113 / 247
七章
23、夜食
お風呂に入った後、わたくしたちは夕食と申しますか、夜食をいただきました。
もうとっくに帰宅なさったお清さんは、ダイニングに夕食を用意してくださっていました。
蠅が来ないように、料理にはふわりと布巾が掛けてあります。
――お坊ちゃま。翠子さんに無理強いなさらないように。ちゃんと翠子さんにお夕飯をさしあげてください、くれぐれもお願いしますよ。
お清さんの書き置きがテーブルに置いてあります。
は、恥ずかしいです。そうですよね、夕食も食べずに愛し合っていたのですから。
「分かってるんだよ、自制すべきだということは。分かってるんだけどなぁ。難しいんだよ」
しげしげと書き置きを眺めながら、旦那さまは椅子に腰かけました。
布巾をめくると、おにぎりが作ってありました。俵型の、小さくて食べやすそうなおにぎりです。
しっとりとした海苔の巻かれたおにぎりは、塩味が効いています。
それに牛肉のしぐれ煮と、西洋セリと油揚げの煮びたし。どれも冷めても美味しいです。
もしかして、わたくしたちが夜食として食べることを察して、このような献立なのでしょうか。
そう考えると、やはりとても……羞恥心を覚えます。
「旦那さまは、気にならないのですか?」
「なにが? ああ、書き置きとか、握り飯に塩が効いていることか?」
「お塩がなにか関係あるのですか?」
「汗をかいただろう? そういう場合は、塩分がいいんだ」
汗……。先刻まで、旦那さまと汗まみれになったことを思い出し、わたくしは照れてうつむいてしまいました。
「風呂で汗を流したから、別に気にすることもないだろうに。それに前にも言ったが、あなたの学校があるからすぐには無理でも、お清は俺とあなたの子どもを見たいと思っているんだぞ」
それは、そうなのかもしれませんけど。
わたくしは、旦那さまが注いでくださった麦茶を飲みました。
「ほら、ちゃんと食べなさい」
旦那さまが、大皿から牛肉のしぐれ煮を取り分けてくださいます。味付けはどちらかといえば薄味で、生姜の風味が効いています。
「そういえば生姜は、体を温める作用があったな」
「そ、そうですね」
「夏とはいえ、服を着ていないと体は冷えるからな」
わたくしは、お行儀悪く麦茶をふいてしまいました。
「すみません」と、慌てて布巾で口元やテーブルを拭きますが、旦那さまは平気なのですね。
笠井の家にも使用人はおりましたけど、この高瀬家では使用人との距離がとても近いんです。ですから、そういう男女の関係を知られることが、とても恥ずかしくて。
でも、旦那さまもお清さんも銀司さんも、そういう部分は気になさらないと申しますか。
ただ一人気にしている自分だけが、おかしいのかと思えてしまいます。
「そういえば、学校で生徒たちが別荘に行くとか、話していたな」
「ええ、そうですね。わたくしも訊かれました」
友人の文子さんに、いつものように別荘で夏を過ごすのかと問われ、ちゃんと返事ができなかったことを思い出します。
笠井の家はすでに別荘を売り払っていますし、家を出たわたくしにはそもそも関係のないことですから。
「下界は暑いからな。森なり高原なりに別荘があってもいいかもしれない」
「お求めになるのですか?」
「考えておこう」
旦那さまは、お箸を置いてお話しなさいます。
「俺が一人だけなら、興味もないのだが。翠子さんと一緒なら別荘で過ごすのもいいと思えるのだから、不思議だな」
「素敵だと思います……けど」
相当、お高いですよね。
土地や建物の値段だけではなく、維持費もお高いはずです。どれほどかかるのか分かりませんが。
そんなわたくしの考えをお読みになったのか、旦那さまは「ふっ」とお笑いになります。
「翠子さんなら知っているだろう? 澄んだ鳥のさえずりで目を覚ますと、早朝の大気は森の色に染まって、朝靄が緑に染まるんだ」
「はい。誰も起きていない森の中をお散歩するのが、とても素敵で」
「そうそう。草に下りた朝露が、足を濡らすんだよな」
「空気がとても新鮮なんです」
はっ。いけません。つい熱が入ってしまいました。
旦那さまは、身を乗り出したわたくしをご覧になって「うんうん。欲しくなるだろ?」とうなずいておられます。
もうとっくに帰宅なさったお清さんは、ダイニングに夕食を用意してくださっていました。
蠅が来ないように、料理にはふわりと布巾が掛けてあります。
――お坊ちゃま。翠子さんに無理強いなさらないように。ちゃんと翠子さんにお夕飯をさしあげてください、くれぐれもお願いしますよ。
お清さんの書き置きがテーブルに置いてあります。
は、恥ずかしいです。そうですよね、夕食も食べずに愛し合っていたのですから。
「分かってるんだよ、自制すべきだということは。分かってるんだけどなぁ。難しいんだよ」
しげしげと書き置きを眺めながら、旦那さまは椅子に腰かけました。
布巾をめくると、おにぎりが作ってありました。俵型の、小さくて食べやすそうなおにぎりです。
しっとりとした海苔の巻かれたおにぎりは、塩味が効いています。
それに牛肉のしぐれ煮と、西洋セリと油揚げの煮びたし。どれも冷めても美味しいです。
もしかして、わたくしたちが夜食として食べることを察して、このような献立なのでしょうか。
そう考えると、やはりとても……羞恥心を覚えます。
「旦那さまは、気にならないのですか?」
