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吸血鬼1
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「それでは律香さん、力を抜いて楽にしてくださいね」
「は、はい」
「通常、吸血によって痛みを感じることは稀ですが、もし何かありましたら我慢せず仰ってください」
「わかりました」
体温の感じられないひんやりした手が、素足の踵をそっと持ち上げる。そのまま血管を指でなぞられて、私はすこし身をこわばらせた。
自室のソファに深く腰掛けて、クッションの柔らかさを感じながら、正面に跪くヤケイさんをちらりと見る。石膏のように白い肌、明かりの下できらきら光る銀色の髪と、透き通るような薄紫の瞳。
柔らかく微笑む唇は青みを帯びているけれど、血を吸えば色付くこともあるんだろうか。そんなことをぼんやり考えていると、不意に足の甲に柔らかいものが触れた。血液の流れを確かめるように寄せられた、冷たい唇。うやうやしい仕草に鼓動が跳ねて、そっと息を吐くと、銀のまつ毛に縁取られた瞳と目が合った。
「では、失礼します」
唇の隙間から、白く清潔な歯が覗く。
吸血鬼、そう自分のことを名乗った魔族の、鋭く尖った二本の歯が。
話は二日前に遡る。
指輪が修復されるまでの間、私の日常は少し慌ただしく、かなり騒々しかった。
まず、石を元の状態に戻すというのは私が想像していたよりもずっと手のかかることで、不思議な色に光る液体や真っ黒な粉末、何か彫り込まれた台座などを取り寄せたヤケイさんが夜な夜な作業をするのを何日も見守った。
時には指輪を外さないといけないこともあって、そんな時は砂のような質感の花に触れていると花が咲くのに力が使われて、一時的に魂を抑制することができた(これは本当に短い時間しかもたないから、終わる頃には部屋が花だらけになった)
出かける時は常に誰かと一緒だったし、学校にも送迎がついた。一度、イスラさんと歩いているところをクラスの友達に見られて、ちょっとした騒ぎになったこともあった。
そんな日が半月ほど続いて――ついに修復作業を終えた渦潮の最奥は、以前よりも深く澄んだ輝きを放っていた。
「お疲れ様でした、後ほど細部を調整するかもしれませんが、ひとまずはこれで終わりです」
「ありがとうございます。あの、ヤケイさんこそお疲れ様でした」
「私はこれが仕事ですので」
たおやかに微笑んで、革張りの箱に道具をしまっていくヤケイさんにもう一度お辞儀して、私は左手に指輪をはめた。中指の付け根を飾る深青の宝石。これで好きな時に一人で出かけられるし、朝夕の送迎でヤケイさんたちに迷惑をかける必要もなくなった。
(……でも)
イスラさんの話が本当なら、これもいつか壊れてしまう。私の力を抑えきれなくて。容量をこえる水を注がれた袋の口が緩むように。
それを防ぐためには定期的に過剰な力を放出しないといけなくて、その方法は。
方法は。
『強い力を持つ安全な魔族……つまり僕たちの誰かとセックスすればいい』
耳元で囁かれた声がよみがえって、痛いほど両手を握りしめる。ひとつの記憶が呼び水になったようにあの夜のことが次々と脳裏によみがえって、叫びたいほどだった。
わけもわからないまま身体をめちゃくちゃにされて、なのにどうしようもなく求めてしまって。自分が自分じゃないみたいな記憶は、けれど深いところに刻まれている。
あんなことを、また。
それも定期的に。
(で、できるわけない……!)
真っ赤になって下を向く私を、箱の留め具を閉じたヤケイさんが見た。何かあったのかと言いたげな視線に、うつむいたまま口を開く。
「あ、あの」
「なんでしょう」
「イスラさんから聞いたんですけど、わ、私の力は指輪じゃ抑えられなくて、力を調整するために、その……」
「ああ、性行為の話ですか」
穏やかな口調で返されて、ますます頬に熱が集まった。魔族の人は、こういう話題を恥ずかしいと思わないんだろうか?
