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七章
16、渡せました
翠子さんと一緒に下校中「少し買うものがあるから」と、俺は寄り道をした。
目指す先は、まんじゅう屋だ。
店が近づいてくると甘い香りが、漂ってくる。俺はあまり好みの匂いではないが、翠子さんの顔は輝いている。
店先には、湯気の立つ箱が積み上げられている。
ちょうどまんじゅうが蒸しあがったばかりのようだ。
「先生。どうなさるんですか?」
「今日のおやつだ。翠子さんとお清と銀司にな」
「いいんですか? だってお清さんに、お遣いを頼まれたわけでもないんですよ」
「俺が自ら甘いものを買うのが、そんなに不思議か?」
不格好な包帯を指に巻いたままで、翠子さんはうんうんとうなずいた。
「その包帯、指が使いにくかっただろ」
「あ、はい。文子さんが巻きなおしてあげると言ってくれたんですけど。このままでいいとお断りしたんです」
翠子さんは、消毒薬の匂いのする包帯に軽く唇を寄せた。
俺が自分で巻いたものだから、鼓動が速くなる。
「先生が巻いてくださったんですもの。今日一日、お会いできない間も先生とご一緒しているみたいで、嬉しかったんです」
「そ、そうか」
俺は慌てて翠子さんに背を向けた。
店の人が「おまんじゅうは、いくつお求めですか」と訊いてくるが、果たして何個と答えたのか覚えていない。
夕日が照っていてよかった。この頬の赤さは、夕色が映っているのだとごまかすことができるから。
恥ずかしすぎて翠子さんには言えないが。俺も嬉しかったんだ。
思いもがけず、職員室であなたに会えて。
だから取り乱して、薬箱をすぐにみつけられなかったことも、包帯を巻くのが下手なのもしょうがないだろ?
俺はもしかしたら初心なのかもしれない。
少々まんじゅうを買いすぎてしまい、俺はその場で翠子さんに食べさせることにした。
店先の床几に並んで腰を下ろし、ふかしたてのまんじゅうを翠子さんに手渡す。
「いいんですか? まだ帰っていないのに」
「冷めないうちにどうぞ」
「先生は?」
「俺は、まぁ後で」
さすがにまんじゅう屋の前で、甘いものは嫌いだとは言えない。
ふかふかした生地を、翠子さんは二つに割った。中から、紫と茶色が混じったような餡がこんにちは、だ。たいそう甘そうだな、お前。
「おいしいです。甘くって、温かくて。蒸したばかりのおまんじゅうって、特別ですね」
「それはよかった」
俺もよかった。あなたが笑顔でまんじゅうを食べてくれるなら、珍妙な絵のモデルを引き受ける必要もない。
◇◇◇
帰宅して先生が……いえ、旦那さまがお土産をお清さんに渡すと、すぐにお茶の時間が始まりました。
銀司さんもご一緒です。
おまんじゅうは、店先で頂いたときほど熱くはありませんが。まだ温もりが残っていて、ちょうど良い感じです。
「まぁまぁ、お坊ちゃまがこんな気の利いたことをねぇ」
「まぁ、たまにはな」
「うまいです。このまんじゅう」
「好きなだけ食ってくれ、銀司。ああ、翠子さんは食べすぎるんじゃないぞ。夕飯が入らなくなるからな」
三つめのお饅頭に手を伸ばそうとしたわたくしを、旦那さまが窘めます。
確かに店先でもすでに一ついただいているので、多いですね。
でも、おいしいんですよ。
懇願の意味も込めて旦那さまを見つめると、少したじろいだような表情をなさいました。
それでも「それを最後の一つにしなさい」と、許可をいただけたのでよかったです。
けれど甘いものの苦手な旦那さまが、どうして急におまんじゅうを買おうと思われたのでしょう。
隣に座る旦那さまを見遣ると、ご自身はおまんじゅうに手を出すことはなく、静かにお茶を飲んでおられます。
ダイニングに銀司さんもいらっしゃるので、ちょうどいいかもしれません。わたくしは部屋に向かい、乾かした燐寸箱を持ってきました。
「銀司さん。これをお返しします」
わたくしは食卓の斜めに座る銀司さんに、燐寸箱を差し出しました。元のものよりも色あせた夕空に、ラベルの端も少し剥がれてしまっています。
なのに銀司さんは、まるで生まれて初めて万華鏡を覗いた少年のように、目を輝かせました。
恐る恐るといった風に、ゆっくりと箱を開けます。そこにはお行儀よく七色の燐寸が並んでいます。
「翠子さま。拾ってきてくださったんですか」
「もっと早くに渡せていたらよかったのですが」
「いえ……すごく、その……」
銀司さんはテーブルの上で組んだ指を、もじもじと動かします。しばらく、うつむいていらっしゃいましたが、意を決したように顔を上げてわたくしを見つめました。
