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二章

3、知らぬふりを

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 俺が担当しているのは、高等女学校の四年生だ。年齢で言えば、十五歳から十六歳の女子ということになる。
 そう、俺の半分の年齢。つまり子どもだ。

 名簿を手に廊下を歩きながら、俺は職員室から教室へと向かった。

「高瀬先生がいらっしゃいました」

 廊下に立つ女生徒が、教室内に呼びかけるのが見えた。

 他の学校の仕組みは知らないが、この学校ではドアガールという制度がある。廊下側の一番前の席になった者は、廊下で教師が来るのを待ち、授業が終わると教師をドアの外で見送る。
 無論、ドアの開け閉めは女生徒の仕事だ。

 つまらない制度を作ったものだ、と心底思う。廊下でぼーっと立ち尽くしている時間に、英単語の一つでも覚えたり、数学の宿題を進めることもできるだろうに。

 子どもにドアを開けられて嬉しがる男がいるものだろうか。むしろこちらが女性にドアを開けてやる立場なのではないか?
 
 女生徒がドアを開けようとするから、俺はそれを手で制して自分で開いた。なぜかその生徒が、ぽうっと顔を赤らめて俺を見つめている。
 風邪か? 初夏だから、こんな北向きの廊下で立ちっぱなしでも寒いことはないが。冬場にはこの制度は相当きついよな。

 教壇に立ち、教室を見渡すと今日は空席がなかった。
 翠子さん……いや、笠井さんが窓際の後方の席に座っている。それを確認してほっとした。
 いつもは、木の枝にとまる鳥を眺めていたりするのに。今日の笠井さんは緊張しているかのように、机の上で両手を握りしめてうつむいている。

 まぁ、仕方ないか。そう簡単に切り替えることもできないだろう。
 そんな不器用さも愛らしいが。

 ふいに教室内がざわめいた。どうしたのかと思い顔を上げると、前方の席の生徒たちが俺の顔を見つめている。
 どうしたんだ? なにか顔についているのか?
 慌てて手の甲で頬やあごを拭ったが、とくに何もなさそうだ。

「珍しいですわ。高瀬先生が微笑まれるなんて」
「明日は雨かしら。でも、いいものが見られましたね」

 いかんな。翠子さんのことを考えると、自然と頬が緩んでしまった。ここは学校だ、職場なんだ。気を抜くな、俺。

 だが微笑んだくらいで注目されるとは、とんだ珍獣扱いだな。

◇◇◇

 驚きました。
 わたくしは唖然と、教壇に立つ高瀬先生を見据えました。
 だって、今日で二度目なんですよ。先生が微笑んだのは。

 女学校には四年通っていますが、この四年間、一度だって先生の柔らかな表情を見たことがありません。

 きっと常に難しい数式だの、理論だのを考えていらっしゃるから、笑うことなどないと思っていたのですけど。
 今の先生は、どんな楽しいことを考えていらしたんでしょう。

「笠井さん」

 先生はわたくしを妻にすると仰いましたけど。男爵家の娘とはいえ、今は没落して借金を抱えるほどなのですから。わたくしよりも、もっと先生に見合う令嬢がいらっしゃると思うのですが。

「笠井さん」

 ああ、でも。本当にそんな令嬢が現れたら、わたくしと結婚すると決めたのは早計だったと、あの家を追い出されるかもしれません。
 なにか自立できる道を考えなくては。

「笠井翠子さん」
「は、はい。だん……」

 旦那さまと言いかけて、わたくしは手で口を押えました。
 しまった。ここは高瀬邸ではありません。学校です、教室です。

「だん? 団子の夢でも見ていたのか。出席しているのなら、返事をしなさい」
「申し訳ありません」
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