63 / 80
[63]すれ違う想い
しおりを挟む私達が降り立ったのは、王城の中庭だった。
ヴィは、もう用は済んだとばかりに、塔の頂上に括りつけられている三人から視線をはずし、私を横抱きにした。
「どこに行くの?」
走り出す気配を感じ、彼に聞いた。
ヴィの大きなローブに包まれ、彼の胸の中にいる。ほわほわと夢見心地で、だから、私はこれから直面すべき現実のことをすっかり忘れていた。
「教会だ。まだ間に合う」
「───待って」
こめかみに鋭い痛みが走った。絶望的に、悟る。ずっと一緒にいると言ったのに。ヴィは私との約束を守る気など、なかったんだわ。
信用ならないと言いながら、私はもう、ヴィとの幸せな未来を信じ始めていた。本当に、学習しない。嫌になる。
「勘違いするな。約束を破る気はない。側にいる。望まれる限り、ずっと」
「だったら、」
「お前がキッド・エンデの妻でも、護衛として側にいることはできる」
息が、詰まる。
ヴィは、私と恋人関係になるつもりはないと、その先、結婚して共に生きる未来はないと、そう言っている。
理解できない。この男は、どうしてこうまで頑ななの───?
「───愛してる」
ヴィが、唐突に言った。口まで出かかった文句が、意味をなさない音となって消えた。彼が言った言葉の意味がすぐにはわからなかった。何度もその響きを反芻し、心に染み込ませるようにして、やっと、鮮明になっていく。『愛してる』と言った。ここには、私しかいなくて、彼が見つめるのは、私で。ヴィは、私を愛してる。
あり得ないと思うのに、気持ちは揺らぐ。
ヴィは注意深く、私を待っている。
「愛してるなら、私を他の男にくれてやろうなんて発想が出てくるはずない」
───そう、甘い事を言って私を思い通りに動かそうとするのは、ヴィの常套手段だ。危なかった。信じてしまう、ところだった。
「───どうしてそんな嘘つくの」
涙がいっぱいに溜まり、滲む視界でヴィを睨む。
「嘘じゃない」
「嘘よ。貴方の魂胆はわかってるんだから。なんだかんだと言いくるめて、私を他の男に任せて、そうしてまた私の前から消えるつもりでしょう!」
「嘘じゃないのに。どうしたら信じてくれる」
ヴィが眉尻を下げ、困ったように笑った。まっすぐに、視線が絡む。たっぷりと時間をかけて、額にキスが落とされた。それから、頬にも。
「いいか、よく聞け。俺は、お前を愛してる」
しぐさが、声音が、あまりにも甘い。
まさか、まさか、本当に……?
「───私も、愛してる」
ヴィの首にしがみつき、震える声で言った。口にするのが怖かった。想いを吐き出した途端、最後に繋ぎ止めていた緊張の糸が切れ、体がばらばらになってしまう気がしてして。でも、そうはならなかった。
嫌だ、と首を振る。嫌だ、嫌だ。せっかく想いが通じ合ったのに、報われないなんて、おかしい。
「私をキッド様に渡そうとしないで」
期待を込めて見上げた彼の表情は固く───、ああ、もう彼は決めてしまっている。
「───愛してるから、フィオリアには幸せになってほしい」
相手のためだからと、簡単に手放してしまえる。そんなのが、愛だと言えるの?───わからない。私はヴィを、ルルになんて、他のどの女にも、渡したくはない。
「貴方は、それでいいの? 私が毎晩他の男と寝て、他の男の子供を産んで、歳を取っていくのをただ側で見てるっていうの?」
「………俺には地位も、金もない。この派手な容姿のせいで、一歩街に出れば悪魔呼ばわりだ。裏町の怪しいサーカス団で、一生、隠れて生活することになる。俺のために、お前を底辺まで引きずり落としたくないんだよ───キッド・エンデと結婚すべきだ。あいつならお前を幸せにできる」
「やめて」
自分でも信じられないくらい、悲痛な叫びが出た。
「私は、貴方と共に人生を生きていきたいの。それは、恋人とか、夫婦とか、そういう、隣で肩を並べてって意味よ。そのためなら、地位も、お金もいらないわ!」
若いな、とヴィはすべてを見透かしたような、何とも言えない笑顔を浮かべた。
「お前はまだ18だ。十代というのは、そうやって、簡単に熱に浮かされる歳だ。初めてのキスの相手がよく見えるし、好きだと勘違いする。夢を見ている。だが、その夢もいつか必ず覚めるときが来る。気の迷いだったと、そのときになって後悔しても遅いんだぞ」
「私の想いは本物よ」
気の迷いなんかじゃない。悔しくて、唇を噛みしめる。どうして、わからないの。
「フィオリア、現実はそう甘くない。具体的に考えてみろ。お姫様が、俺との生活に耐えられるわけないだろ。すぐに音を上げて、実家に逃げ帰るに決まってる」
「逃げるわけない。貴方がいる場所が、私のいる場所なんだから」
