上 下
5 / 8

【悲報その5】進化するにも時と場合を弁えるべき

しおりを挟む
「若様。これ以上は、ちょっと……思い留まった方が」
「若、本当にやるんですかい……?」
「いくらなんでも、これは……」

 恐る恐る、というような声が聞こえてきます。

 野太いだみ声、無骨な武人の声、かすれた男の声。

 ルクセルドの背後に群れなしている「家臣団」たちの声です。めいめい、鉄斧や大剣やいしゆみを構えた屈強な男たちなのですが、その強面に浮かんでいるのは、まるで子鹿のごとく戸惑い怖気づいた表情です。

 ルクセルドは未だ、アスクィード家当主とは言えません。ただ、次代の当主として教育されている、というだけのことです。ですが、それこそ十三歳のときから手足となる小兵団を率い、彼らを伴って戦場での経験を積んできました。普通の貴族ではない……つまり、それがアスクィード流、ということです。

 その、長らくルクセルドに付き従って苦楽を共にしてきた部下たちが、今のルクセルドに対して腰が引けている、つまりドン引きしているのです。これは本当に異常事態です。

(い、いえ、そんなことを悠長に考えている場合ではないわ)

 今の私、罠にかかった小動物よろしく、網を掛けられて地面に転がされています。

(き、きつい……)

 ここ数日、毎回毎回、私が変身するのを見計らったかのように、ルクセルドは姿を現しました。冷たく光る刃物を向けられ、もっと冷たい目に睨まれて、正直、何回かは命の終わりを覚悟したぐらいです。それでも、これまでは何とか逃げ延びていたのですが。

 今回のルクセルドは戦闘準備に入る前に、問答無用で網を投げ掛けてくることを選んだようです。

 身動きすればするほど、絡みついて締まる網。もがくたびに、変身したせいでふんわりと短くなったスカートの裾が捲れてしまいそうで、どうにも気が気ではありません。もちろん、それよりも、剥き出しの腿に食い込む網の方がまずい、というか、痛いのですが……食い込んだ跡が残ってしまいそうです。

「……」

 ルクセルドは黙って、鞘に納めたままの剣を持ち上げました。

 そのまま、くい! と私の腿を突きます。

 鞘に納めたままなので、傷は付きませんし、鈍い鉄の重みを感じるだけなのですが、

「ル、ルクセルド?」

 私は息を呑んで、喉奥の「ヒッ」という声を抑えました。

 ずりずりと網ごとお尻を動かして、後ろに逃れようとします。無理です、無理……! 無様にもがく私を見下ろしながら、ルクセルドが再び私の腿をぐりぐりと突きました。

「……普段人に見せないような箇所が丸見えですね。義姉上の辞書に、慎みという言葉はないんですか?」
「わ、私はこの戦闘服を初めて見たときに、常識を越えた可愛さというものを知ったのです! 私が可愛いと思って着ているのだからいいのですわ!」
「……へえ。気に入りませんね」

 くいっ、くい、ぐいぐい。

 鉄の鞘が容赦なく私の腿を突きます。痛くはないのですが、そのたびに衝撃で私の息が弾みました。声は出したくないので、何とか堪えているのですが……「はあぁ~」「う、うわあ……」なぜか、ルクセルドの背後で兵たちがめいめい溜息を漏らし、顔を覆ったり呻いたりしているようです。

 な、何事?

「若様こそ正義と、これまで信じてきたのに……」
「家に帰って、『パパー、今日も悪を倒した?』と娘に聞かれたら何と言えばいいんだ……」
「公衆の面前でこんな……堂々と辱めプレイをするなんて、斬新すぎる」

 ……今、聞き捨てならない単語が聞こえませんでした?

 しかし、私の正気が削り取られて無くなる前に、唐突に救いの手が現れました。

「しっかりするにゃ! 負けるでないにゃ!」
「猫ちゃん……!」

 ふに、とした肉球の手が、私の肩を柔らかく揺さぶります。

 ああ、癒やし……猫ちゃん……救われる、と私が思った瞬間、

「右射手、あの生き物の頭を狙え。左、脚を撃って動きを止めろ」
「ル、ルクセルド?!」
「ひ、非力なマスコットキャラに向かって、何という鬼畜の所業にゃん!」

 鬼。

 義弟は鬼でした。

 これは流石の私もドン引きです。

 ひらりと矢を躱した子猫は、全身の毛をふーっと逆立てて、

「この拗らせシスコン、思春期童貞、そんなにスカートの丈が気になるなら定規片手に風紀委員でもやってろにゃ!」
「しすこん……ふうきいいん……?」

 意味の分からない単語が多い、気がします。

 訳の分からない言葉の奔流に、私が翻弄されてぼうっとしている間にも、子猫は甲高い声で憎々しげに毒づきました。

「お前なんか、お前なんか、黒タイツにギチギチに踏み付けられて喜んでろにゃ! それがお似合いにゃ! ……さあ、お前、新たな力を授けるから第二の変身形態を披露するのにゃ!」
「え? え? え?」

 どういうことでしょうか……しかし、流されることにそこそこ定評のある私、子猫に言われるままに網の中でごそごそと変身の印を組みました。

「へ、変身! 戦闘形態、ドレスオン!」

 眩い光が私の全身を包み込みます。

「くっ」

 光と風に煽られて目を細めるルクセルド、頭や顔を庇う兵士たち。

 そして、強烈な光が去ったその後には……

「ヒロイン戦闘服第二形態、黒タイツのお姉さんにゃ!」

 腰のラインを余すところなく表すミニのタイトスカート、禁欲的に留め付けられた喉元までの襟、そして黒タイツ……

「わ、悪い子はお姉さんがお仕置きしちゃうぞ☆」

 ……何ということでしょう。何も考えず、「言わなければならない」と感じた台詞を口走ってしまいました。何かの強制力ですか?

「……」

 沈黙が落ちます。

 ルクセルドはカチャリと音を立てて、剣を鞘から抜き放ち、

「……悪を断つ。アスクィード流最終奥義、悪、滅断刃!」

 一切の容赦が感じられない斬撃を、私に向けて食らわせてきました。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【完結】悪役令嬢の真実

恋愛 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:308

婚約破棄ならお早めに

恋愛 / 完結 24h.ポイント:25,290pt お気に入り:288

【短編完結】妹は私から全てを奪ってゆくのです

恋愛 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:373

婚約破棄?私には既に夫がいますが?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:12,432pt お気に入り:846

処理中です...