「確かに、以前も申し上げた通り魂から精力……力の源を抽出するには、粘膜を介した性行為が最も効率が良いと言われています」
「…………はい」
「特にあなたのような強力な魂ですと軽い接触では湖水をスプーンですくうようなものですので、ある程度濃密な行為が不可欠です。とはいえ他の手段がないわけではありません」
私と目線を近づけるように少し身を乗り出すと、ヤケイさんは柔らかい笑みを浮かべた。香水か何かをつけているのか、青いバラのような淡く清廉な香りが鼻先を掠める。
「例えば、吸血です」
「きゅ……え、血を吸うんですか??」
「ええ、この場合重要なのは、血液そのものでなくそこに含まれる精力を糧とする魔族が吸血することです。そうすれば、吸われる側の負担が非常に軽減されるので」
大体一度の吸血で5ml程度ですね、と片手を開いて見せる。確かティースプーン一杯分がそれぐらいだから、少ないといえば少ない。イスラさんの言うようなことをするよりは、精神的なハードルも低い、けど。
「でも、それって誰にでもできるわけではないんですよね」
「そうですね、一般的に吸血を行う魔族は吸血鬼と呼ばれますが、魂を直接喫することができるのは純血に近いものだけです」
「だったら……」
「つまり、私ですが」
え、と目を丸くした私の手を取って、石のようにつめたい指で包み込むと、ヤケイさんは言った。
「律香さんさえよければ私があなたの血を吸いますが、いかがでしょうか」
「は、はい」
「通常、吸血によって痛みを感じることは稀ですが、もし何かありましたら我慢せず仰ってください」
「わかりました」
体温の感じられないひんやりした手が、素足の踵をそっと持ち上げる。そのまま血管を指でなぞられて、私はすこし身をこわばらせた。
自室のソファに深く腰掛けて、クッションの柔らかさを感じながら、正面に跪くヤケイさんをちらりと見る。石膏のように白い肌、明かりの下できらきら光る銀色の髪と、透き通るような薄紫の瞳。
柔らかく微笑む唇は青みを帯びているけれど、血を吸えば色付くこともあるんだろうか。そんなことをぼんやり考えていると、不意に足の甲に柔らかいものが触れた。血液の流れを確かめるように寄せられた、冷たい唇。うやうやしい仕草に鼓動が跳ねて、そっと息を吐くと、銀のまつ毛に縁取られた瞳と目が合った。
「では、失礼します」
唇の隙間から、白く清潔な歯が覗く。
吸血鬼、そう自分のことを名乗った魔族の、鋭く尖った二本の歯が。
話は二日前に遡る。
指輪が修復されるまでの間、私の日常は少し慌ただしく、かなり騒々しかった。
まず、石を元の状態に戻すというのは私が想像していたよりもずっと手のかかることで、不思議な色に光る液体や真っ黒な粉末、何か彫り込まれた台座などを取り寄せたヤケイさんが夜な夜な作業をするのを何日も見守った。
時には指輪を外さないといけないこともあって、そんな時は砂のような質感の花に触れていると花が咲くのに力が使われて、一時的に魂を抑制することができた(これは本当に短い時間しかもたないから、終わる頃には部屋が花だらけになった)
出かける時は常に誰かと一緒だったし、学校にも送迎がついた。一度、イスラさんと歩いているところをクラスの友達に見られて、ちょっとした騒ぎになったこともあった。
そんな日が半月ほど続いて――ついに修復作業を終えた渦潮の最奥は、以前よりも深く澄んだ輝きを放っていた。
「お疲れ様でした、後ほど細部を調整するかもしれませんが、ひとまずはこれで終わりです」
「ありがとうございます。あの、ヤケイさんこそお疲れ様でした」
「私はこれが仕事ですので」
たおやかに微笑んで、革張りの箱に道具をしまっていくヤケイさんにもう一度お辞儀して、私は左手に指輪をはめた。中指の付け根を飾る深青の宝石。これで好きな時に一人で出かけられるし、朝夕の送迎でヤケイさんたちに迷惑をかける必要もなくなった。
(……でも)
イスラさんの話が本当なら、これもいつか壊れてしまう。私の力を抑えきれなくて。容量をこえる水を注がれた袋の口が緩むように。
それを防ぐためには定期的に過剰な力を放出しないといけなくて、その方法は。
方法は。
『強い力を持つ安全な魔族……つまり僕たちの誰かとセックスすればいい』
耳元で囁かれた声がよみがえって、痛いほど両手を握りしめる。ひとつの記憶が呼び水になったようにあの夜のことが次々と脳裏によみがえって、叫びたいほどだった。
わけもわからないまま身体をめちゃくちゃにされて、なのにどうしようもなく求めてしまって。自分が自分じゃないみたいな記憶は、けれど深いところに刻まれている。
あんなことを、また。
それも定期的に。
(で、できるわけない……!)
真っ赤になって下を向く私を、箱の留め具を閉じたヤケイさんが見た。何かあったのかと言いたげな視線に、うつむいたまま口を開く。
「あ、あの」
「なんでしょう」
「イスラさんから聞いたんですけど、わ、私の力は指輪じゃ抑えられなくて、力を調整するために、その……」
「ああ、性行為の話ですか」
穏やかな口調で返されて、ますます頬に熱が集まった。魔族の人は、こういう話題を恥ずかしいと思わないんだろうか?
「確かに、以前も申し上げた通り魂から精力……力の源を抽出するには、粘膜を介した性行為が最も効率が良いと言われています」
「…………はい」
「特にあなたのような強力な魂ですと軽い接触では湖水をスプーンですくうようなものですので、ある程度濃密な行為が不可欠です。とはいえ他の手段がないわけではありません」
私と目線を近づけるように少し身を乗り出すと、ヤケイさんは柔らかい笑みを浮かべた。香水か何かをつけているのか、青いバラのような淡く清廉な香りが鼻先を掠める。
「例えば、吸血です」
「きゅ……え、血を吸うんですか??」
「ええ、この場合重要なのは、血液そのものでなくそこに含まれる精力を糧とする魔族が吸血することです。そうすれば、吸われる側の負担が非常に軽減されるので」
大体一度の吸血で5ml程度ですね、と片手を開いて見せる。確かティースプーン一杯分がそれぐらいだから、少ないといえば少ない。イスラさんの言うようなことをするよりは、精神的なハードルも低い、けど。
「でも、それって誰にでもできるわけではないんですよね」
「そうですね、一般的に吸血を行う魔族は吸血鬼と呼ばれますが、魂を直接喫することができるのは純血に近いものだけです」
「だったら……」
「つまり、私ですが」
え、と目を丸くした私の手を取って、石のようにつめたい指で包み込むと、ヤケイさんは言った。
「律香さんさえよければ私があなたの血を吸いますが、いかがでしょうか」
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