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第二章 王都

琥珀

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 フィンに呼ばれて渋々、もの凄く渋々食堂に来ると、先に席に着いたアルベルトが無駄にキラキラした笑顔を振り撒きながらお茶を飲んでいた。

「おはようレオニダス」
「……ああ」
「なにその反応? 挨拶は基本でしょ」

 アルベルトはキラキラと好奇心を滲ませて身を乗り出す。

 うるさい。さっきまでカレンと過ごした甘い時間が、こいつによってぶった斬られた。なんて間の悪さだ。
 あのまま、カレンをこの腕の中に閉じ込めたかったのに。

 はあ、とため息を吐き席に着く。

「で?」

 そう言ってアルベルトを促す。
 俺が何も言う気がない事が分かったのか、アルベルトはつまらなそうな顔をして本来の用件を切り出した。

「昨日神殿に探りを入れたけど、神託については特に何も。降りていないとも言えるけど、今の神殿の勢力図を考えるとなんとも言えないかな。念のため他の枢機卿を支持してる貴族の動向を確認中。王弟殿下には五日後に拝謁を申し出て返事待ち。あと、王城に行ったらやたら警備が厳重で、何事かと思ったら第二王子殿下が帰国してた」
「べアンハートが?」
「うん。婚約者を伴わず一人でひっそりと」

 僕には丸見えだけど、と付け加え優雅にお茶を飲む。

 第二王子のべアンハートは現在、レオニダスと同じ二十九歳。馬鹿がつくほどの勉強好きで、王位に何の関心もない男。
 そんな男が留学先で知り合った隣国の令嬢と情熱的な恋に落ち、婚約を発表したのは一年前。
 ギフトである解析の能力を使って設備の整っている留学先の研究施設に留まったまま、様々な流行病を研究し、医療に貢献している。設備が整っているというのは建前で、愛する婚約者がいるからなのだが。

 隣国との関係がいいのもべアンハートあっての事だし、隣国も自分の国の貴族と婚約してくれたことを両手を挙げて喜んでいた筈。その男が帰国していると言う。一人で。
 なんなら一秒でも離れ離れになると死んでしまうと声高に宣って帰国を断固拒否していた男が。

「フラレちゃったかなー?」

 ちょっと粘っこそうだしね、と軽口を叩くアルベルト。
 おい、不敬だろう。俺もそう思うが。

「で、昨日、ナガセは大丈夫だった?」

 急に話の矛先を変えてきた。

「熱があったから部屋で休ませた」
「ふうん」
「……」

 この場には下僕もいる。余計なことは言うなよ、と牽制の意味を込めて横目で睨むが、アルベルトはニヤニヤを止めない。

「ま、バルテンシュタッドじゃないからね、歯止めも効かなくなるかな」

 分かる分かる、と言うと立ち上がり、ナガセによろしく、と言って出て行った。

 分かるものか。我慢なんてもう出来るわけないだろう!


 だと知ってから、随分堪えて来た。邸では人の目もある。
 周囲に女性であることを隠す以上、これまでどおりエーリクと同じように接しなければならない。なんて苦行だ。
 夜、帰宅してナガセの歌を聴いている時、どれだけこの劣情を抑えていることか。力が入り過ぎて手に持つグラスを何個もダメにしてきた。
 カレンの歌う横顔を見て、抱きしめてキスをして、存分に甘やかして、愛を囁きたい。誰の目にも触れさせず、部屋に閉じ込めてしまいたい。俺はそのくらいカレンの事を想っている。
 早くこの気持ちをカレンに伝えたいと、ずっと思っている。

 だというのにさっきは本当に! アルベルトの奴……!

 先程の間の悪さを思い出してイライラしていると、壁際に立っているビルとフィンが、ひっ、と小さく声を上げた。
 む、殺気が漏れていたか。


 王都に来るに当たりカレンを従者にしたのは、ただ連れて来るための口実でそれ以上の理由は特に考えていなかったが、副産物があった。

 二人でいることが多い、ということ。

 何故気が付かなかったのか。浮かれすぎか。着替えも出かける時も、常に一緒にいられるのだ。

 そう、着替え。
 脱がせてくれなんて、自分で言っておきながら結果自分を追い詰めてしまった。
 あんな赤い顔をして釦を丁寧に外していって、しかも指で肌に触れるなど。なんて無防備なんだ。押し倒さなかった自分を褒めたい。


