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九章
3、手紙【2】
俺は深山さんの筆記帳を取り上げると、翠子さんの机に置いてあった鉛筆で答えを記した。
――三條組は土建屋ではありません。いわゆる極道です。
なぜ一介の女学生が、琥太郎兄さんの組のことを聞きたがるのか分からん。
筆記帳を突き返すと、深山さんは俺の返事を見て瞠目した。大きな目がこぼれ落ちそうだぞ。よく、そんなにも目を見開けるものだ。
「文子さん、大丈夫?」
「え、ええ。ちょっと動転してしまったわ」
「よかったら、お話を聞かせてくださらない?」
翠子さんに勧められて、深山さんは小さくうなずいた。そして風呂敷包みの中から、「今朝、郵便受けに入っていたの」と封筒を取り出したのだ。
黄色と橙色の小花の押し花が貼られた封筒だ。
文子さんの名前はあるが、住所も切手もない。裏面を返すと、「三條組、三條琥太郎」と記されていた。
「琥太兄!」
思わず声を上げてしまい、教室内にいる生徒が一斉に俺を振り返った。
ちょっと待てよ。なんで琥太兄が深山さんに手紙を送っているんだ? しかも特別に愛らしい押し花だぞ。
これは知っている。海岸通りの文具店で見かけたことがあるからな。
琥太兄が自分でこんな愛らしいものを買いに行ったのか? いや、部下に買わせた?
絵面的には、三條組の者が買いに行った方がよっぽど怖い。
若頭という立場であるが、琥太兄はそこまで強面ではないからな。
ただ目つきが怖いと、周囲によく言われるだけで。
深山さんは封筒から便箋を出して、広げてくれた。
いいのか? これは琥太兄が深山さんに個人的に宛てた手紙だろ? と思ったが、よく考えれば琥太兄は翠子さんの肌を見ているんだ。
うん、罪悪感は一瞬にして海の彼方へ吹き飛んだ。
――むらさきにほふしんざんに われはたたずむ ぼうえきふうの やうなここちで
筆で書かれた端正な文字が並んでいる。
ああ、確かにこれは琥太郎兄さんの文字だ。一見すると柔らかそうなひらがななのに、どこか鋭さを感じさせる字体。
「暗号ですか? もしかしたらアナグラムというのかもしれませんよ。文字を並び替えてみましょう」
翠子さん、なんでそんな知識があるんだ?
君、俺が知らない雑誌や本を読んでいるね。
「先生ー。教えてくださいー」
深山さんがすがるような瞳で俺を見上げる。おいおい、普段は怖いだのなんだのと毛嫌いしているくせに、こういう時だけ担任として頼るのはどうかと思うぞ。
俺はそんなに都合がいい男ではないんだ。
「ね、先生。もしかしてですけど『しんざん』って『深山』ってことじゃないかしら。文子さんの苗字の。それに『むらさきにほふ』って山にかかる枕詞ですよね」
うんうん。翠子さんは洞察力があるし、賢いなぁ。授業や試験が関わらなければ、だが。
仕方がない。深山さんに自分で考えろと突っぱねたところで、答えも出ないだろう。
俺は翠子さんの筆記帳の隅に、先ほどの短歌を漢字を入れて書き直した。上の句の文字数が五、七、五で切れないが。さほど問題ではないと、琥太郎兄さんから聞いたことがある。
――紫匂う深山に我は佇む 貿易風のような心地で
「翠子……いや、笠井さんが言った通り『深山』さんの名前が入っている。それと『紫匂う』は他の意味が持たせてある。『山』にかかる枕詞、紫色の女学生の袴。そして紫の上……若紫だ」
まったく琥太兄も七面倒くさいことをする。自分は私立の大学で文学を学んでいるから、こんなものは屁でもないだろうが。
普通の女学生には通じんだろ。
そう考えて、はっとした。
もしかして、俺に解読させるためにわざわざ手紙にしたためたのか?
