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「勿論覚えて……」
「覚えて?」
「覚えて………………………いないな」

 抗ってはみたものの、結局、正直に認めざるを得なかった。

 さっきから、向かいに腰掛けているグランの圧が強い。というか、重苦しい。

 なぜか、夫の浮気を追及する妻のような雰囲気ではないか? こいつの正妻面は以前からだが、どうした?

「正直に認めましたね」
「記憶が、ところどころ混濁しているのは確かだな。自分を斬った相手の顔も覚えていないとは、私らしくもない。誰だか知らんが、そいつは総長ロスベルを討った功労者として出世したんじゃないのか」
「私もその兵の名は知りません。総長が倒れた後、私が即座に斬り殺しましたので。名を上げる機会など得られなかったことでしょう」
「……ふ、やるじゃないか、副官」

 私は笑った。

 異常だと思わないで欲しい。いや、戦場に身を置くものがまっとうな神経をしているはずがないのだ。

 だがグランは笑わず、底冷えのするような目で私を見た。

「総長が倒れられたのは、咄嗟に私を庇われたせいです。あの時、先に死ぬのは私のはずだった。地位的に言っても、その方が正しい。総司令官が部下を庇って死ぬなど、愚かという点を差し引いても、あり得てはならないことです」
「……私が、お前を庇った?」

 私はしばらく間を置いて、その情報を反芻したのだが、ろくに飲み下せなかった。

 まじまじとグランを見返す。

(嘘は……ついているはずもないな)

 だとしたら、本当に……それは、あまりに愚かな話だ。

 指揮官が部隊の先頭に立って、抜き身の剣を掲げ、勇ましくときの声を上げつつ敵陣に斬り込んでいた時代、というものは確かにあった。だが、今では愚策としか見なされない。駒である兵を効率的に用いて最後まで生き延びること、それは戦場指揮官として最低限の責務でさえある。

「貴方は私を見殺しにして、生き延びなければならない立場だったのに。私を生かして、『お前は生きろ』とは何事ですか、総長閣下」
「……本当なのか、そんなことが」
「生憎と、本当ですよ」

 グランの声が乾き切っている。

「俺の憧れた、大切な総長は、最後の最後に己が責務をすっとばして、俺を庇って死んだんです。生かされた俺の気持ちが分かりますか。分からないでしょうね。分かっていたら、あんな真似が出来るはずがない」

 「俺」か。

 グランは相当に感情的になっているようだ。気のせいでなければ、ギリギリと奥歯を噛み締める音が聴こえてくる気がする。身体中がぼろぼろなのに、大丈夫なのか。不安になる。

「……にわかには信じられんが……いや、やったかもしれないな」
「閣下」
「怒るな怒るな。己の命を軽く弄ぶのは、創世の英雄たちの時代から続く騎士の伝統みたいなものだろう。死ぬときは笑って死ねと、私も剣の師に言われたものだ」
「……」
「…………すまん」
「どうせ、心からすまないなんて思ってないんでしょう」
「面倒くさいなお前は!」

 嘆息する私、不機嫌と憎悪が入り混じったような視線を寄越す部下。そこそこの地獄だな、これは。

「……分からん」

 私は椅子の背に当てて身体を伸ばし、大きく息を吐き出した。

「私はお前が好きだった。勿論、恋愛的な意味じゃない。戦友とか、頼りになる部下とか、そんな意味合いでな。多分、ひょっとすると、そうだな……お前がここで死ぬのは『もったいない』とでも思ったんだろう。お前なら次代を担える、後を託せると」
「閣下、私は総長のようなカリスマではありません。それは総長も分かっていたはずです。私は基本的に総長の尻にしか興味がない。あ、他の身体的部位にも非常に興味がありますが」
「………………待て、そこまでか?」

 この男は、深刻に怒っていたのではなかったのか。何故、口から出る言葉が(いつも通り)おかしいのだろう。こんなときでさえ、真顔で妙なことを言わなければならない病気にでも掛かっているのか?

 眉間の辺りがズキズキし始めた。眉を顰めながらも、私はなんとか真剣さを保った。

 グランがつまらなそうな声を出す。

「そこまで、とは?」
「尻にしか興味がない、のくだりだ。まさか、本音ではないだろう? 他にも趣味のひとつふたつ、人生の目的なんかもあったりするんだろう?」
「そんなものが必要ですか? 総長の尻を見ているだけで、十分に満足な人生を終える自信がありますが」
「終えるな! これだからお前というやつは……」
「ほら、総長だって分かっているじゃないですか。自分を捨ててまで俺を生かす、それこそ最高に無駄なことだと」
「う、うん? そうだな……?」

 なんだ、この話の流れは?

 私はここで同意してしまっていいのか?

「だというのに、中途半端な友愛で俺を庇うぐらいは、総長は俺のことを気に入っていたわけです。俺のことを愛していたわけでもないのに」
「う、それは……」
「最悪ですよ。俺は総長が好きだった。総長の為に幾らでも死ぬ覚悟は出来てましたよ。貴方の云ったとおり、俺は最後まで貴方を裏切るつもりなんかなかった。だから、恋する男としては報われなくても、忠実な部下に対する褒美として、俺は貴方が死ぬところを見ないで死んでいけるはずだったのに」
「……」
「だが結果として、貴方の死の直接の原因となったのは俺だ。心から好きだった人が目の前で死ぬのを見せられた上に、その人は総長としての義務までかなぐり捨てていた。密かに持っていた尊敬の気持ちさえ踏み躙られて、その上、『生きろ』ですか。よくもまあ……俺を、どこまで踏みつけにしたいんですか、貴方は」

 もはや、完全な憎悪の目で睨まれている。

 私は……グランの言うことが本当ならば、この男に対するちょっとした好意ゆえに、この男の重たすぎる情愛を省みることもなく、最悪の悪夢の中に置き去りにしたことになる。

 あの時、「お前は生きろ」と言った私が悪いのか?

 私が……全ての元凶……

(いやいや、待て)

 一瞬、重たい罪悪感が頭をもたげかけたが、私は首を振って振り払った。

(だったら、性的妄言ばかり吐いていないで、真剣に自分の気持ちを吐露するべきだっただろう!)

 あんなことばかり言う部下に真剣に想われているなどと、誰が気付ける。

 尻だの聖剣だの、そんなことばかり言っているから、本気の想いだと気付かれずに私に置いて行かれるのだ。

 私は(少しは悪かったかもしれないが完全には)悪くないぞ!
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