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三章
2、つかず離れず
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今日は学校が午前で終わるので、先生と待ち合わせて買い物に行くことになっています。
放課後。校門で高瀬先生を待っていると「きゃあ」という黄色い声が聞こえてきました。
華やかな着物と袴を着た先輩たちです。五人いる先輩たちの真ん中に、高瀬先生がいらっしゃいました。
先生の白い開襟シャツに灰色のズボンは、仕立てがいいのでしょう。すらりとしながらも筋肉のついた先生の体の線を、引き立てています。
「じゃあ、俺はここで」
先生が軽く手を挙げると、先輩たちは不満そうに唇を尖らせました。
「えー、先生。ご一緒しましょうよ」
「途中まで帰り道は同じでしょう? ね?」
先生の半袖を、先輩たちが引っ張ります。女学校でも綺麗どころの先輩たちです。男性ならば、にやけてしまうでしょう。
「気をつけて帰りなさい」
ただそれだけを告げると、先生は笑顔を見せるでもなく立ち止まりました。
先輩たちは渋々、校門を出ていきます。
彼女たちが立ち去ったのを確認して、先生は無言で手招きをなさいました。
――学校近くでは、ある程度の距離を保ち、つかず離れずついて歩くこと。
一緒に登校する時の取り決めを守り、わたくしは先生の少し後を歩きました。
最初の日と違い、先生の歩みはゆっくりです。
わたくしは前を行く白い背中を見つめながら、歩き続けました。
本当に先生は、生徒に人気があります。中には恋心を抱いている方もいるでしょう。
目立たないわたくしよりも、もっとふさわしい女性はたくさんいるでしょうに。
今日は晴れていますが、じっとりとした湿気で汗ばんできます。
今は手を伸ばしても先生には届かない距離を保っています。もしこの先に、先生が夢中になる女性が現れたら。わたくしなど放っていかれるでしょう。
そうなれば、わたくしは単なる邪魔者となってしまうことでしょう。
嫌です。そんな未来は。
「大丈夫か? 翠子さん」
急に先生が立ち止まり、振り返りました。
「足音がゆっくりになったから、気になって。俺の歩くのが速すぎたか?」
「い、いえ」
「では、暑さに当たったのかもしれないな。少し休憩しよう」
先生はわたくしの元まで戻り、お書物を入れている風呂敷包みを持ってくださいました。
気づけば、すでに百貨店のある海岸通り近くまで歩いてきていました。洋風と南方風が混じったコロニアル様式の百貨店です。
「全店、大売出し」という垂れ幕が、掛かっています。
この辺りは、外国人の居留地が近いこともあり、街全体が西洋風です。
そぞろ歩いているご婦人方も和装ではありますが、大粒の宝石が付いた指輪をはめていたり、華奢な日傘をさしていたりします。
港近くのカフェーに先生はお入りになりました。扉にカモメの絵が描かれた、おしゃれなお店です。
先生が椅子を引いて、わたくしを座らせてくださいます。
自然とそういう仕草をなさるところが、紳士でいらっしゃいます。
店内は薄暗く、大きく開かれた窓から海風が入ってきます。その心地よさに、思わずほっとしました。
「済まない。誰かに見られはせぬかと、気にしすぎていた」
「いえ、平気ですから」
「平気なわけがないだろ。青白い顔をして」
先生は胸のポケットからハンカチを出すと、わたくしの額の汗をぬぐってくださいました。
わたくしは、先生の手に指を添えていました。ええ、自分でも気づかぬ内に。
「翠子さん?」
「あ、すみません。どうしたんでしょう、わたくしったら」
ふっと先生が柔らかく微笑みます。
その表情を見るだけで、なぜか心が踊ります。
「無意識に俺をつかまえたくなったのか? だとしたら、嬉しいが」
もしかしたら先生の指摘通りかもしれません。