琥太兄なら、深山さんが俺の受け持ちの生徒であることくらい、すぐに調べがつくだろうし。
どんな経緯で出会ったのかは知らないが、なんて面倒くさい奴なんだ。
しかし「若紫」とは……。琥太兄、囲い込みはいけないと思うぞ。
俺と違って、あんたはそっちの人なんだから。冗談では済まない。
「先生、『貿易風』の意味するところが分かりません」
「はい、深山さん。次の授業でもそれくらい積極的に発言してください」
とりあえず貿易風は北回帰線や南回帰線から、赤道へ向かって吹く風であることを伝える。
いちいち短歌に解釈を付けるのは無粋なのだが。要するに、深山さんのことを考えていると、温かい気持ちであると言いたいんだろう。
始業の時間になり、担当の俺が室内にいるのでドアガールの生徒は、廊下に出るべきかどうか迷いつつ、俺を見遣っている。
「ああ、自分の席にいなさい。教員である俺は、すでに教室内にいるのだから、なにも杓子定規に考えることはない」
俺は教壇について授業を始めた。
だが、翠子さんは隣の深山さんを心配そうにちらちらと見ているし。深山さんは、手紙こそしまっているものの頭を抱えている。
君たち、切り替えが下手だね。
――三條組は土建屋ではありません。いわゆる極道です。
なぜ一介の女学生が、琥太郎兄さんの組のことを聞きたがるのか分からん。
筆記帳を突き返すと、深山さんは俺の返事を見て瞠目した。大きな目がこぼれ落ちそうだぞ。よく、そんなにも目を見開けるものだ。
「文子さん、大丈夫?」
「え、ええ。ちょっと動転してしまったわ」
「よかったら、お話を聞かせてくださらない?」
翠子さんに勧められて、深山さんは小さくうなずいた。そして風呂敷包みの中から、「今朝、郵便受けに入っていたの」と封筒を取り出したのだ。
黄色と橙色の小花の押し花が貼られた封筒だ。
文子さんの名前はあるが、住所も切手もない。裏面を返すと、「三條組、三條琥太郎」と記されていた。
「琥太兄!」
思わず声を上げてしまい、教室内にいる生徒が一斉に俺を振り返った。
ちょっと待てよ。なんで琥太兄が深山さんに手紙を送っているんだ? しかも特別に愛らしい押し花だぞ。
これは知っている。海岸通りの文具店で見かけたことがあるからな。
琥太兄が自分でこんな愛らしいものを買いに行ったのか? いや、部下に買わせた?
絵面的には、三條組の者が買いに行った方がよっぽど怖い。
若頭という立場であるが、琥太兄はそこまで強面ではないからな。
ただ目つきが怖いと、周囲によく言われるだけで。
深山さんは封筒から便箋を出して、広げてくれた。
いいのか? これは琥太兄が深山さんに個人的に宛てた手紙だろ? と思ったが、よく考えれば琥太兄は翠子さんの肌を見ているんだ。
うん、罪悪感は一瞬にして海の彼方へ吹き飛んだ。
――むらさきにほふしんざんに われはたたずむ ぼうえきふうの やうなここちで
筆で書かれた端正な文字が並んでいる。
ああ、確かにこれは琥太郎兄さんの文字だ。一見すると柔らかそうなひらがななのに、どこか鋭さを感じさせる字体。
「暗号ですか? もしかしたらアナグラムというのかもしれませんよ。文字を並び替えてみましょう」
翠子さん、なんでそんな知識があるんだ?
君、俺が知らない雑誌や本を読んでいるね。
「先生ー。教えてくださいー」
深山さんがすがるような瞳で俺を見上げる。おいおい、普段は怖いだのなんだのと毛嫌いしているくせに、こういう時だけ担任として頼るのはどうかと思うぞ。
俺はそんなに都合がいい男ではないんだ。
「ね、先生。もしかしてですけど『しんざん』って『深山』ってことじゃないかしら。文子さんの苗字の。それに『むらさきにほふ』って山にかかる枕詞ですよね」
うんうん。翠子さんは洞察力があるし、賢いなぁ。授業や試験が関わらなければ、だが。
仕方がない。深山さんに自分で考えろと突っぱねたところで、答えも出ないだろう。
俺は翠子さんの筆記帳の隅に、先ほどの短歌を漢字を入れて書き直した。上の句の文字数が五、七、五で切れないが。さほど問題ではないと、琥太郎兄さんから聞いたことがある。
――紫匂う深山に我は佇む 貿易風のような心地で
「翠子……いや、笠井さんが言った通り『深山』さんの名前が入っている。それと『紫匂う』は他の意味が持たせてある。『山』にかかる枕詞、紫色の女学生の袴。そして紫の上……若紫だ」
まったく琥太兄も七面倒くさいことをする。自分は私立の大学で文学を学んでいるから、こんなものは屁でもないだろうが。
普通の女学生には通じんだろ。
そう考えて、はっとした。
もしかして、俺に解読させるためにわざわざ手紙にしたためたのか?
琥太兄なら、深山さんが俺の受け持ちの生徒であることくらい、すぐに調べがつくだろうし。
どんな経緯で出会ったのかは知らないが、なんて面倒くさい奴なんだ。
しかし「若紫」とは……。琥太兄、囲い込みはいけないと思うぞ。
俺と違って、あんたはそっちの人なんだから。冗談では済まない。
「先生、『貿易風』の意味するところが分かりません」
「はい、深山さん。次の授業でもそれくらい積極的に発言してください」
とりあえず貿易風は北回帰線や南回帰線から、赤道へ向かって吹く風であることを伝える。
いちいち短歌に解釈を付けるのは無粋なのだが。要するに、深山さんのことを考えていると、温かい気持ちであると言いたいんだろう。
始業の時間になり、担当の俺が室内にいるのでドアガールの生徒は、廊下に出るべきかどうか迷いつつ、俺を見遣っている。
「ああ、自分の席にいなさい。教員である俺は、すでに教室内にいるのだから、なにも杓子定規に考えることはない」
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だが、翠子さんは隣の深山さんを心配そうにちらちらと見ているし。深山さんは、手紙こそしまっているものの頭を抱えている。
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