「なにが? ああ、書き置きとか、握り飯に塩が効いていることか?」
「お塩がなにか関係あるのですか?」
「汗をかいただろう? そういう場合は、塩分がいいんだ」
汗……。先刻まで、旦那さまと汗まみれになったことを思い出し、わたくしは照れてうつむいてしまいました。
「風呂で汗を流したから、別に気にすることもないだろうに。それに前にも言ったが、あなたの学校があるからすぐには無理でも、お清は俺とあなたの子どもを見たいと思っているんだぞ」
それは、そうなのかもしれませんけど。
わたくしは、旦那さまが注いでくださった麦茶を飲みました。
「ほら、ちゃんと食べなさい」
旦那さまが、大皿から牛肉のしぐれ煮を取り分けてくださいます。味付けはどちらかといえば薄味で、生姜の風味が効いています。
「そういえば生姜は、体を温める作用があったな」
「そ、そうですね」
「夏とはいえ、服を着ていないと体は冷えるからな」
わたくしは、お行儀悪く麦茶をふいてしまいました。
「すみません」と、慌てて布巾で口元やテーブルを拭きますが、旦那さまは平気なのですね。
笠井の家にも使用人はおりましたけど、この高瀬家では使用人との距離がとても近いんです。ですから、そういう男女の関係を知られることが、とても恥ずかしくて。
でも、旦那さまもお清さんも銀司さんも、そういう部分は気になさらないと申しますか。
ただ一人気にしている自分だけが、おかしいのかと思えてしまいます。
「そういえば、学校で生徒たちが別荘に行くとか、話していたな」
「ええ、そうですね。わたくしも訊かれました」
友人の文子さんに、いつものように別荘で夏を過ごすのかと問われ、ちゃんと返事ができなかったことを思い出します。
笠井の家はすでに別荘を売り払っていますし、家を出たわたくしにはそもそも関係のないことですから。
「下界は暑いからな。森なり高原なりに別荘があってもいいかもしれない」
「お求めになるのですか?」
「考えておこう」
旦那さまは、お箸を置いてお話しなさいます。
「俺が一人だけなら、興味もないのだが。翠子さんと一緒なら別荘で過ごすのもいいと思えるのだから、不思議だな」
「素敵だと思います……けど」
相当、お高いですよね。
土地や建物の値段だけではなく、維持費もお高いはずです。どれほどかかるのか分かりませんが。
そんなわたくしの考えをお読みになったのか、旦那さまは「ふっ」とお笑いになります。
「翠子さんなら知っているだろう? 澄んだ鳥のさえずりで目を覚ますと、早朝の大気は森の色に染まって、朝靄が緑に染まるんだ」
「はい。誰も起きていない森の中をお散歩するのが、とても素敵で」
「そうそう。草に下りた朝露が、足を濡らすんだよな」
「空気がとても新鮮なんです」
はっ。いけません。つい熱が入ってしまいました。
旦那さまは、身を乗り出したわたくしをご覧になって「うんうん。欲しくなるだろ?」とうなずいておられます。
あなたにおすすめの小説
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
女の子がほとんど産まれない国に転生しました。
さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。
100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳
そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。
当面は2日に1話更新予定!
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
お隣さんはヤのつくご職業
古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。
残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。
元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。
……え、ちゃんとしたもん食え?
ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!!
ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ
建築基準法と物理法則なんて知りません
登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。
2020/5/26 完結
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
「職場では隙のない完璧な先輩が、家ではゆるニットで甘えてくる。それでも彼女は、まだ俺の恋人じゃない」
まさき
恋愛
会社では完璧で、誰も近づけない先輩。
そんな彼女と、俺は同じ部屋で暮らしている。
「…おかえり」
ゆるニット姿の彼女は、家でだけ甘い声を出す。
近い。甘い。それでも――
「ちゃんと付き合ってから」
彼女は知っている。自分が好きになりすぎることを。
嫌われるのが怖くて、迷惑になるのが怖くて。
だから一歩手前で、いつも笑って止まる。
最初から好きなくせに、言えない彼女と。
気づいているのに、待っている俺の話。