【第一部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

文字の大きさ
121 / 247
八章

5、宵祭り【3】

しおりを挟む
 旦那さまと琥太郎さんのお話は、すぐに済みました。なにやら茶封筒を旦那さまに渡して、琥太郎さんは「ほな、二人でゆっくりしてき」と去っていきます。

 新しそうですのに、妙にしわの入った封筒です。
 しかも土がついているのか、旦那さまは表面を軽く手で払いました。

 琥太郎さんが歩きはじめると、すぐに脇から強面で体格のいい男性が彼を取り囲みます。
 賑わっていた人たちが、左右に避けて自然と道ができます。そして参道に並ぶ夜店の主たちが、次々に現れて頭を下げました。
 彼が歩く場所だけ、まるで空気が硬く結晶したかのようです。

 あ、察しました。

 そういえば初めて旦那さまと引き合わされるときに、倶利伽羅紋々くりからもんもんを背負った方なのではないかと心配しましたが。
 琥太郎さんの背中には、昇り龍とか刻まれているのかもしれません。

「翠子さんが、置屋に売られるところだっただろう? その情報を教えてくれたのが、琥太郎兄さんなんだ」
「なぜ琥太郎さんが、わたくしのことを?」
「そりゃあ、幼馴染みだからな。俺が笠井男爵の娘の話を、昔からしていたからだろう。笠井男爵は翠子さんを遠くの花街に売ろうとしたようだが、まずは手始めに近場で情報を得ようとしたのではないか?」

 確かに、わたくしにいくらの値が相場であるのか、知る必要はあるでしょう。こんな言い方は嫌ですけど、お父さまにとってはわたくしが買い叩かれては困るでしょうから。

「琥太郎兄さんは仕事柄、歓楽街には詳しいからな。でもそのおかげで、翠子さんを救うことができた」

 けろりと仰いますが、わたくしは存じ上げないことです。
 どうしましょう。本来ならばお礼を言うべきなのに、わたくしはとても失礼な態度をとってしまいました。
 それにしても、インテリのヤ……いえ、やめておきましょう。人を色眼鏡で見てはいけません。

 琥太郎さんは旦那さまの幼馴染みで、わたくしの窮地を救ってくださった方なのです。

 参道に賑わいが戻った時、醤油の焦げる香ばしい匂いが鼻をかすめました。
 それだけではありません。ソースの匂いだってします。

「旦那さま、大変です。いい匂いしかしません」

 くぅとお腹が小さく鳴りました。今日はお夕飯を食べていません。お腹だって空きます。
 あたりを見れば、イカに醤油を塗って焼いたもの、イカ焼きと垂れ幕に記してあります。それに焼きトウモロコシ、ああ、ラジオ焼きなんてあるんですね。なんてハイカラなんでしょう。
 一銭洋食……なるほど、ソースを使うから洋食なのですね。

「翠子さんは何が食べたい?」
「目移りします」
「存分に悩みなさい」

 なぜか旦那さまは笑いを噛み殺しておられます。でも、そんなことはどうでもいいのです。右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを見ても、目新しくて美味しそうなものばかりです。

「決めました。まずは焼きトウモロコシをいただきます。お野菜は大事ですからね」
「あれは野菜の範疇に入るのか?」
「それからイカ焼きです。その後にラジオ焼きをいただきます。メリケン粉で作ってあるようなので、パン代わりになりませんか?」
「なんでコース料理仕立てにしてるの? 君、やっぱり育ちがいいね」

 育ちは関係ありませんよ。食べるものが偏ってはいけませんからね。

「デザート代わりに綿菓子と、ベビーカステラを。あ、お清さんと銀司さんにも同じものをお土産で」

 旦那さまは、中折れ帽のつばの下でにやにやとわたくしを見ていらっしゃいます。
 はっ、もしかして調子に乗りすぎたでしょうか。こんなに食べては、お金もきっとかかりますよね。

「やはり、わたくしはラジオ焼きだけにします。でもお土産は、買って差し上げたいのです」
「どうしたんだ? 急にしおらしくなって。」
「いえ、なんでもないのです」

 旦那さまはわたくしと一緒に握っていた扇子を奪いました。そして扇子で、おでこをぴしっと叩かれます。
 なかなかに鋭い一撃で、じんじんと痛みます。

「何をなさるんですか、痛いじゃないですか」
「俺に遠慮は無用。ただし食べきれる量にするんだぞ」
「……はい」

 旦那さまはわたくしの頭を、わしわしと撫でました。

「浮かれていいんだよ。浮かれてくれた方が、俺も嬉しい。翠子さんは、縁日を楽しみにしていたんだろ?」

 はい、その通りです。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

虚弱なヤクザの駆け込み寺

菅井群青
恋愛
突然ドアが開いたとおもったらヤクザが抱えられてやってきた。 「今すぐ立てるようにしろ、さもなければ──」 「脅してる場合ですか?」 ギックリ腰ばかりを繰り返すヤクザの組長と、治療の相性が良かったために気に入られ、ヤクザ御用達の鍼灸院と化してしまった院に軟禁されてしまった女の話。 ※なろう、カクヨムでも投稿

お隣さんはヤのつくご職業

古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。 残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。 元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。 ……え、ちゃんとしたもん食え? ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!! ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ 建築基準法と物理法則なんて知りません 登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。 2020/5/26 完結

【完結】女当主は義弟の手で花開く

はるみさ
恋愛
シャノンは若干25歳でありながら、プレスコット伯爵家の女当主。男勝りな彼女は、由緒ある伯爵家の当主として男性と互角に渡り合っていた。しかし、そんな彼女には結婚という大きな悩みが。伯爵家の血筋を残すためにも結婚しなくてはと思うが、全く相手が見つからない。途方に暮れていたその時……「義姉さん、それ僕でいいんじゃない?」昔拾ってあげた血の繋がりのない美しく成長した義弟からまさかの提案……!? 恋に臆病な姉と、一途に義姉を想い続けてきた義弟の大人の恋物語。 ※他サイトにも掲載しています。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

処理中です...