だって、わたくしは先生の手に触れたまま、その指を離すのがもったいなくて。動かせずにいたのですから。
放課後。校門で高瀬先生を待っていると「きゃあ」という黄色い声が聞こえてきました。
華やかな着物と袴を着た先輩たちです。五人いる先輩たちの真ん中に、高瀬先生がいらっしゃいました。
先生の白い開襟シャツに灰色のズボンは、仕立てがいいのでしょう。すらりとしながらも筋肉のついた先生の体の線を、引き立てています。
「じゃあ、俺はここで」
先生が軽く手を挙げると、先輩たちは不満そうに唇を尖らせました。
「えー、先生。ご一緒しましょうよ」
「途中まで帰り道は同じでしょう? ね?」
先生の半袖を、先輩たちが引っ張ります。女学校でも綺麗どころの先輩たちです。男性ならば、にやけてしまうでしょう。
「気をつけて帰りなさい」
ただそれだけを告げると、先生は笑顔を見せるでもなく立ち止まりました。
先輩たちは渋々、校門を出ていきます。
彼女たちが立ち去ったのを確認して、先生は無言で手招きをなさいました。
――学校近くでは、ある程度の距離を保ち、つかず離れずついて歩くこと。
一緒に登校する時の取り決めを守り、わたくしは先生の少し後を歩きました。
最初の日と違い、先生の歩みはゆっくりです。
わたくしは前を行く白い背中を見つめながら、歩き続けました。
本当に先生は、生徒に人気があります。中には恋心を抱いている方もいるでしょう。
目立たないわたくしよりも、もっとふさわしい女性はたくさんいるでしょうに。
今日は晴れていますが、じっとりとした湿気で汗ばんできます。
今は手を伸ばしても先生には届かない距離を保っています。もしこの先に、先生が夢中になる女性が現れたら。わたくしなど放っていかれるでしょう。
そうなれば、わたくしは単なる邪魔者となってしまうことでしょう。
嫌です。そんな未来は。
「大丈夫か? 翠子さん」
急に先生が立ち止まり、振り返りました。
「足音がゆっくりになったから、気になって。俺の歩くのが速すぎたか?」
「い、いえ」
「では、暑さに当たったのかもしれないな。少し休憩しよう」
先生はわたくしの元まで戻り、お書物を入れている風呂敷包みを持ってくださいました。
気づけば、すでに百貨店のある海岸通り近くまで歩いてきていました。洋風と南方風が混じったコロニアル様式の百貨店です。
「全店、大売出し」という垂れ幕が、掛かっています。
この辺りは、外国人の居留地が近いこともあり、街全体が西洋風です。
そぞろ歩いているご婦人方も和装ではありますが、大粒の宝石が付いた指輪をはめていたり、華奢な日傘をさしていたりします。
港近くのカフェーに先生はお入りになりました。扉にカモメの絵が描かれた、おしゃれなお店です。
先生が椅子を引いて、わたくしを座らせてくださいます。
自然とそういう仕草をなさるところが、紳士でいらっしゃいます。
店内は薄暗く、大きく開かれた窓から海風が入ってきます。その心地よさに、思わずほっとしました。
「済まない。誰かに見られはせぬかと、気にしすぎていた」
「いえ、平気ですから」
「平気なわけがないだろ。青白い顔をして」
先生は胸のポケットからハンカチを出すと、わたくしの額の汗をぬぐってくださいました。
わたくしは、先生の手に指を添えていました。ええ、自分でも気づかぬ内に。
「翠子さん?」
「あ、すみません。どうしたんでしょう、わたくしったら」
ふっと先生が柔らかく微笑みます。
その表情を見るだけで、なぜか心が踊ります。
「無意識に俺をつかまえたくなったのか? だとしたら、嬉しいが」
もしかしたら先生の指摘通りかもしれません。
だって、わたくしは先生の手に触れたまま、その指を離すのがもったいなくて。動かせずにいたのですから。
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