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第二章 王都
強く、けれど柔らかく熱く
しおりを挟む馬車の中の甘い苦行を乗り越えて音楽堂に到着した。
紳士なレオニダスに手を借りて馬車を降りる。
逞しく力強い手にそっと自分の手を置き降りる私は、淑女になったみたいでなんだか照れる。音楽堂に入るとすぐ、身なりのいい初老の男性が案内してくれた。
その途中、ホワイエでレオニダスを呼ぶ可愛らしい声。
見ると、春の妖精のような薄いピンクのレースを幾重にも重ねたドレスを纏って、ピンクの瞳をキラキラさせた女の子…多分十代? が、レオニダスを真っ直ぐ見つめていた。
わー、可愛い!
襟ぐりの大きく開いたドレスは豊かな胸を押し上げ、惜しげもなく谷間を見せつけている。ふおお、柔らかそう。
でも、隣のレオニダスの雰囲気が黒い。
見上げると、また眉間に皺が寄ってる。
なぜ! 妖精さんと知り合いなのかな?
そんなレオニダスの雰囲気なんて物ともせず、妖精さんは首をこてん、と傾げて嬉しそうに笑っている。
わあ、鋼メンタル。この世界、ちょいちょい居ますね。
話が通じない事に腹を立てたのかレオニダスが冷気を放って何やら言い、私を見た。
なんだかレオニダスも周囲の雰囲気も重くなっていて、思わずキュっとレオニダスの腕を掴むと、ふわっと柔らかく笑って私の指先にそっとキスをした。
なぜ! ひーーっ! 紳士! いや、貴族!! イケメン!! こういうのに慣れていないの!
指先なのにどうしてこんなに恥ずかしいのかな!!
赤くなっていると、見覚えのある赤い髪の男性が苦笑しながら近付いて来た。
あ、カイさん!
くいっとレオニダスの服の裾を引っ張ると、レオニダスも気が付いて話しかけていた。
私が「ナガセ」って事は隠しているから、黙ってないとね。
チラッと先程の妖精さんを見ると、赤い顔でワナワナと(初めて見る本物のワナワナ)震えて何故か私の事をものすっごく睨みつけていた。なぜ?
背中にすご~い視線を受けながら、私たちは席へ通された。
音楽堂のホールは歴史を感じる荘厳なものだった。
ホールはシューボックス型でステージの奥には素晴らしいパイプオルガンが置かれている。天井、壁、柱の全てが真っ白で、ステージ上にある複雑な形の反響板の木目を際立たせている。天窓があり、この時間は柔らかな夕日が差し込んでいて、なんだか郷愁を誘う雰囲気が漂う。残響の影響を考えてなのか、座席数が広さに対して少ない。
私たちが通された席は二階のステージ正面のボックス席。
王族席とか! え、レオニダス凄い!!
そう言えば王族だって言ってた。
オシャレしてきて良かった……。
音楽堂に着いてからずっと、レオニダスは注目を浴びていたのは、カッコいいのも勿論だけど、やっぱり王族だからなのね。
ボックス席はすごく広くて、真ん中にソファとローテーブルが置かれていた。隅には飲み物と軽食が載ったワゴンと係の人、ボックス席の入り口には衛兵が二人。特別感が凄い。
レオニダスがコートを脱ぎ何やら指示を出し、係の人が飲み物を用意してくれた後、みんな外へ出て行った。
「カレン、そこで座っていろ」
レオニダスは私をソファに座らせると、自分はステージの方へ向かって立つ。
ステージ上には既に楽団員がそれぞれ着席して音を奏でている。大きく拍手が起こり、ステージ横から指揮者が登場した。指揮者の人は壇上に上がり、客席に一礼すると、ボックス席に……レオニダスに向かい胸に手を当て深々と礼をした。
レオニダスは鷹揚に片手を上げ応え、一際拍手が強くなる。
堂々たるレオニダスの背中を見て、本当に凄い人なんだと……初めて、レオニダスを遠く感じた。
* * *
オーケストラの演奏は素晴らしかった。
管楽器や弦楽器の構成は私が知っている世界と殆ど変わらなくて、打楽器も最高にカッコよかった! 本当にどの曲も素晴らしくって、私は興奮が抑えられず、ギューッとレオニダスの腕に終始掴まっていた。レオニダスはおかしそうに、時々クツクツと笑いながら私の肩や背中を撫で、落ち着かせてくれた。
勿論知らない楽曲ばかりだったけど、今日貰った演目の書かれたパンフレットを調べたい!
そう言うと、昔使っていた辞書があるから貸してくれる事になった。
やった!絵本からレベルアップ!
演奏が終わり、興奮した気持ちをなんとか抑えようと苦戦していると、レオニダスに掴まる手に力が入っていたらしく、レオニダスが優しく手を撫で私の腰を引き寄せた。
「カレン」
耳元で囁く声。顔に一気に熱が集中する。
「俺は指揮者に挨拶に行ってくる。ここで少し待っていてくれ」
カクカクと無言で頷く私の額にサッとキスを落とすと、「すぐに戻る」と言ってボックス席を出ていった。
なんか凄い、デートっていうか恋人みたいな振る舞いっていうか…うううっ!
