【第一部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

文字の大きさ
7 / 247
一章

6、手に入れたかった

しおりを挟む
 俺は手にした箸を落としそうになって、はっとした。
 笠井翠子かさいみどりこは、俺が担当する学級の生徒だ。年は十六。三十一歳の俺とは、ひとまわり以上離れている。

 華族や商家のお嬢さんたちが集まる女学校は、華やかだ。だが家が没落し、父の会社が傾いた翠子さんは目立たない存在だ。
 翠子さんは知らないことだが、このままでは女学校を自主退学しなければならないと、先日、彼女の両親から相談を受けていた。

 ならば、うちで住み込みとして預かり、卒業まで面倒を見ることを提案し、彼女の給金としてまとまった金を渡したのだ。
 
 翠子さんの両親には「住み込みで」と言ったが「住み込みの使用人として」とは言っていない。
 
 なぜ、あなたを下働きとして迎えなければならないんだ。
 ようやく会えたのに。

 俺は海老の尾を挟んだ箸を皿に置き、次にガラスの器に入った蓴菜じゅんさいを手にした。
 ぬるりとした蓴菜は、箸ではつまみにくい。

「そのまま飲みなさい」
「匙は使わせてもらえないんですか?」
「この俺が命じているんだよ」
「……はい」

 従順に育った翠子さんは、素直にうなずいた。
 家が没落するまでは、苦労もせずに人を疑うことも知らないのだろう。
 だから、だ。初心うぶなあなたを、危険に晒しかねない実家には、置いておけなかったのだ。

 器を差し出すと、翠子さんは身を乗り出してきた。彼女の手が置かれた太腿に、ぐいっと力が加わる。
 浴衣の布越しに翠子さんのてのひらを感じ、目眩がしそうになる。
 そんなことは、おくびにも出さないが。

 学校での彼女と会話をすることはめったにない。すれ違った時の挨拶と、数学の問題が解けなくて「済みません」と謝るか細い声くらいしか聞くことはない。

 友人とは仲良くしゃべっているのに、その笑顔を決して俺には向けてくれない。
 俺を取り巻くお嬢さんたちは、うるさいくらいに喋りかけ、常に笑顔でいるというのに。あいつらだって、翠子さんと同じくらい数学は苦手だというのに。

 なぜあなたは、俺に笑顔を見せてはくれないんだ。あの時のように。

 薄桃色の唇が、ガラスの器に寄せられる。

「ちゃんと噛むんだ。一息に飲み込めば、苦しいぞ」
「はい」

 俺が器を傾けると、つるりとした透明なジェリィのような膜に覆われた蓴菜が、翠子さんの口に入っていった。

「ん……っ」

 酢にせたのか、翠子さんが小さく咳き込んだ。

「そんなに腹が減っていたのか。はしたないな」
「……言わないでください」

 頬を染めながら、翠子さんは器を持つ俺の手に指を添えた。
 不意に、しかもじかに触れられて、胸が高鳴りそうになる。

 いい年をして、初恋みたいなことを。馬鹿か、俺は。

 蓴菜じゅんさいの膜でとろりとした酢が、翠子さんの口からこぼれて白い肌を伝う。

 背筋に稲妻のようなものが走った気がした。
 誰もまだ踏んでいない新雪に手を突っ込んで、強く握りしめるような。高揚感と背徳感だ。

 俺は翠子さんに顔を近づけて、そのあごまで垂れた酢を舐めた。
 だしの味と微かな甘みと、そして酸味を感じる。

「先生っ?」

 急に正気に戻ったのか、翠子さんが俺から離れようとする。

 させない、そんなことは。
 俺は空いた手で彼女の手首を掴んだ。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

ドクターダーリン【完結】

桃華れい
恋愛
女子高生×イケメン外科医。 高校生の伊吹彩は、自分を治療してくれた外科医の神河涼先生と付き合っている。 患者と医者の関係でしかも彩が高校生であるため、周囲には絶対に秘密だ。 イケメンで医者で完璧な涼は、当然モテている。 看護師からは手作り弁当を渡され、 巨乳の患者からはセクシーに誘惑され、 同僚の美人女医とは何やら親密な雰囲気が漂う。 そんな涼に本当に好かれているのか不安に思う彩に、ある晩、彼が言う。 「彩、      」 初作品です。 よろしくお願いします。 ムーンライトノベルズ、エブリスタでも投稿しています。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

あの夜、あなたがくれた大切な宝物~御曹司はどうしようもないくらい愛おしく狂おしく愛を囁く~

けいこ
恋愛
密かに想いを寄せていたあなたとのとろけるような一夜の出来事。 好きになってはいけない人とわかっていたのに… 夢のような時間がくれたこの大切な命。 保育士の仕事を懸命に頑張りながら、可愛い我が子の子育てに、1人で奔走する毎日。 なのに突然、あなたは私の前に現れた。 忘れようとしても決して忘れることなんて出来なかった、そんな愛おしい人との偶然の再会。 私の運命は… ここからまた大きく動き出す。 九条グループ御曹司 副社長 九条 慶都(くじょう けいと) 31歳 × 化粧品メーカー itidouの長女 保育士 一堂 彩葉(いちどう いろは) 25歳

俺様上司と複雑な関係〜初恋相手で憧れの先輩〜

せいとも
恋愛
高校時代バスケ部のキャプテンとして活躍する蒼空先輩は、マネージャーだった凛花の初恋相手。 当時の蒼空先輩はモテモテにもかかわらず、クールで女子を寄せ付けないオーラを出していた。 凛花は、先輩に一番近い女子だったが恋に発展することなく先輩は卒業してしまう。 IT企業に就職して恋とは縁がないが充実した毎日を送る凛花の元に、なんと蒼空先輩がヘッドハンティングされて上司としてやってきた。 高校の先輩で、上司で、後から入社の後輩⁇ 複雑な関係だが、蒼空は凛花に『はじめまして』と挨拶してきた。 知り合いだと知られたくない? 凛花は傷ついたが割り切って上司として蒼空と接する。 蒼空が凛花と同じ会社で働きだして2年経ったある日、突然ふたりの関係が動き出したのだ。 初恋相手の先輩で上司の複雑な関係のふたりはどうなる? 表紙はイラストAC様よりお借りしております。

虚弱なヤクザの駆け込み寺

菅井群青
恋愛
突然ドアが開いたとおもったらヤクザが抱えられてやってきた。 「今すぐ立てるようにしろ、さもなければ──」 「脅してる場合ですか?」 ギックリ腰ばかりを繰り返すヤクザの組長と、治療の相性が良かったために気に入られ、ヤクザ御用達の鍼灸院と化してしまった院に軟禁されてしまった女の話。 ※なろう、カクヨムでも投稿

処理中です...