 その声に、列がざわつく。

 俺はあえて声を低く、鋼のように張った。

「――レーヴェ・ノアールに、二度と同じ過ちを繰り返すな」

 その言葉だけで、兵士たちは息を飲んだ。

「許しを受けたからといって、傲慢になるな。彼の寛容さに甘えるな。もし、再び彼を傷つけるようなことがあれば――」

 一拍、間を置く。

 その空白に、全員の顔が強張った。

「その時は、俺が敵になる」

 誰も口を開けなかった。
 誰も、顔を上げなかった。

 誰よりも厳格に、誰よりも冷徹に知られている王国軍最高司令官が、ただの元炊事兵のために、ここまでの言葉を放ったのだ。
 それは彼らにとって、警告であり、刃であり、最大の屈辱だっただろう。

 けれど、必要だった。

 レーヴェの優しさに、また誰かが胡座をかくことのないように。
 “赦されること”が、“忘れていいこと”と同義ではないと、知らしめるために――。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 夜になっても、村の広場には灯が揺れていた。

 子どもたちの笑い声や兵士たちの談笑。
 そして、唐揚げとスープの香ばしい匂いが、夜風に乗って漂っていた。

 レーヴェは焚き火のそばで、米を炊いていた。
 明日は俺の好物である、塩おむすびをにぎってくれるらしい。
 その背には、過去も、傷も、怒りも背負っているはずなのに、それでも彼は穏やかに火を見つめている。

(赦しているわけじゃない。ただ、それでも――)

 その姿が、何よりも強くて、美しかった。

 俺は隣に腰を下ろし、しばらく黙って火の揺らめきを見つめる。

「どうして、あんなふうに笑える」

 それは自問だったのかもしれない。

 レーヴェは少し目を伏せてから、答える。

「……赦してるわけじゃないんです。ただ、あの人たちもまた、誰かに許されなければ、前に進めないと思っただけで」

 その言葉に、胸が熱くなる。

「君が、どれだけ傷ついたか。どれだけ一人で抱えてきたのか、俺は……」

 声が震えそうになるのを、歯を食いしばって堪える。

「君の代わりに、全部焼き払ってやれるなら、そうしたかった」

 それでも、レーヴェは首を横に振った。
 彼の淡い灰色の瞳は、どこか影を宿しているのに、見つめてくるまなざしは、まるで傷を覆い隠すこともせず、ただ真っ直ぐにこちらを見つめてくる。

「誰かを傷つけて得る幸せでは、何も変わらないと思うから」

「優しすぎるな」

「……そんなことないですよ」

 その微笑みに、何度でも救われてしまう。

 レーヴェは静かで、優しい顔立ちだ。
 けれどその穏やかさの奥に、野に咲く小さな花のような、ひたむきな強さがある。
 踏みにじられても、風にあおられても、また朝になれば立ち上がるような。
 痛みを受け入れながら、それでも誰かのために咲き続けようとする、そんな花のような人だ。

 だからこそ、彼を傷つけるものすべてを、俺は赦せなかった。


「君のその優しさが、二度と利用されることのないように……。俺が守りたい」

「っ、カイゼル、様……」


 赦せない男が、赦す男を命懸けで愛している。
 それが俺の、愛のかたちだった。


「レーヴェ、俺と結婚してくれ」


 言葉にした途端、レーヴェの睫毛が小さく震えた。
 顔を上げたかと思えばすぐに伏せられ、その頬にはじんわりと赤みが差している。
 その反応が、どれほど可愛らしいものか。
 本人だけが気づいていないのが、もどかしくも愛おしい。

 何かを堪えるように唇を結び、レーヴェは小さな声で言った。

「……はい。僕なんかでよければ、ぜひ」

 息を呑んだ。
 どこまでも謙虚な、優しすぎるその言葉が、胸の奥に静かに染み渡っていく。

 どうして君が、自分を「なんか」だと思うんだ。
 君ほどの人を、俺は他に知らないのに。

 けれど今は、その気持ちをただ手のひらに込めた。

 そっとレーヴェの手を取る。
 細くて、繊細で、でも何よりあたたかい手だった。
 誰かのために動き続けてきたこの手を、これからは俺が守っていく。

 その決意とともに、俺は静かに笑みを浮かべた。


「ありがとう、レーヴェ。君を絶対に、幸せにする」


 灰色の瞳の奥が、ほんのりと潤んでいた。
 涙をこぼすまいと微笑むその顔は、春先の朝日みたいに優しく、あたたかくて、思わず腕が動いていた。

 ゆっくりと彼を引き寄せ、そっと抱きしめる。

「もう、大丈夫だ。俺がそばにいる。……これからは、ずっと」

 肩越しに感じる体温が、胸の奥にじんわりと沁みていく。

 この腕の中でなら、レーヴェが泣いても、笑っても、すべてを受け止めてみせる。

 俺は心の底から静かに祈った。

 “レーヴェを守ること”だけが、俺に残された最後の誇りであり、生きる意味。

 それが俺の、唯一にして最後の誓いだ。












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