「───わかるんだよ、俺には」
「全然わかってない!この、独りよがりの頭でっかち!」
未来が見えるという"死神"ではなかったくせに、いったい、この先の未来の、何がわかるというのか。
「私の幸せは、貴方と共に歩む人生にある。そうできないから、死んだ方がましよ」
堂々巡り。こんな言い合い、不毛だわ。
「────キッド・エンデはどうする? やつは今も教会で待っている。お前との未来を描いて幸せに浸ってるんだぞ。あれだけ利用しといて、裏切るのか」
「それは………」
そう言われると、辛い。散々、彼を利用してきた自覚はあるし、罪悪感も、言葉で言い尽くせないほど感じている。
でも、だからといって、
「無理だわ。私はどうしても貴方を愛しているし、これから他の男のものになるなんて、できない」
ヴィは黙り込む。ああ、やっぱり、とため息のように吐かれた彼の言葉をぼんやり聞いた。
「……………戻るべきじゃなかった」
なんで、すって………?
カッと頬が熱くなる。
「ひどいわ!」
これではっきりした。ヴィは私を愛していると言ったけど、私とヴィの気持ちは一緒じゃない。確実に、温度差が存在する。
私ばっかりこの男が必要で、いないと生きていけなくて。───馬鹿みたい。気分が悪い。吐きそう。
「フィオリア、落ち着けよ。俺は喧嘩したいわけじゃない」
「これが落ち着いていられるものですかっ」
私だって喧嘩したくなんかない。ヴィが折れてくれればいい。キッド・エンデのものになんかなるな、一緒に逃げようと。ただ、そう言ってくれさえすれば、ドレスも宝石も、公爵令嬢としての地位も──家族も──全てて捨てて、身一つで貴方と逃げるのに。
「なぁ、頼むから冷静になって、話を聞いてくれ」
「嫌よ、これ以上話すことなんてない!」
と、彼が動きを止めた。宙をぼんやりと見つめ、呟く。
「───ああ、マズイ。公爵が王様とやり合ってる」
「え………?」
公爵──それって、お父様のこと? 陛下と、やり合うって………
────戦争。
ぎくりと凍りつく。怒りは瞬時に消え失せ、不安が波のように押し寄せてきた。
「お父様はどこ」
ヴィが美しい顔を歪めた。教えるんじゃなかったと、後悔しているのか。もしかしたらさっきのは、私に聞かせるつもりのない、独り言だったのかもしれない。
「お父様はどこ!」
「───王城、謁見の間」
「行かなきゃ。今すぐに……!」
腕を引っ張り、ヴィを懸命に急かす。
「やられたよ。婚約式は中止だな。お前の望み通りってわけだ」
呟かれたヴィの言葉は、もはや耳に入らなかった。
0
あなたにおすすめの小説
なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
王子の片思いに気付いたので、悪役令嬢になって婚約破棄に協力しようとしてるのに、なぜ執着するんですか?
いりん
恋愛
婚約者の王子が好きだったが、
たまたま付き人と、
「婚約者のことが好きなわけじゃないー
王族なんて恋愛して結婚なんてできないだろう」
と話ながら切なそうに聖女を見つめている王子を見て、王子の片思いに気付いた。
私が悪役令嬢になれば、聖女と王子は結婚できるはず!と婚約破棄を目指してたのに…、
「僕と婚約破棄して、あいつと結婚するつもり?許さないよ」
なんで執着するんてすか??
策略家王子×天然令嬢の両片思いストーリー
基本的に悪い人が出てこないほのぼのした話です。
他小説サイトにも投稿しています。
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。
けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、
やがて――“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー&聖女覚醒編
第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
悪役令嬢のビフォーアフター
すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。
腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ!
とりあえずダイエットしなきゃ!
そんな中、
あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・
そんな私に新たに出会いが!!
婚約者さん何気に嫉妬してない?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる