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始末?⑤
アリーチャはバレンティナから逃げるようにサロンを後にした。あの様子なら、バレンティナは絶対に引かない。貴族意識の塊であるバレンティナ。自分にも確かにその意識はあるが、これから起こりうること、自身に降りかかる何かの方に怯えていた。
おそらくロベルタもヴァンダも、それぞれに厳しい対応がなされているはず。自分に何も起こらないわけがない。2年振りに帰って来たのに、顔を見せない姉マリーチャも不気味だ。仕事が忙しくて帰ってこれない父親と兄も、そろそろ帰って来るはず。只でさえあのテイマー女の噂を流し、屋台街でウルガーの名前を出した。そして、昨日、従兄弟のウルガー三兄弟と接触し、辛辣な対応をされた。
父親に何か言われたら、全部バレンティナのせいにしよう。だって向こうは侯爵、こちらは格下の伯爵だ。逆らえなかったと言うしかない。闇ギルドの件は、どうにかして言い訳しなければ。もしかしたら、これに関してはバレない可能性もある。メイド長には、ロベルタとヴァンダの様子が心配だから、と言いくるめた。
とにかく、自分の身を守らなければ。おそらくこれがきっかけで、どこかに嫁がされるだろうが、贅沢を言っていられない。
ユリアレーナご意見番、ダイチ・サエキが後見人をしているテイマー女にありもしない噂を流したし、ウルガー三兄弟にも目をつけられている。
なんとかして、言い訳しなくては。
アリーチャは屋敷に帰ると、メイド長から父親と兄が今日帰宅することを知らせられる。
「旦那様より、それまでお部屋で待つようにとのことです」
「そう、分かったわ」
いよいよだ、とアリーチャは思った。
部屋に戻る時、姉マリーチャの部屋の前を通ったが、物音一つせず、不気味だった。
メイド長に聞くが、答えは返ってこなかった。
夕方、父親と兄が帰って来た。メイド長に呼ばれて、父親の書斎に向かう。
「お父様、アリーチャです」
『入れ』
無機質な父親の声。
書斎に入ると、机には白髪頭の父親と、兄のマファスが厳しい顔で待っていた。
やはり、厳しく叱責される。
いくつもの言い訳を考えながら、書斎に。
「アリーチャ、何故、呼ばれたか分かっているな?」
やはり、来た。アリーチャはいかにも、といった顔をする。
「ギルドの忠告があったテイマーに、侯爵家バレンティナ様の命とは言え、伯爵家の娘として恥ずべき行為をいたしました。今、深く反省の……………」
言い掛けたアリーチャの足元に、インク瓶が飛んできた。思わず後退る。
「お前はそうやって、誰かのせいにするッ」
父親が真っ赤になりながら怒鳴る。
アリーチャは昔から言い訳ばかりして、ちょっと面倒なことから逃げる癖があった。そしていつも誰かのせいにして、言い逃ればかり。ほとんど姉マリーチャが尻拭いをしていた。
父親の余りの声量に、アリーチャはすくんでしまうが、ここで引くわけにはいかない、バレンティナの命で仕方なく、といった体を取り続けなければ。
「お父様、私は、バレンティナ様に逆らえません」
そのスタンスを崩すわけにはならない。向こうはユリアレーナでも最大勢力のナージサ侯爵家の娘だ、しかも当主の妹はあの第一側室エレオノーラ。こちらは歴史ある伯爵とはいえ、分家のウルガー子爵の勢いはいいが、本家のこちらは落ち目だ。逆らえるわけがない。
「ああ、そうだな、あのナージサ侯爵だからな。だったらなぜ自分から離れなかった? 今までいくらでも機会はあったはずだ。お前に来た見合いの話をいくつ無下にしたと思う? 城の侍女の道もあったはずだ。それを断ったのは、お前自身だったな?」
アリーチャには、見合い話がいくつかあった。だが、相手が格下の子爵や男爵だったり、分家のウルガー子爵家に繋がりたい為の見合いだったので、妙なプライドが邪魔して断った。なにより、バレンティナとつるんでいる方が楽しくて、そちらを優先した。そしてあの4人の中でも成績が良かったので、侍女の道もあったが、労働したくなかったから断っていた。いくらでも、バレンティナ達から離れる機会はあった。今更ながら後悔する、あの時出された選択肢の一つを選んでいれば、と。
「私は」
「それもバレンティナ様の命とは言わないよな? あの時お前は言った『格下になんかに嫁ぎなくない』『侍女なんて、手荒れするから嫌』と、な。忘れたわけではないだろう?」
父親は怒気を孕んだまま続ける。
「今はそれを叱責しているわけではない。あれはお前の判断に任せたのだから。後悔なんぞしていないだろう?」
言葉を選ぼうとして、アリーチャは黙る。
「私達に、何か言うことはないのか、アリーチャ」
父親の声がますます底冷えしてきた。
「ウルガー伯爵家の名誉を汚したこと、お詫びのしようもありません」
アリーチャは、とりあえず、反省している姿勢を取る。後はこれで、父親が引けばいい。いつもこうやって反省したフリをして、父親が引いてくれた。
それにため息をついたのは、兄マファスだ。
「お父様、アリーチャは知らぬ存ぜぬで通すつもりですよ」
「ああ、そのようだ」
なんのことか分からないアリーチャは、嫌な予感がした。
「アリーチャ、昨日、アルベルトが私に会いに来た」
その言葉に、アリーチャは頭から血が落ちる感覚がした。
「そして今日、サエキ様が、わざわざ私の所に来た。分かるな? その意味が」
アリーチャは足元が震えだした。
「お前は人の道を外れた。この場で、バレンティナ嬢が何をしようとしているか告白できれば、お前の処遇を考えたのだがな」
ばれている。昨日と今日の事が、全部。
ばれている。いや、待て、もしかしたら、かまをかけているだけかもしれない。
だって、ナージサ侯爵経営のサロンの個室は防音されているし、闇ギルドに行っても、内容は父親はしらないはず。知っているのは、従兄弟とどう話したかという事だけ。
「お父様、アルベルト様には、バレンティナ様からアプローチしろと命じられて。失礼な態度を取った事はお詫びします」
二つのため息がでる。
「アリーチャ、まだ誤魔化す気か? 知らぬとでも思っていたのか? かのテイマーを闇ギルドに強姦させようとしたな?」
父親と兄の目にさらに嫌悪の色が浮かぶ。
「それがダメなら、両親を殺す? お前はいつからそんな権利を得た? 人の命を簡単に奪えるような生殺与奪の権限を得た? いつだ? 随分と偉くなったなッ」
父親が声を張り上げ、机を叩く。
なんですべてばれている? なんで? なんで?
「ち、違いますお父様、私は、断りました」
これは本当だ。最後に怖じけづいて、アリーチャは引いた。
「断ったとかの問題ではないっ。お前がそれらに関与して、黙っていたことが問題なのだッ。もし、お前が今回の事を私達にだけでも、告白できればと、僅かに期待した私が馬鹿だったッ」
父親は叫び、立ち上がる。マファスがその肩を掴み、なんとか座らせる。あまりの剣幕に、アリーチャはどの返答をするか迷う。
「アリーチャ、お前は知らないだろうから教えてやる」
息を整える父親に代わり、マファスが威圧的に話し出す。
「まずは、マーファで起こした騒動の件だ。宰相から呼び出され、各家に厳重な注意がなされた。内々に進めていた嫁ぎ先にと思っていたが、それも出来なくなった。相手は誰だと思う? オスヴァルト・ウルガーだ」
それはまさに政略結婚。本家としては、勢いのある子爵家との繋がりを濃くしたかった。オスヴァルトにはすでに嫡男がいるため、跡取りは求められない、形式上の結婚だ。
「確かに歳は離れているが、悪くない話だった。向こうも本家の話だから無下に出来なかった。オスヴァルトも後妻後妻と周りがうるさいから、虫除け程度と思っていてくれ始めていた。だが、さっきはっきり断られた。『死んでも嫌だ』となっ」
「そんなっ、私は何も知りませんでしたっ」
そう、アリーチャには内々に進めていた事だった。オスヴァルトはウルガー子爵当主の弟で、スペアだった。だが、アルベルトには2人の息子が無事に成人を迎えた事、オスヴァルトの騎士としての功績が認められ男爵を賜る事になどがあり、アリーチャにとっても悪くない話だと父親が打診していたのだ。いずれ将軍になるような男だ、そうなれば生活だって余裕があり、爵位だって上がる。アリーチャにとっても、ウルガー伯爵にとっても悪くないと思った。伯爵家の為もあるが、アリーチャを思って行って来たことを、当のアリーチャが土足で潰してしまった。そして当主とマファスは騎士団の事務官をしているが、格下の分家とはいえ、いずれは将軍確実のオスヴァルトから睨まれたら出世に響く。特にマファスはまだ若い為に、その影響は長く続く。マファスは優秀ではあるが、抜きん出て、という訳ではない。伯爵家嫡男、あのウルガー三兄弟の従兄弟という看板があっての役職に就いているのだ。
