【第一部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

文字の大きさ
66 / 247
五章

7、早朝

 早朝、目が覚めた時に旦那さまがわたくしの顔を眺めていらっしゃいました。
 布団に片肘をついて、少し上体を起こした姿です。
 
「あ、あの。どうかなさいましたか」
「ああ、目を覚まさせてしまったな。済まない」

 壁の時計を見上げた旦那さまが「まだ四時過ぎだ。もう少し寝なさい」と仰います。
 この時期は夜が明けるのがとても早いです。四時だというのに、蚊帳かや越しに朝焼けの空が見えます。
 
「眠れないのですか?」
「翠子さんが、布団を蹴飛ばしたから掛けていただけだ」
「そんなっ……」
「冗談だよ」

 そう仰る旦那さまは、困ったように眉を下げました。そうしてわたくしに背中を向けて、ご自分の布団に入られたのです。

 わたくしはそっと手を伸ばして、旦那さまの背中に触れました。刹那、旦那さまがびくっと身を竦ませるのが伝わってきました。

「ご機嫌斜めですか?」
「いや、斜めではないが。なぜだ?」
「雰囲気がいつもより硬いですから」

 もしかしたら、呆れていらっしゃるのかもしれません。お仕置きに耐え切れずに根を上げてしまったのですから。
 旦那さまに心配をかけたのは事実ですし、あんな風に走って探しに来てくださったのですから。怒っていないまでも、辟易となさっているかもしれません。

 どうしましょう。でも、またお仕置きの続きをなんて、言えるはずもありませんし。言いたくないです。

 ああ、でも。お仕置きもそんなに時間が経っていないと仰っていたような。

 この家に来た日に、一人で行動しないように、自宅に戻らないようにと命じられました。
 わたくしは最初、旦那さまに買われた身なので、自由が与えられるはずないのだと感じていました。
 でも、違ったのです。

 九年前、わたくしが迷子になった時。旦那さまはわたくしと手をつないで、安全だった笠井の家に戻してくださいました。
 そして今、その家が危険であるから、わたくしの手を引いて連れ出してくれたのです。

 わたくしは夏布団から抜け出して、旦那さまの背にぴたりと寄り添いました。

「翠子さん?」
「一緒に眠ってもいいですか」

 旦那さまの返事はありません。
 やはり迷惑だったのでしょうか。ためらいがちに離れようとすると、肩越しに旦那さまが手を伸ばしてきました。
 ひんやりとした大きな手が、わたくしの手を包みます。

「……一緒にいてほしい」
「でも、ご迷惑では?」
 
 蚊遣かやりがもう消えかけているのでしょう。蚊帳の外でゆらりと立ち上っていた煙が、大気に溶け込むように淡く見えなくなりました。

「迷惑であるはずがない」

 旦那さまは手を離すと体の向きを変えて、わたくしを見つめました。前髪を下ろしていらっしゃるので、普段の旦那さまよりも年若く見えます。
 いいえ、前髪のせいだけではありません。
 戸惑うような琥珀色の瞳に、常にはない旦那さまの寂しさが映っているようで、そのために幼く見えるのでしょうか。

「どうしたらいいんだろうな。ここが、俺の傍があなたにとって安全な場所であるようにと心がけているはずなのに。嫉妬であなたに無茶をしてしまう」
「旦那さま……」
「愛しているのに、その愛ゆえにあなたを苦しめるのなら。俺は……」

――もしかしてこの手を離した方がいいんだろうか。

 そんな声にならない言葉が、聞こえてきた気がします。
 いいえ。もし声に出しても、きっと朝露が葉から落ちるように、かそけき音だったでしょう。
 ですから、わたくしは旦那さまの頬に手を添えました。

「何を?」
「いいのです。わたくしが、旦那さまを撫でてさしあげたいと思っただけです」
「だが……」

 なおも言い募ろうとする旦那さまの唇に、わたくしは人差し指を当てました。そしてゆっくりと頬を撫でます。

 旦那さまは、戸惑ったように視線を惑わせた後で、静かに瞼を閉じました。
 
 お仕置きという名目ではありましたが、普段の愛し方を焦らされ続けただけで、決して傷つけられたわけではありません。

 旦那さまは、わたくしを取り巻く笠井家の環境と、ご自身の不幸な子ども時代を重ね合わせていらっしゃるのかもしれません。

「旦那さまも、わたくしに甘えていいのですよ」
「俺が翠子さんに?」
「こう見えて包容力はあるのです。土鍋くらいには」

 ふっと旦那さまが噴き出しました。何が面白かったのか、肩を震わせながら笑っていらっしゃいます。

「ありがとう。たぶん俺は、割とあなたに甘えている方だと思う」

 そうなのでしょうか。いつも凛として自信がおありなのに。旦那さまに寄りかかっているのは、わたくしの方ですのに。
 首をかしげながらも、旦那さまの頬に手を添えます。

「温かいな」
「わたくし、体温が高いのです」
「手だけじゃないよ。あなたの存在が、あなたが俺といてくれることが温かいんだ」

 そう言って微笑むと、旦那さまはわたくしを抱き寄せました。

「それから、土鍋にあるのは包容力ではなく、保温力だと思うぞ」

 そ、そうですね。
 わたくしは恥ずかしがりながら、浴衣越しに感じる逞しい胸に顔を埋めていると、いつの間にかまた眠ってしまいました。
感想 10

あなたにおすすめの小説

お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?

すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。 お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」 その母は・・迎えにくることは無かった。 代わりに迎えに来た『父』と『兄』。 私の引き取り先は『本当の家』だった。 お父さん「鈴の家だよ?」 鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」 新しい家で始まる生活。 でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。 鈴「うぁ・・・・。」 兄「鈴!?」 倒れることが多くなっていく日々・・・。 そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。 『もう・・妹にみれない・・・。』 『お兄ちゃん・・・。』 「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」 「ーーーーっ!」 ※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。 ※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。 ※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

【完結】女当主は義弟の手で花開く

はるみさ
恋愛
シャノンは若干25歳でありながら、プレスコット伯爵家の女当主。男勝りな彼女は、由緒ある伯爵家の当主として男性と互角に渡り合っていた。しかし、そんな彼女には結婚という大きな悩みが。伯爵家の血筋を残すためにも結婚しなくてはと思うが、全く相手が見つからない。途方に暮れていたその時……「義姉さん、それ僕でいいんじゃない?」昔拾ってあげた血の繋がりのない美しく成長した義弟からまさかの提案……!? 恋に臆病な姉と、一途に義姉を想い続けてきた義弟の大人の恋物語。 ※他サイトにも掲載しています。

黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。