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第2章

第41話 従者、まんまと術中にはまる

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 公爵の執務室に呼ばれたときから、嫌な予感はしていた。
 ノアが妙に静かだったことも、不安に拍車をかける。

 そして、その予感は当たることになる。



「今日から、お前はマリアベルの従者だ」

 開口一番、公爵はこう宣言した。

 あまりの事態に思考が停止する。

「……といっても、マリアベルの新しい従者が来るまでの間だがな」

「どういう……ことです……?」

「説明する必要はない。以上だ。下がれ」

 ぼくは呆然と公爵の執務室を出ていった。

 どういうことだ。

 どういうことだ!!

 まさか、公爵はマリアベルの願いを聞き入れたのか………?

 そんなことには、ならないはずだった。


「おい、お前」

 執事のセーロンが、ぼくを引き止めた。

 そうだ、セーロンならば、執事として公爵の側にいるので、何か知っているはずだ。

 セーロンは、王都の土産に葉巻をあげてから、ぼくに対する態度がずいぶん軟化した。
 彼ならば、何があったのか教えてくれるはずだ。

「なぜ、ぼくがマリアベルの従者にならなきゃいけないんですか!」

 セーロンの腕をつかみ、問い詰める。

「う、うむ……。実はな、以前から何度か、ミハエルが旦那様に進言しに来ていたのだよ」

「何をです!」

「最近の、アルティア様の愚行についてだ」

 曰く、

 アルティア様が、使用人たちに理不尽な命令を下し、それができぬ者には暴力を振るわれる。最近は特にその傾向が激しい。使用人共々困っている。
 それもこれも、側にちゃんとした従者がいないからだ。
 自分がアルティア様の従者になればアルティア様を止めることができる。
 アルティア様は、第二王子の婚約者で、将来は王族になるお方。
 そんな方が性格に問題あり、となれば、公爵家の評判は下がってしまう。
 もしかしたら、婚約を破棄されるおそれもあるのでは……?

 そんな言葉を、ミハエルは度々、旦那様に進言していたそうだ。

 そして、

「実際にな、使用人の中でのアルティア様の評判は悪く、そのことは旦那様の耳にも入っていた。だから、ミハエルの言い分ももっともだと感じておられたのだよ。そんなときにな、マリアベル様が旦那様にこう言ってこられた……」

 マリアベルは公爵に言った。
 ジェシーくんがお姉さまに暴力を振るわれているようだ、と。

 私はジェシーくんを助けてあげたい。それに、暴力を振るわれているほかの使用人のみんなも。
 お姉さまを止められるのはミハエルしかいない。
 ミハエルは、お姉さまの従者にするほうがいいと思う。
 ジェシーくんは貧民街出身だし、平民として育ってきた私も、ジェシーくんの方が親近感を持てる。
 貴族としてのマナーは家庭教師の先生たちに教えてもらえるから問題ない。
 ジェシーくんを、私の従者にしてほしい。

「マリアベル様は、『お姉さまのために、私の従者とお姉さまの従者を交換してくれ』と仰った。旦那様も、マリアベル様のお優しいお心に関心なされてなぁ」

「優しいだと……? こんなの、ただの妄想じゃないか!」

「むぅ。私もアルティア様が、使用人たちに厳しく当たっているのは見ているが、暴力まで振るわれているのは見たことがない。もちろん、それは旦那様にも伝えてあるのだが」

「ぼくはアルティア様の従者だ。マリアベルの従者なんてしない!」

「これ。マリアベル様も、サンロード公爵家のご令嬢だ。お前はサンロード公爵家に拾われた恩があるだろう? その旦那様がマリアベル様の従者にと望まれるならば、それに従うべきではないか?」