一人になり、自分の中に未だ燻っている熱をなんとか抑えるためワゴンにある果実水を取ろうとソファから立ち上がると、ボックス席の入り口から人の争うような声が聞こえて来た。
お待ち下さい、と制止する声を無視したのだろう、先程の妖精さんが飛び込んで来た。辺りを見渡し、最後に私をひたりと睨みつける。
え、怖い。妖精さん呼びは撤回したい。
「あなた名を名乗りなさい」
そうであるのが当然なのだろう、元妖精さんは居丈高に私を値踏みしながら言った。そう、値踏みされている。
「レオニダス様に婚約者はまだいない筈。ならばあなたは恋人?今夜限りなのかしら、彼の色も着けていないし、ふふっ、みっともないドレスね」
私を見て自分を取り戻したらしい元妖精さんは、クスクスと笑う。さっきまであんなに可憐な佇まいだったのに、急に性格悪そうな面構えになったなぁ。
それにしても困った。
名乗っていい名前なんてないんだよね……。
黙ってていいかな、このまま諦めて帰ってくれないだろうか。
衛兵の人たちが青い顔で元妖精さんに出て行ってもらうよう説得している。
うん、きっと本来入って来てはいけないよね。
黙ったままの私に、絵に描いたような堪忍袋の緒が切れた、を表現しながら、元妖精さんが般若のような顔で怒鳴りつけてくる。
ああ、意味が分からなくて良かった。
悪口なのは雰囲気で分かるけど、知りたくもない。
元妖精さんは高位貴族なのだろう、衛兵さんも強くは出られない様子。
それでも黙っている私に腹を立て、元妖精さんは入り口横のワゴンにあるグラスを掴んで投げつけて来た。
反射的に目を瞑り両手で頭を庇う。
でもそれは当たる事はなく。
そっと目を開けると、目の前に私の好きな、大きな背中があった。
「ローゼンスキール公爵令嬢」
地を這うような低い声でレオニダスが呼ぶ。
顔は見えないけど、多分凄く怒っている。
元妖精さんの姿も見えないけど、カタカタと震えている……気配がする。
……あれ?
そう言えばレオニダスどこから来たの?
入り口には元妖精さんやら衛兵さんが立ち塞がっているし……?
キョロキョロと周囲を見渡し、後ろの方……ステージ側を見ると、ボックス席を見上げるまだ退席していない人や楽団の人が驚いた顔でこちらを見ている。
わ、目立ってる?
思わずレオニダスの上着の裾をギュッと握り込む。レオニダスの背中がピクリと動いた。
「私のパートナーにこのような振る舞い、どういう事か分かっているのだろうな」
「わ、わたくし、はっ」
「誰の許可を得てここにいるのだ」
「無礼を承知で、この、失礼な娘、に、ち、忠告致しましたの!」
「忠告?」
「そっ、そうです! 一晩限りのお相手とは言えっ、まるで婚約者のような身の程を弁えない振る舞い、何処の馬の骨かも分かりませんのに、正統な血筋のレオニダス様を誑かすなど、こんな……っ」
「弁えよ!!」
レオニダスの怒声が響き渡る。空気がビリビリと震えているようだ。
ひっ、と、今度こそ怯える声が聞こえた。
「あなたは、誰に向かってこのグラスを投げつけたか理解しているのか?」
レオニダスは、恐らくさっき私に向かって投げつけられたであろうグラスを掲げた。
「……それはっ」
「公爵は教育を間違えたのか」
ふーっと、深く息を吐き、グラスを衛兵に向かって差し出す。青い顔をした衛兵が慌ててグラスを受け取った。
「私に向けてグラスを投げつけるとは、愚かにも程がある。公爵家へは後程正式に書状を送ろう。衛兵! 連れて行け!」
「おっ、お待ち下さいませっ、私はレオニダス様のためを思ってっ!」
「名を呼ぶ事を許してなどいない」
何度も言わせるな、とレオニダスはこれでもかと言う低い声で唸るように言い放った。
元妖精さんは衛兵さんに連れて行かれたらしく、暫くレオニダスの背中でじっとしていると辺りは静かになった。
目の前の大きな背中が動く。
顔を上げると、眉間に皺を寄せたレオニダスが深い青の瞳を揺らめかせて私を見下ろしていた。
「カレン、すまない。俺が離れたばかりに、嫌な思いをさせた」
レオニダスの大きな手が私の頬を撫でる。
「いいえ、だいじょうぶです」
「だが、折角の演奏会が台無しだ」
「それは、すこし……ふふ、でも、わたしはかんしゃします」
「感謝?」
「はい。わたしはあのひとのはなしのいみ、わかりまてんでした。わるいことば、はなしているのは、わかりました。でも」
レオニダスの手に、すり、と頬を寄せる。
「わるいことばのいみ、わからない、それは、レオニダスさまやエーリク、おやしきのみんながだれもつかわないから」
見上げるレオニダスの眉間にまだ皺が寄っていて、思わずそっと手を伸ばす。跡になっちゃうよ。
「みんな、わたしにわるいことば、つかいまてん。だから、わたしは、いみがわからなくても、だいじょうぶです」
私の言う意味、伝わってるかな?
レオニダスの眉間を撫でて、皺がなくなったのが分かった。
ふふ、と思わず声が漏れる。
レオニダスはもう眉間に皺はなかったけれど、その瞳はなんだか切なくてでも優しくて……金色がゆらりと揺らめいて、熱が、灯った気がした。
頬を撫でていた手が私の後頭部に回り、もう片方の手は顎に添えられ、レオニダスの深い碧の瞳に私が映り込む。
レオニダスは私に。
強く、けれど柔らかく熱く。
唇に、少し長いキスをした。
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