「ふざけるなっ、2年前に一度お前はオスヴァルトの話を蹴ったではないかっ。後妻は嫌だ、子爵のスペアのとこは嫌だとっ」
そう、2年前に、本家内々にオスヴァルトに打診する前にアリーチャの意思を確認したら、マファスがいったような返答が返って来た。アリーチャは単に数ある見合いの一つだと、足蹴にしただけ。
「お前はどうせこう考えていたのだろう? マリーチャがゲオルグ王子の正室になれば、もっと条件のいいところから、話がくると」
マファスの言葉は、アリーチャが心の奥底で無意識に考えていた事を指摘する。
「だが、それももうないっ。問題を起こし、サエキ様や国から目をつけられたお前を誰も欲しがらん」
突き放すようにマファスが言う。
「アリーチャ」
そこに、息を整え冷静になった父親が告げる。
「マリーチャは、お妃レースを外された。何故か分かるな? お前の無責任さがそうさせた。マリーチャがなぜお前に顔を見せないか分かったか? 見たくないからだ」
姉のマリーチャは、妹から見ても美しく淑女の手本のような人で、何をしても勝てない存在だった。何より、母親を早くに亡くして、まるで自分が母親のようにアリーチャに注意するのが、嫌いだった。だから、何度もバレンティナ達から離れるように言った姉の言葉を無視した。
結果が、これだ。
何故か、使用人達の目が冷たいような気がしたのはこれだ。
落ち目のウルガー伯爵家が持ち直すには、マリーチャのゲオルグ王子の正室入りが不可欠だった。そしてアリーチャも勢いのいい分家に政略でも嫁がせることさえできれば、かつての華やかさが戻ってきたはずだった。
それがすべて台無しになった。
「お前の処遇を今から伝える」
姉マリーチャが部屋に籠っている理由は分かったが、今はそれどころではない。
「北の国営農場にある修道院に、お前を移す」
一瞬、アリーチャは安堵した。修道院は何年間か勤めたら、出ることが可能だ。その数年さえ耐えたら、その頃には、家族の考えも変わっているはず。何より伯爵家の娘である自分を政略結婚の道具にするはずだからだ。必ず、出られる。
「そしてお前をウルガー伯爵家から除籍する」
それは甘いアリーチャの考えを粉砕した。
「え? ど、どうしてですかっ」
「どうして? お前、本気で言っているのか?」
あきれ返る父親。
元々、修道院は数年したらアリーチャを引き取り、どこかに嫁がせる気だったが、今回の闇ギルドの件で、ウルガー伯爵家はアリーチャを切り離さなければならなくなった。
「何をしたか分からないのか?」
「伯爵家にご迷惑をおかけしましたが、一生修道院なんて嫌ですッ」
除籍されたら、修道院を出た後の頼る先がない。そうなれば、生きていけずに修道院に戻らなくてはならない。
「だったら自立しろ。除籍は免れんから、平民として生きるがいい」
吐き捨てる父親。
自立なんて無理だ。今までろくに働いたこともなければ、自分で自分の世話すらしたことがないのに。
「平民として生きるか、修道院か、どちらにしてももう我が家とは関係ない。修道院の迎えが来るまでは自室で過ごすことは許してやるが、部屋から出ることは許さん。さあ、どうする?」
アリーチャは考える。
今から無一文で追い出されると生きていけない。修道院なら、最低限の衣食住がある。それに、何かしらの資格を得たら、修道院から出られる。そうアリーチャは考えた。実際そんなに甘くはないのに気付かず。
「………修道院に行きます」
アリーチャはせめて母の墓前に行きたいと訴えたが、許可されなかった。
数日後。
朝から屋敷はばたついていた。
アリーチャが窓から見ると、ちょうど馬車が来ていた。もう迎えが来たかと思ったが、違った。
マリーチャが旅支度をしていた。周りにはたくさんの使用人が囲んでいる。マリーチャは一人一人話して、手を握り、優しく抱擁していた。最後に父親と兄にしっかり抱きしめられて、マリーチャは馬車に乗った。メイドもフットマンもシェフも庭師も、みんなでマリーチャに手を振って見送っていた。
姉も、どこかの修道院に行くのか? そう思った。
しばらくして、アリーチャの迎えが来た。
荷物は最小限にして、トランクに目一杯詰めた。リュックにもできるだけ詰めた。部屋に呼びに来たが、誰も荷物は運んでくれない。アリーチャは除籍されているのだ。アリーチャは騒いだら厄介だと思い、自分で荷物を運んだ。
メイド長だけが、玄関にいた。
「お父様とお兄様は?」
その言葉に、メイド長は冷たい目で答える。
「ご出勤なされました」
さー、とアリーチャの心が冷めていく。二度と会えない可能性があるのに、父親と兄は何も言わず、何も見ずに仕事に行った。だが、仕方ない、そう、仕方ない、いまは騎士団が忙しいから。そう、仕方ないのだと、アリーチャは思い込ませる。
せめて、最後に、メイド長に声をかけようと振り返った。
だが、メイド長はすでにそこにはおらず、屋敷内にとってかえしていた。無表情に冷めきった目で、扉を閉めた。
ガチャン
と、鍵をかける音が響く。
玄関には、アリーチャ、ただ一人。たった一人。
完全に、自分は見限られた。
姉マリーチャは、総出で見送られたのに対して、自分はどうだ?
誰にも認められず、誰にも心をかけられずに、孤立したアリーチャ。
馭者がトランクを馬車の上に乗せてくれ、アリーチャは震える体で乗り込んだ。
胸を締め付けられる寂しさ。座席に座ったとたんに涙が溢れてきた。ウルガー伯爵から、家族から、捨てられた。身から出た錆だが、アリーチャはここまでされるとは思っていなかった。完全に甘く見て、見くびっていたからだ。どうせ、いつものように、なかった事にしてくれる。黙ってさえいれば、知られなければどうにかなると。いつか帰って来れると、思っていたが、あの鍵の音が、甘い希望を叩き壊した。
あの時、見合い話を受けていたら? 侍女の試験に挑戦していたら? マーファで騒ぎさえ起こさなければ?
あの時、あの時、あの時、あの時、あの時。
後悔先に立たず。
誰かが、そんなことを言った気がする。
アリーチャは泣いた。激しい後悔にのまれながら。
修道院に着くまでの間で、アリーチャは泣きはらした。
それからアリーチャが、修道院から数年後出たかどうかは、誰も知らない。
おそらくロベルタもヴァンダも、それぞれに厳しい対応がなされているはず。自分に何も起こらないわけがない。2年振りに帰って来たのに、顔を見せない姉マリーチャも不気味だ。仕事が忙しくて帰ってこれない父親と兄も、そろそろ帰って来るはず。只でさえあのテイマー女の噂を流し、屋台街でウルガーの名前を出した。そして、昨日、従兄弟のウルガー三兄弟と接触し、辛辣な対応をされた。
父親に何か言われたら、全部バレンティナのせいにしよう。だって向こうは侯爵、こちらは格下の伯爵だ。逆らえなかったと言うしかない。闇ギルドの件は、どうにかして言い訳しなければ。もしかしたら、これに関してはバレない可能性もある。メイド長には、ロベルタとヴァンダの様子が心配だから、と言いくるめた。
とにかく、自分の身を守らなければ。おそらくこれがきっかけで、どこかに嫁がされるだろうが、贅沢を言っていられない。
ユリアレーナご意見番、ダイチ・サエキが後見人をしているテイマー女にありもしない噂を流したし、ウルガー三兄弟にも目をつけられている。
なんとかして、言い訳しなくては。
アリーチャは屋敷に帰ると、メイド長から父親と兄が今日帰宅することを知らせられる。
「旦那様より、それまでお部屋で待つようにとのことです」
「そう、分かったわ」
いよいよだ、とアリーチャは思った。
部屋に戻る時、姉マリーチャの部屋の前を通ったが、物音一つせず、不気味だった。
メイド長に聞くが、答えは返ってこなかった。
夕方、父親と兄が帰って来た。メイド長に呼ばれて、父親の書斎に向かう。
「お父様、アリーチャです」
『入れ』
無機質な父親の声。
書斎に入ると、机には白髪頭の父親と、兄のマファスが厳しい顔で待っていた。
やはり、厳しく叱責される。
いくつもの言い訳を考えながら、書斎に。
「アリーチャ、何故、呼ばれたか分かっているな?」
やはり、来た。アリーチャはいかにも、といった顔をする。
「ギルドの忠告があったテイマーに、侯爵家バレンティナ様の命とは言え、伯爵家の娘として恥ずべき行為をいたしました。今、深く反省の……………」
言い掛けたアリーチャの足元に、インク瓶が飛んできた。思わず後退る。
「お前はそうやって、誰かのせいにするッ」
父親が真っ赤になりながら怒鳴る。
アリーチャは昔から言い訳ばかりして、ちょっと面倒なことから逃げる癖があった。そしていつも誰かのせいにして、言い逃ればかり。ほとんど姉マリーチャが尻拭いをしていた。
父親の余りの声量に、アリーチャはすくんでしまうが、ここで引くわけにはいかない、バレンティナの命で仕方なく、といった体を取り続けなければ。
「お父様、私は、バレンティナ様に逆らえません」
そのスタンスを崩すわけにはならない。向こうはユリアレーナでも最大勢力のナージサ侯爵家の娘だ、しかも当主の妹はあの第一側室エレオノーラ。こちらは歴史ある伯爵とはいえ、分家のウルガー子爵の勢いはいいが、本家のこちらは落ち目だ。逆らえるわけがない。
「ああ、そうだな、あのナージサ侯爵だからな。だったらなぜ自分から離れなかった? 今までいくらでも機会はあったはずだ。お前に来た見合いの話をいくつ無下にしたと思う? 城の侍女の道もあったはずだ。それを断ったのは、お前自身だったな?」
アリーチャには、見合い話がいくつかあった。だが、相手が格下の子爵や男爵だったり、分家のウルガー子爵家に繋がりたい為の見合いだったので、妙なプライドが邪魔して断った。なにより、バレンティナとつるんでいる方が楽しくて、そちらを優先した。そしてあの4人の中でも成績が良かったので、侍女の道もあったが、労働したくなかったから断っていた。いくらでも、バレンティナ達から離れる機会はあった。今更ながら後悔する、あの時出された選択肢の一つを選んでいれば、と。
「私は」
「それもバレンティナ様の命とは言わないよな? あの時お前は言った『格下になんかに嫁ぎなくない』『侍女なんて、手荒れするから嫌』と、な。忘れたわけではないだろう?」
父親は怒気を孕んだまま続ける。
「今はそれを叱責しているわけではない。あれはお前の判断に任せたのだから。後悔なんぞしていないだろう?」
言葉を選ぼうとして、アリーチャは黙る。
「私達に、何か言うことはないのか、アリーチャ」
父親の声がますます底冷えしてきた。
「ウルガー伯爵家の名誉を汚したこと、お詫びのしようもありません」
アリーチャは、とりあえず、反省している姿勢を取る。後はこれで、父親が引けばいい。いつもこうやって反省したフリをして、父親が引いてくれた。
それにため息をついたのは、兄マファスだ。
「お父様、アリーチャは知らぬ存ぜぬで通すつもりですよ」
「ああ、そのようだ」
なんのことか分からないアリーチャは、嫌な予感がした。
「アリーチャ、昨日、アルベルトが私に会いに来た」
その言葉に、アリーチャは頭から血が落ちる感覚がした。
「そして今日、サエキ様が、わざわざ私の所に来た。分かるな? その意味が」
アリーチャは足元が震えだした。
「お前は人の道を外れた。この場で、バレンティナ嬢が何をしようとしているか告白できれば、お前の処遇を考えたのだがな」
ばれている。昨日と今日の事が、全部。
ばれている。いや、待て、もしかしたら、かまをかけているだけかもしれない。
だって、ナージサ侯爵経営のサロンの個室は防音されているし、闇ギルドに行っても、内容は父親はしらないはず。知っているのは、従兄弟とどう話したかという事だけ。
「お父様、アルベルト様には、バレンティナ様からアプローチしろと命じられて。失礼な態度を取った事はお詫びします」
二つのため息がでる。
「アリーチャ、まだ誤魔化す気か? 知らぬとでも思っていたのか? かのテイマーを闇ギルドに強姦させようとしたな?」
父親と兄の目にさらに嫌悪の色が浮かぶ。
「それがダメなら、両親を殺す? お前はいつからそんな権利を得た? 人の命を簡単に奪えるような生殺与奪の権限を得た? いつだ? 随分と偉くなったなッ」
父親が声を張り上げ、机を叩く。
なんですべてばれている? なんで? なんで?