「ぼくを拾ってくれてのはアルティア様だ!」

「だとしても、お前に給料を払い、寝床を提供しているのは当主である旦那様だ」

「……もう一度公爵の所へ行ってくる」

「やめておけ。そんなことをすれば、今すぐ屋敷から追い出されるぞ。この屋敷にいるかぎりは、マリアベル様の従者をしていても、アルティア様には会えるのだ。我慢しろ」

「………」


「ジェシー」

「アルティア様……?」

 ぼくが黙り込んだとき、後ろから声をかけてきたのはアルティアだった。
 セーロンとのやり取りを聞いていたのかもしれない。

「ジェシー、前に約束したわよね。お父様には逆らわないでって」

「だけど!」

「いいのよ。お父様の命令だもの、仕方ないわ」

「お嬢様はぼくが従者じゃなくなっても、いいのですか!」

「嫌に決まってるじゃない!当たり前でしょ!」

「だったら、旦那様を説得しましょう!ぼくも今以上に頑張りますから。妙な噂も、事実無根だと話しにいきましょう!」

「無理よ。お父様は私の言うことなんて信じてくれないわ」

「言ってみなければわからない!仔犬のときだって、そうだったでしょう!」

「それとこれとは話が違うわ。ともかく、これ以上お父様を怒らせてはだめ。ジェシーがこの家にいられなくなってしまうわ」

「この家にいても、アルティア様の側にいられないのなら、意味がありません!」

「でも、会えるわ。この家にいる限り。セーロンの言うとおりね」

「嫌です、アルティア様……」

「ジェシー、お願いよ。……マリアベルの従者になりなさい」

そう言うと、アルティアはくるりと背を向けて去っていってしまう。

「アルティア様!……アルティア様!」

 目が熱い。
 視界がぼやける。

 ぼくはバカだ。
 ミハエルを、マリアベルを、公爵を侮っていたばっかりに。

「あ、いたー!ジェシーくん。迎えに来たよ」

 マリアベルがとことこと走ってくる。

「……お前のせい、」

「目的を見失うな」

 そう言って、セーロンがぼくの口を塞ぐ。

「本当の主は、心で決めればいい」

 言われ、急激に頭が冷えた。
 
 ぼくは何をしているんだろう。
 アルティアの側にいられなくなると知って、こんなに取り乱すなんて。
 マリアベルもサンロードの娘。
 光魔法を発現する可能性がある監視対象じゃないか。
 アルティア様の側にいながらマリアベルを監視していた今までが、マリアベルの側にいながらアルティア様を監視する体制に変わるだけだ。
 
 落ち着け。

「マリアベル様、よろしくお願い致します」

 ぼくはマリアベルに頭を下げた。

 屈辱で、おかしくなってしまいそうだった。

 人間の下とはいえ、アルティアの従者であることは耐えられた。ううん、むしろ……

 しかし、マリアベルだけは嫌だ。

 この人間だけは。

 憎悪が、渦巻く。




 マリアベルの部屋は、南向きの日当たりのいい一室だった。
 薄い黄色と白を基調とした部屋は、年相応の可愛さと上品さを兼ね備えた家具で統一されている。
 きついピンクが目に優しくない、アルティアの部屋が思い出された。

 授業の時間になり、いつかの数学の先生がやってくる。
 ぼくを見て、鼻で笑っていた。
 あなたは私の授業を受ける必要はないわね?と言われたので、頷いておいた。

 マリアベルは、最近まで市井で生活していたので、貴族としてのマナーに疎い。
 そのため、貴族夫人を招いてのマナー講座は、基礎から丁寧にやる。
 これは見ていたぼくも、勉強になることが多かった。
 しかし、マリアベルはすぐに飽きてしまったようで、テーブルに手を放り出してつまらなそうにしていた。
 あんな調子で、マナーを習得することはできるのだろうか。



 公爵一家揃っての夕食時。

 ぼくはアルティアではなく、マリアベルの側に控え、給仕をした。

 アルティアの側には、ミハエルがいて、優雅な所作でグラスに飲み物を注ぐ。アルティアはそれに頷くだけで、食事を進める。

 絵になる二人だった。

 まるで、最初から、主と従者であったかのように。

「ジェシー、お水ちょうだい」

 マリアベルがぼくに指示する。

 マリアベルは、ぼくを呼び捨てるようになった。
 主人なんだから、呼び捨てでいいよね、と。

「かしこまりました」

 ぼくはマリアベルのグラスを新しく出し、水を注ぐ。



 夜、マリアベルの部屋。

 ベッドに入ったマリアベルの枕元に、オレンジ色のランプが薄く灯っている。

「ジェシー、本を読んでくれる? 子守唄を歌ってくれてもいいけど」

 マリアベルは、何が楽しいのか、くすくす笑っている。

 その笑みが、ぼくの柔らかいところを逆撫で、ささくれ立たせる。

「申し訳ありません。ぼくは、暗い場所ではよく目が見えないので、本を読むことはできません。歌も、知っている曲がないので歌えません」

「そうなの? じゃあ、私が本を読んであげるね」

「いえ、結構です」

「遠慮しないで。そこに座って」

「いえ、ほんとに」

「うーん、何がいいかなぁ。ジェシーは男の子だから、こういうのが好きかな?『勇者伝説』」

 相変わらず、人の話を聞かないやつだ。

「ねぇ、お姉さまは本を読んでくれたことある?」

「……ありませんが」

「そうなんだ。うふふ」

 昔々、あるところに

 と、マリアベルが本を読み始める。

 昔々、あるところに、王様がいました。

 金の髪に、水色の目をした、それは美しい王様でした。

 王様は、大陸一番の大きな国を持っていました。

 王様の国はとても豊かで、人もたくさんいました。

 みんな楽しく暮らしています。

 しかし、王様には悩みがありました。

 それは、魔族のことでした。

 魔族は、人を襲って食べてしまいます。

 一人、二人、三人、四人、五人、六人……

 王様の国から、どんどん人が減っていきました。

 人々は魔族を怖がり、このまま王様の国にいたら食べられてしまう!と、国から逃げていきます。

 このままでは、国から人がいなくなってしまう。

 王様は悲しみました。

 そんなとき、人々の中から、一人の若者が立ち上がりました。

 ぼくが魔族を退治してやる!

 若者は、宣言通り、魔族をたくさん倒しました。

 王様は感謝し、彼に『勇者』の称号を与えました。

 勇者は魔族と戦ううち、魔族を操っている存在がいることに気づきました。

 『魔王』です。

 勇者は言いました。

 魔王を倒せば、魔族は霧となって消えるだろう。

 ぼくが魔王を倒してやる!

 こうして、勇者は魔王を倒しに行きました。

 さて、魔王城に乗り込んだ勇者は、魔王に会いました。

 魔王は、長く黒い髪をたなびかせ、金色の目はピカピカ光っています─────

 マリアベルが話をやめて、こちらを向く。

「黒髪に金の目だって。ジェシーみたいだね?」

「……そうですね」

 金の目は、魔王の証。

 絵本の中でも正しく描かれているんだな、と少しだけ驚いた。

 こうやって、人間の子供たちは絵本を教材に、魔族や魔王を悪しき存在と学んでいくのだろう。

「勇者は激しい戦いの末、魔王を倒しました。そして、魔王城に囚われていた美しい姫を見つけました。勇者は姫を助け出し、王様の元に帰りました。王様はとても喜び、褒美として勇者を貴族にしました。勇者と姫は結婚し、王様の国で幸せにくらしましたとさ。おわり」

 ふう、とマリアベルが息をつく。

「どうだった?」

「面白いんじゃないですか?」

「もう、なんで疑問系?」

「もう勇者に憧れる歳でもありませんので」

「まだ7歳じゃない」

「8歳です」

「あ、誕生日きてたんだ?」

「……はい」

「ふーん。おめでとう!」

「ありがとうございます。では、マリアベル様。ぼくはこれで失礼します。お休みなさいませ」

「うん、おやすみ。『魔王』さん」

 マリアベルはにぃと笑った。

 全てを見透かされている気がして、気持ちが悪かった。

 ぼくは逃げるように使用人寮へと向かった。

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