 今日はエーリクと約束していた図書館にも行く。初めての観光だ、カレンも楽しめるだろう。一緒にいる時間が長いとこんなにも嬉しいのだと、年甲斐もなくウキウキしてしまった。

 支度を終え三人で出発し、はじめに訪れた本屋で見下ろしたカレンの赤く染まる頬。オーケストラの話をすると嬉しそうに笑いまた頬を染め、キラキラと瞳を輝かせた。

 もっとゆっくりカレンと過ごす時間を増やせないか検討したい。もっと、喜ばせたい。笑顔が見たい。


 王立図書館に着いてから、陽が差す窓辺の席で真正面からカレンを観察した。
 二人しかいない空間では、カレンは帽子を取っていた。
 静かにページを捲る白い指、長いまつ毛が落とす影。濡羽のような艶やかな黒髪。黒曜石だと思っていた瞳は陽の光に照らされると琥珀のように色めき、ゆらゆらと輝いていた。

 美しかった。
 その頬に手を添えこちらを向かせたい衝動に駆られる。だが駄目だ、カレンの時間を尊重せねばならない。

 カレンは一度集中すると周囲が全く見えなくなる。ピアノを弾いている時もそうだが、そんな時は薄らと唇が開く。手元の本に完全に集中しそのふっくらとした唇が少しずつ開いていき、赤い唇から白い小さな歯がのぞく。
 俺は目を瞑り腕を組んで砦の兵士たちを思い出し、思考を霧散させた。だがまさか、そのまま眠ってしまうとは思わなかった。
 目を覚ますと目の前にいる筈のカレンが居なくなっていて、恐らく生まれて初めて、心臓が縮む思いをした。



 * * *



 日が暮れる前に屋敷に戻る。
 帰りの馬車ではすっかり眠ってしまったエーリクに膝枕をしながら、カレンもうとうとと眠そうに目を瞬かせていた。

「変わるか?」

 カレンも眠たいのだろうと声をかけると、はっとすぐに目を見開いて「だいじょうぶ」だと姿勢を正す。なんてかわいいのか。
 出来る事なら俺が膝枕をしてもらいたい。
 そんな事を言えるはずもなく、向かいの席に座る二人をじっと観察して、ふと思い立ち、背にあったクッションを手に取り立ち上がった。

「レオニダスさま?」

 しっと人差し指を立ててエーリクの頭をそっと持ち上げるとカレンに向かいの席に移動するように促す。カレンが席を移動すると、俺はエーリクの頭の下にクッションを差し込んだ。
 起きる様子のないエーリクの頭を撫でると、むにゃむにゃと何かを言い、口元に弧を描いた。

「エーリク、つかれました」

 囁くカレンの声が胸の奥を切なく擽る。
 俺はそっとエーリクから離れ、カレンの隣に腰を下ろし二人で寝顔を見つめた。

「今日はずっと行きたがっていた場所へ行けたから楽しかったのだろう」
「たくさん、ほん、かいます。とってもうれしいでした」
「ああ、そうだな。また出かけよう」
「ふふ、はい」

 エーリクのすうすうと穏やかに聞こえてくる寝息、ガタガタと静かに揺れる馬車の振動、温かいオレンジ色の夕日。暫く二人で、黙ってその時間を静かに享受した。


 ――ああ、やはりそうだ。

 胸の奥が切なく苦しいこれは、やはり、そうだ。そうなのだ。

 俺は、俺はカレンを愛している。

 二人で過ごすこの時間を、心から欲している。こうしていつまでも二人で同じ時間を共に過ごしたいと、心から願っているのだ。
 手に入れたくて仕方ない。腕の中に抱き込みたくて仕方ない。
 カレンの心を、手に入れたくて仕方ない。

 そのことが、こんなに切なく苦しいのだ――。


 馬車の窓の外は夕日が沈みかけ、あちこちでオレンジ色の明かりがともり出す。外を見るふりをしてそっと覗き見るカレンの横顔は、夕日と街灯の色に染まり美しく揺らめいている。

「カレン」

 無意識で名前を呼ぶと、カレンは真っすぐに俺を見つめ返した。

「はい」

 手を伸ばすとすぐに届く距離にある琥珀色の瞳が、時折ゆらゆらと明かりを跳ね返す。

「……帽子を取ってくれるか」
「はい」

 何の疑問も持たず素直に俺の言うことを聞き入れ、帽子を取るとさらりと零れる濡羽色の髪。さらさらと頬を隠したその髪を指でそっと耳に掛けた。そのまま、指先で耳朶をなぞり頬をするりと撫でると、夕日の色ではない色に頬が染まった。

「髪が伸びたな」
「は、はい。きる、しますか」
「切りたいか?」
「あの、おとこのこ、かみ、ながい、いいですか」
「それは問題ない。……美しい髪だ」

 濡羽色の髪が揺れる。街の灯りを跳ね返し、キラキラと煌めき俺の心をかき乱す。
 もう一度髪を撫で、何度も繰り返し、その出会った頃よりも少し伸びた髪に……カレンのこめかみに、そっと口付けを落とす。

 今度こそ、カレンの頬が夕焼けのように赤く染まる。

「カレン? どうした、眠ければ俺の膝枕で寝てもいいぞ」
「ね、ねむくありまてん!」
「はは、そうか。俺は少し眠たいかもしれん」
「レオニダスさまも、おつかれで……」

 カレンが言い終える前に、俺はカレンの肩に額を埋めた。カレンの匂いがする。

 甘く、優しく、心が切なくなる香り。
 すぐそばで聞こえるカレンの息遣い。
 今すぐ自分のものにしたい衝動と、大切にしたい衝動がせめぎ合う。
 誰かを欲するということが、誰かを愛するということが、こんなにも苦しいとは思わなかった。


 カレンはしばらく固まっていたが、何も言わずそっと、俺の髪を、頭を優しく撫でた。
 


 * * *



 夜、晩餐の後は執務室に向かい、既に部屋で待っていたアルベルトから報告……質問を受ける。

「どうだった? ナガセとのデート」

 パラパラと手持ち無沙汰に執務机の上の書類をめくる。

「デートではない。エーリクの本を買う為に出掛けたんだ」
「残念、二人っきりじゃなかったもんね」
「……」

 二人っきりになる場面はあったが、眠ってしまった事は黙っていよう。絶対馬鹿にされる。

「ボーデン卿に会った」
「え、ボーデン? ナガセ大丈夫だった?」
「多分目を付けられたな。帽子は被っていたが目敏い男だ」
「うわ、厄介だなぁ」

 リヒト・ボーデン子爵は爵位は下位だが貿易で富を築く王国随一の富豪だ。様々な機関に寄付を行い、その名を冠する施設や財団を数々立ち上げ、成り上がりと揶揄する他の貴族を牽制している。
 そして、金の集まる所には良くない噂も立つ。
 黒い噂の絶えないボーデンは独身で、その金に群がる女達を夜会の度に取っ替え引っ替えだと言うが、その実男色で、しかも年若い者を好むとの噂だ。人身売買までしているとの噂だが実態は掴めていない。

 そんな男がカレンの姿を見た。それだけでも万死に値する。
 帽子を被っていたとは言え、あの男はカレンの色を見逃さないだろう。今後はあの男の動向にも気を付けなければ。
 カレンの護衛を増やすか。

「デートしないの?」

 まだ続くのかその話。

「従者とか」
「ふふっ、何いじけてるの。そうじゃなくてさ、折角バルテンシュタッドから離れてるんだから二人で何処かに行けばいいのに」
「オーケストラを聴きに行く予定だが、まだテレーサに……」
「オーケストラ? いいね! よし、僕が手配するよ!」
「おい」
「国立交響楽団の演奏会とか凄くいいと思うよ。ナガセ絶対に喜ぶね! チケット取るの難しいらしいけど、こんな時くらいザイラスブルクの名前を使おう! あ、最近評判のレストランがあるよ、そこも予約しようか!」
「おい、報告は?」
「特になし!」

 そう言うと嬉しそうに執務室を出て行った。

 あいつは何しに来たんだ!

 机上の書類を乱暴に手に取るが、ちっとも内容が入ってこない。
 諦めて立ち上がり、棚からウィスキーの瓶を取り出しグラスに注ぐ。

 モルトの香りに琥珀色が揺れる。昼間見たカレンの瞳の色のようだ。

 あの瞳で俺だけを見つめて欲しい。あの瞳に、俺だけを映し出してほしい。

 遠くからピアノの音が聞こえる。
 今日もグラスを割らないよう気を付けねば。

 首元を緩め、俺は愛しい琥珀に会いに執務室を後にする。

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