「ち、違いますお父様、私は、断りました」
これは本当だ。最後に怖じけづいて、アリーチャは引いた。
「断ったとかの問題ではないっ。お前がそれらに関与して、黙っていたことが問題なのだッ。もし、お前が今回の事を私達にだけでも、告白できればと、僅かに期待した私が馬鹿だったッ」
父親は叫び、立ち上がる。マファスがその肩を掴み、なんとか座らせる。あまりの剣幕に、アリーチャはどの返答をするか迷う。
「アリーチャ、お前は知らないだろうから教えてやる」
息を整える父親に代わり、マファスが威圧的に話し出す。
「まずは、マーファで起こした騒動の件だ。宰相から呼び出され、各家に厳重な注意がなされた。内々に進めていた嫁ぎ先にと思っていたが、それも出来なくなった。相手は誰だと思う? オスヴァルト・ウルガーだ」
それはまさに政略結婚。本家としては、勢いのある子爵家との繋がりを濃くしたかった。オスヴァルトにはすでに嫡男がいるため、跡取りは求められない、形式上の結婚だ。
「確かに歳は離れているが、悪くない話だった。向こうも本家の話だから無下に出来なかった。オスヴァルトも後妻後妻と周りがうるさいから、虫除け程度と思っていてくれ始めていた。だが、さっきはっきり断られた。『死んでも嫌だ』となっ」
「そんなっ、私は何も知りませんでしたっ」
そう、アリーチャには内々に進めていた事だった。オスヴァルトはウルガー子爵当主の弟で、スペアだった。だが、アルベルトには2人の息子が無事に成人を迎えた事、オスヴァルトの騎士としての功績が認められ男爵を賜る事になどがあり、アリーチャにとっても悪くない話だと父親が打診していたのだ。いずれ将軍になるような男だ、そうなれば生活だって余裕があり、爵位だって上がる。アリーチャにとっても、ウルガー伯爵にとっても悪くないと思った。伯爵家の為もあるが、アリーチャを思って行って来たことを、当のアリーチャが土足で潰してしまった。そして当主とマファスは騎士団の事務官をしているが、格下の分家とはいえ、いずれは将軍確実のオスヴァルトから睨まれたら出世に響く。特にマファスはまだ若い為に、その影響は長く続く。マファスは優秀ではあるが、抜きん出て、という訳ではない。伯爵家嫡男、あのウルガー三兄弟の従兄弟という看板があっての役職に就いているのだ。
「ふざけるなっ、2年前に一度お前はオスヴァルトの話を蹴ったではないかっ。後妻は嫌だ、子爵のスペアのとこは嫌だとっ」
そう、2年前に、本家内々にオスヴァルトに打診する前にアリーチャの意思を確認したら、マファスがいったような返答が返って来た。アリーチャは単に数ある見合いの一つだと、足蹴にしただけ。
「お前はどうせこう考えていたのだろう? マリーチャがゲオルグ王子の正室になれば、もっと条件のいいところから、話がくると」
マファスの言葉は、アリーチャが心の奥底で無意識に考えていた事を指摘する。
「だが、それももうないっ。問題を起こし、サエキ様や国から目をつけられたお前を誰も欲しがらん」
突き放すようにマファスが言う。
「アリーチャ」
そこに、息を整え冷静になった父親が告げる。
「マリーチャは、お妃レースを外された。何故か分かるな? お前の無責任さがそうさせた。マリーチャがなぜお前に顔を見せないか分かったか? 見たくないからだ」
姉のマリーチャは、妹から見ても美しく淑女の手本のような人で、何をしても勝てない存在だった。何より、母親を早くに亡くして、まるで自分が母親のようにアリーチャに注意するのが、嫌いだった。だから、何度もバレンティナ達から離れるように言った姉の言葉を無視した。
結果が、これだ。
何故か、使用人達の目が冷たいような気がしたのはこれだ。
落ち目のウルガー伯爵家が持ち直すには、マリーチャのゲオルグ王子の正室入りが不可欠だった。そしてアリーチャも勢いのいい分家に政略でも嫁がせることさえできれば、かつての華やかさが戻ってきたはずだった。
それがすべて台無しになった。
「お前の処遇を今から伝える」
姉マリーチャが部屋に籠っている理由は分かったが、今はそれどころではない。
