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第一章 辺境伯領

灯火

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「…………お帰りなさいませ」

 近年稀に見る無表情でヨアキムが出迎えた。
 一旦砦に戻り馬車で帰宅したが、馬車に揺られてナガセはすっかり眠ってしまった。ナガセを肩に担ぎ、「今戻った」とか言ってもなんだか格好がつかない。玄関ホールで同じく待っていた使用人が、それはそれは残念そうな顔でこちらを見ている。

 いや、俺のせいではないぞ!?
 帰りが遅いので気を利かせたのか、ヨアキムがエーリクを先に寝かせていた。大分ごねたらしいが。

「オーウェンの店で酒を間違えて飲んだようだ」

 もう、それしか言えない。

「左様でございますか」

 あなたが付いていながら? と言われている気がする。いや多分言われている。

「替わりますか」
「いや、大丈夫だ。このまま部屋に連れていく」

 外套も脱がず、居た堪れない俺はナガセを担いだまま部屋へ向かう。ウルが当然のように着いてくる。

 部屋に入り、ベッドへ寝かせた。
 しかしなんて軽い身体だろう。これではすぐに倒れてしまう。ナサニエルに言って栄養価の高い食事にしてもらわねば。

「おい起きろナガセ、服ぐらい脱げ」

 仰向けでムニャムニャ言っているナガセの足を取って靴紐を解き、脱がせる。
 オーウェンの店で働くことになったら、本当に気を付けなければならない。こんなに酔っ払ってしまっては、おかしな奴に連れて行かれてしまう。やはり迎えをやらなければいけないな。

―――ナガセの自立。

 別に何も考えていない訳ではない。
 ただ、まだ早いと思っているだけだ。言葉も不自由で子供で、誰かの庇護のもとで暮らさなければならないだろう。
 仕事を覚えるのもこの国に慣れてからでいいと思っていた。まだ、外に出なくていいと。
 だがアルベルトに、選択肢を与えていないと言われた。その通りだ。
 まだ自分のそばに置いて、守ってやりたいと思っている。だからこそ、まだ何も教えていなかった。帰宅してナガセと二人で過ごす夜のひと時を、もう少し。
 自分にだけ見せる笑顔をもう少し。
 この手の中で独占したいと思ってしまった。


「ナガセ」

 呼びかけるとうーんと返事はするが、全く動く気配がない。仕方なく外套を脱がせた。その拍子に、コロンと向こうへ身体が転がった。本当に軽い。

 今日はクラウスの弟のお下がりだと言うハイネックセーターを着ている。ナガセは首元が隠れる服を好んでよく着ているが、確かにこんなに細ければ寒いだろうな。

「脱がすぞ」

 セーターのまま寝かせる訳にはいかない。
 ナガセの身体を再度仰向けにしてすっぽりとセーターを抜き取った。
身体が細いナガセは、何を着ても大きいらしく、いつもブカブカの服になってしまう。今度一緒に街へ行って丁度いいものを買ってやろう。

「ナガセ」

 寒いから布団に入れと促すが、はい、と返事をするだけで全く動かない。

「まったく…」

 仕方なくまた抱えようとして、ふとナガセの薄い肩に目が止まった。

 軍の支給品である肌着が大きすぎるらしく、衿ぐりから片方の肩が出ている。ベッドサイドに置かれているライトに照らされて、ナガセの白く薄い肩が艶やかに光る。
 首は細く長く、短い髪が美しい頸や耳元を顕にしていた。
 酒で酔っているからかほんのり色付いた頬が、白い肌を強調している。薄っすらと目を開けたナガセが俺をぼんやり見つめた。

「レオニダス」

 囁くように名を呼んで黒曜石の瞳をユラユラと揺らめかせる。
 俺はゆっくりナガセの顔の両側に手をつき、その艶やかに光る黒曜石の瞳をじっと見下ろした。
 そっと色付いた頬に掌を添え、親指で柔らかな頬をなでる。
 ふふ、とナガセは笑って掌に擦り寄った。
 濡羽のような髪を撫でる。サラサラと手触りのいいそれは、灯りを受け艶やかに輝いている。
 髪を撫でているのか、頭を撫でているのか。
 ただずっと、こうしてナガセが眠りに就くまで撫でてやりたい。そう思った。
 黙って撫で続けていると、やがてナガセは気持ちよさそうに瞳を閉じた。

 このままでは風邪をひくと、ナガセの腰あたりを持ち上げ、掛け布団をサッと抜き取る。そのまま布団で包もうとして、視界に飛び込んでくるナガセの細い腰。
 肌着が捲り上がり、細く薄い腹が顕になる。持ち上げた時の柔らかさが驚くほど繊細で。
 直に触れた腰の暖かな体温が自分の内側に広がる気がした。抜き取った布団を今度こそナガセにかけて、ぎゅうぎゅうに巻き付ける。

「むー!」

 頭まで布団を被ったナガセが何やら抗議の声を上げた。

 ベッドから立ち上がり、ウルを呼ぶと、すぐにベッドに上がりナガセに寄り添う。ウルの重みと体温に安心したのか、もぞもぞと少し動いた後、やがてまた、すうすうと静かに寝息を立て始めた。



「ヨアキム」

 私室に戻りヨアキムを呼んで、食事と共に酒も用意するよう伝えた。



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