「うれしいです。ありがとございます」
目指す先は、まんじゅう屋だ。
店が近づいてくると甘い香りが、漂ってくる。俺はあまり好みの匂いではないが、翠子さんの顔は輝いている。
店先には、湯気の立つ箱が積み上げられている。
ちょうどまんじゅうが蒸しあがったばかりのようだ。
「先生。どうなさるんですか?」
「今日のおやつだ。翠子さんとお清と銀司にな」
「いいんですか? だってお清さんに、お遣いを頼まれたわけでもないんですよ」
「俺が自ら甘いものを買うのが、そんなに不思議か?」
不格好な包帯を指に巻いたままで、翠子さんはうんうんとうなずいた。
「その包帯、指が使いにくかっただろ」
「あ、はい。文子さんが巻きなおしてあげると言ってくれたんですけど。このままでいいとお断りしたんです」
翠子さんは、消毒薬の匂いのする包帯に軽く唇を寄せた。
俺が自分で巻いたものだから、鼓動が速くなる。
「先生が巻いてくださったんですもの。今日一日、お会いできない間も先生とご一緒しているみたいで、嬉しかったんです」
「そ、そうか」
俺は慌てて翠子さんに背を向けた。
店の人が「おまんじゅうは、いくつお求めですか」と訊いてくるが、果たして何個と答えたのか覚えていない。
夕日が照っていてよかった。この頬の赤さは、夕色が映っているのだとごまかすことができるから。
恥ずかしすぎて翠子さんには言えないが。俺も嬉しかったんだ。
思いもがけず、職員室であなたに会えて。
だから取り乱して、薬箱をすぐにみつけられなかったことも、包帯を巻くのが下手なのもしょうがないだろ?
俺はもしかしたら初心なのかもしれない。
少々まんじゅうを買いすぎてしまい、俺はその場で翠子さんに食べさせることにした。
店先の床几に並んで腰を下ろし、ふかしたてのまんじゅうを翠子さんに手渡す。
「いいんですか? まだ帰っていないのに」
「冷めないうちにどうぞ」
「先生は?」
「俺は、まぁ後で」
さすがにまんじゅう屋の前で、甘いものは嫌いだとは言えない。
ふかふかした生地を、翠子さんは二つに割った。中から、紫と茶色が混じったような餡がこんにちは、だ。たいそう甘そうだな、お前。
「おいしいです。甘くって、温かくて。蒸したばかりのおまんじゅうって、特別ですね」
「それはよかった」
俺もよかった。あなたが笑顔でまんじゅうを食べてくれるなら、珍妙な絵のモデルを引き受ける必要もない。
◇◇◇
帰宅して先生が……いえ、旦那さまがお土産をお清さんに渡すと、すぐにお茶の時間が始まりました。
銀司さんもご一緒です。
おまんじゅうは、店先で頂いたときほど熱くはありませんが。まだ温もりが残っていて、ちょうど良い感じです。
「まぁまぁ、お坊ちゃまがこんな気の利いたことをねぇ」
「まぁ、たまにはな」
「うまいです。このまんじゅう」
「好きなだけ食ってくれ、銀司。ああ、翠子さんは食べすぎるんじゃないぞ。夕飯が入らなくなるからな」
三つめのお饅頭に手を伸ばそうとしたわたくしを、旦那さまが窘めます。
確かに店先でもすでに一ついただいているので、多いですね。
でも、おいしいんですよ。
懇願の意味も込めて旦那さまを見つめると、少したじろいだような表情をなさいました。
それでも「それを最後の一つにしなさい」と、許可をいただけたのでよかったです。
けれど甘いものの苦手な旦那さまが、どうして急におまんじゅうを買おうと思われたのでしょう。
隣に座る旦那さまを見遣ると、ご自身はおまんじゅうに手を出すことはなく、静かにお茶を飲んでおられます。
ダイニングに銀司さんもいらっしゃるので、ちょうどいいかもしれません。わたくしは部屋に向かい、乾かした燐寸箱を持ってきました。
「銀司さん。これをお返しします」
わたくしは食卓の斜めに座る銀司さんに、燐寸箱を差し出しました。元のものよりも色あせた夕空に、ラベルの端も少し剥がれてしまっています。
なのに銀司さんは、まるで生まれて初めて万華鏡を覗いた少年のように、目を輝かせました。
恐る恐るといった風に、ゆっくりと箱を開けます。そこにはお行儀よく七色の燐寸が並んでいます。
「翠子さま。拾ってきてくださったんですか」
「もっと早くに渡せていたらよかったのですが」
「いえ……すごく、その……」
銀司さんはテーブルの上で組んだ指を、もじもじと動かします。しばらく、うつむいていらっしゃいましたが、意を決したように顔を上げてわたくしを見つめました。
「うれしいです。ありがとございます」
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