「北の国営農場にある修道院に、お前を移す」
一瞬、アリーチャは安堵した。修道院は何年間か勤めたら、出ることが可能だ。その数年さえ耐えたら、その頃には、家族の考えも変わっているはず。何より伯爵家の娘である自分を政略結婚の道具にするはずだからだ。必ず、出られる。
「そしてお前をウルガー伯爵家から除籍する」
それは甘いアリーチャの考えを粉砕した。
「え? ど、どうしてですかっ」
「どうして? お前、本気で言っているのか?」
あきれ返る父親。
元々、修道院は数年したらアリーチャを引き取り、どこかに嫁がせる気だったが、今回の闇ギルドの件で、ウルガー伯爵家はアリーチャを切り離さなければならなくなった。
「何をしたか分からないのか?」
「伯爵家にご迷惑をおかけしましたが、一生修道院なんて嫌ですッ」
除籍されたら、修道院を出た後の頼る先がない。そうなれば、生きていけずに修道院に戻らなくてはならない。
「だったら自立しろ。除籍は免れんから、平民として生きるがいい」
吐き捨てる父親。
自立なんて無理だ。今までろくに働いたこともなければ、自分で自分の世話すらしたことがないのに。
「平民として生きるか、修道院か、どちらにしてももう我が家とは関係ない。修道院の迎えが来るまでは自室で過ごすことは許してやるが、部屋から出ることは許さん。さあ、どうする?」
アリーチャは考える。
今から無一文で追い出されると生きていけない。修道院なら、最低限の衣食住がある。それに、何かしらの資格を得たら、修道院から出られる。そうアリーチャは考えた。実際そんなに甘くはないのに気付かず。
「………修道院に行きます」
アリーチャはせめて母の墓前に行きたいと訴えたが、許可されなかった。
数日後。
朝から屋敷はばたついていた。
アリーチャが窓から見ると、ちょうど馬車が来ていた。もう迎えが来たかと思ったが、違った。
マリーチャが旅支度をしていた。周りにはたくさんの使用人が囲んでいる。マリーチャは一人一人話して、手を握り、優しく抱擁していた。最後に父親と兄にしっかり抱きしめられて、マリーチャは馬車に乗った。メイドもフットマンもシェフも庭師も、みんなでマリーチャに手を振って見送っていた。
姉も、どこかの修道院に行くのか? そう思った。
しばらくして、アリーチャの迎えが来た。
荷物は最小限にして、トランクに目一杯詰めた。リュックにもできるだけ詰めた。部屋に呼びに来たが、誰も荷物は運んでくれない。アリーチャは除籍されているのだ。アリーチャは騒いだら厄介だと思い、自分で荷物を運んだ。
メイド長だけが、玄関にいた。
「お父様とお兄様は?」
その言葉に、メイド長は冷たい目で答える。
「ご出勤なされました」
さー、とアリーチャの心が冷めていく。二度と会えない可能性があるのに、父親と兄は何も言わず、何も見ずに仕事に行った。だが、仕方ない、そう、仕方ない、いまは騎士団が忙しいから。そう、仕方ないのだと、アリーチャは思い込ませる。
せめて、最後に、メイド長に声をかけようと振り返った。
だが、メイド長はすでにそこにはおらず、屋敷内にとってかえしていた。無表情に冷めきった目で、扉を閉めた。
ガチャン
と、鍵をかける音が響く。
玄関には、アリーチャ、ただ一人。たった一人。
完全に、自分は見限られた。
姉マリーチャは、総出で見送られたのに対して、自分はどうだ?
誰にも認められず、誰にも心をかけられずに、孤立したアリーチャ。
馭者がトランクを馬車の上に乗せてくれ、アリーチャは震える体で乗り込んだ。
胸を締め付けられる寂しさ。座席に座ったとたんに涙が溢れてきた。ウルガー伯爵から、家族から、捨てられた。身から出た錆だが、アリーチャはここまでされるとは思っていなかった。完全に甘く見て、見くびっていたからだ。どうせ、いつものように、なかった事にしてくれる。黙ってさえいれば、知られなければどうにかなると。いつか帰って来れると、思っていたが、あの鍵の音が、甘い希望を叩き壊した。
あの時、見合い話を受けていたら? 侍女の試験に挑戦していたら? マーファで騒ぎさえ起こさなければ?
あの時、あの時、あの時、あの時、あの時。
後悔先に立たず。
誰かが、そんなことを言った気がする。
アリーチャは泣いた。激しい後悔にのまれながら。
修道院に着くまでの間で、アリーチャは泣きはらした。
それからアリーチャが、修道院から数年後出たかどうかは、誰も知らない。
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無能と捨てられた令嬢は、もう誰かの言いなりにはならない。
「私は、私の鼻で生きていきます」
香水店から始まる、婚約破棄令嬢の逆転恋愛ファンタジー。
ざまぁあり、契約婚約あり、冷血公爵の不器用な溺愛あり。
最後には、彼女を捨てた者たちが気づくことになる。
本当に失ってはいけなかったのは、彼女だったのだと。
王妃教育を辞退したら「困る」と国王陛下が直接迎えに来ました ~婚約破棄された私に、王太子ではなく国王陛下が求婚してきます〜
由香【全一話完結】
王太子の心変わりによって婚約を破棄された侯爵令嬢リリアーナ。
十年以上受け続けた王妃教育も辞退し、ようやく自由になれると思っていた。
ところが数日後、侯爵家を訪れたのは国王陛下本人。
「王妃教育を辞退されると困る。私の妃になってほしい」
努力を踏みにじった王太子はすべてを失い、選ばれたのは誠実に生きてきた彼女だった。
これは、年上国王に溺愛されながら、世界一幸せな王妃になるまでの逆転ラブストーリー。
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
聖女って無給で無休なんですか?じゃあやらないです
こじまき異世界に聖女として召喚されたイラストレーターのチヒロ。しかし聖女には給料も休みもないことを知って「じゃあやらないです」と聖女就任を断る。
「国と人を救う崇高な仕事には、私どもからの感謝を捧げよう」
「心底いらないです」
異世界でまで、やりがい搾取されてたまるかよ。
※小説家になろうにも投稿しています
婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています
由香婚約破棄のその日、
悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。
王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。
だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。
再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。
広場で語られる真実。
そして、無自覚に人を惹きつけてしまうリリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。
これは、悪役令嬢として断罪された少女が、「誰かの物語の脇役」ではなく、自分自身の人生を取り戻す物語。
過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。
五年も笑わなかった辺境伯の娘が、追放された保育係の令嬢の前で初めて笑った
歩人(あゆと)侯爵令嬢クラリスは、五年間、兄夫婦の公爵家で三人の御子の保育を任されてきた。表向きは「下女扱い」だったが、彼女の保育記録には毎日の歌・手作りの絵札・夜泣きの記録が綿密に綴られていた。「育児など侍女の手伝い。本物の貴族のすることではないわ」兄嫁の侮辱に、クラリスは保育記録帳を置いて去る。訪ねた先は、妻を亡くした辺境伯ロタールの屋敷だった。彼の娘リーリャは六歳、母を亡くして以来、誰の前でも笑わなかった。「五年、御子さま方を見続けたあなたなら、リーリャの心も読めるだろうか」ロタールの不器用な依頼に、クラリスは静かに頷く。春が来る頃、リーリャは初めて声を上げて笑った。クラリスの隣で、ロタールも気づくと微笑んでいた——五年ぶりに。
【完結済】ワザと醜い令嬢をしていた令嬢一家華麗に亡命する
satomi醜く自らに魔法をかけてケルリール王国王太子と婚約をしていた侯爵家令嬢のアメリア=キートウェル。フェルナン=ケルリール王太子から醜いという理由で婚約破棄を言い渡されました。
もう王太子は能無しですし、ケルリール王国から一家で亡命してしまう事にしちゃいます!
【完結】妹は庶子、文句があるか? 常識なんてぶっ飛ばせ!
青空一夏(ざまぁ×癒し×溺愛)
庶子として公爵家に引き取られたアメリアは、
王立学園で冷たい視線に晒されながらも、ほんの少しの希望を胸に通っていた。
――だが、彼女はまだ知らなかった。
「庶子」の立場が、どれほど理不尽な扱いを受けるものかを。
心が折れかけたそのとき。
彼女を迎えに現れたのは、兄――オルディアーク公爵、レオニルだった。
「大丈夫。……次は、俺が一緒に通うから」
妹を守るためなら、学園にだって入る!
冷酷なはずの公爵閣下は、妹にだけとことん甘くて最強です。
※兄が妹を溺愛するお話しです。
※ざまぁはありますが、それがメインではありません。
※某サイトコンテスト用なので、いつもと少し雰囲気が違いますが、楽しんでいただけたら嬉しいです。