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八章
9、宵祭り【7】
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「怪我はないか? 翠子さん。鼻緒は切れていないな」
「はい」
自分が迷子になったと気づかなかったことに、わたくしは心底恥じ入りました。
旦那さまの説明によると、海ほおずきというのは貝の卵のようなもので、中身を出して洗ったものを口に入れて、空気を入れたり出したりして遊ぶのだそうです。
その空気の音が「ぶぅぶぅ」いうらしいです。
豚になってしまう魔法の道具かと思いましたけど。違うんですね。
「欲しいかい? 海ほおずき。お清が教えてくれたことがあるが、口の中がけっこう潮くさくなるらしいぞ」
「いえ、結構です」
わたくしはうなだれながら、今度は旦那さまと手をつなぎました。
ええ、扇子の要ではいつまた手を離すか分かったものではないと、叱られてしまったのです。
「まぁ、初めての場所で気もそぞろなのも分かるが」
旦那さまは、お面や風車を売っている露店の前で立ち止まりました。他のお店のような屋根はなく、竿のようなものに天狗やひょっとこのお面が掛けられ、柱の部分に風車が差してあります。
赤と黄色の華やかな風車をお買い求めになった旦那さまは、それをわたくしに渡してくださいます。
「これを持っていなさい。そうすれば迷子になっても、すぐに見つけられるから」
「迷子には……もう、なりません」
「うん。翠子さんを、もう俺からはぐれさせたりしないけどな」
旦那さまは微笑むと、風車に息を吹きかけました。
風を受けた風車は、からからと愛らしい音を立てて回ります。赤と黄色がまじりあって、橙に見えるのです。
「海ほおずきの音よりも、ずっといいです」
「そうだな。俺も翠子さんが隣で『ぶぅぶぅ』と言っているのは、ちょっとな」
だから、海ほおずきを欲しいわけではなくて。興味があっただけなんですって。
でも、迷子になって立場の弱いわたくしは、口に出すことはできませんでした。
◇◇◇
ちょっと感動した。
なんて言うと、きっと翠子さんに叱られるから。俺は口には出さない。
それまで引っ張られていた扇子から、翠子さんが手を離したことはすぐに気づいた。気づかないわけないだろう?
どうしたんだ? と目で彼女の姿を追っていると、翠子さんは海ほおずきの夜店へと向かった。
そういえば周囲からやけに「ぶぅぶぅ」と間抜けた音が聞こえていると思った。
しばらく興味深そうに夜店をのぞいていた翠子さんが、突然周囲を見回して走りだした。
おいおい、待てって。俺は君の真後ろにいるんだぞ。
左右の確認はするのに、なんで背後の確認はしないんだ。
慌てて追いかけたが、なんせ翠子さんは足が遅いくせに体が小さいので小回りが利く。そして俺は足は速いが体がでかいので、人を避けるので精いっぱいだ。
目印になるものを持たせておけばよかったと、すぐに後悔した。
転びそうになった翠子さんを助けた時、彼女は自分が迷子になったという自覚がなかった。
しかも俺が不安がっているだろうと、探していたのだ。
おいおい、なんだよ。その保護者感覚は。
どうして小さいのに、俺を守ろうとするんだ。
ほんと不意打ちでそういうのは、困るんだが。しっかりと迷子になりながら、なんで十五も上で、担任でもある俺の心配をするんだ?
そういうの……嬉しすぎるじゃないか。
まぁ、鼻緒が切れなかったのは幸いだ。
俺は、たぶん他人の鼻緒は直せても、翠子さんの鼻緒だけは直す自信が微塵もないのだから。
風車をしっかりと握りしめながら、俺と手をつなぐ翠子さんはしょんぼりとしていて。
それはもう、抱きしめたいほどの愛らしさだった。
かつて琥太郎兄さんと来た宵祭りは散々だったが。やはり翠子さんと一緒だと、どこでも楽園になるのだな。
「はい」
自分が迷子になったと気づかなかったことに、わたくしは心底恥じ入りました。
旦那さまの説明によると、海ほおずきというのは貝の卵のようなもので、中身を出して洗ったものを口に入れて、空気を入れたり出したりして遊ぶのだそうです。
その空気の音が「ぶぅぶぅ」いうらしいです。
豚になってしまう魔法の道具かと思いましたけど。違うんですね。
「欲しいかい? 海ほおずき。お清が教えてくれたことがあるが、口の中がけっこう潮くさくなるらしいぞ」
「いえ、結構です」
わたくしはうなだれながら、今度は旦那さまと手をつなぎました。
ええ、扇子の要ではいつまた手を離すか分かったものではないと、叱られてしまったのです。
「まぁ、初めての場所で気もそぞろなのも分かるが」
旦那さまは、お面や風車を売っている露店の前で立ち止まりました。他のお店のような屋根はなく、竿のようなものに天狗やひょっとこのお面が掛けられ、柱の部分に風車が差してあります。
赤と黄色の華やかな風車をお買い求めになった旦那さまは、それをわたくしに渡してくださいます。
「これを持っていなさい。そうすれば迷子になっても、すぐに見つけられるから」
「迷子には……もう、なりません」
「うん。翠子さんを、もう俺からはぐれさせたりしないけどな」
旦那さまは微笑むと、風車に息を吹きかけました。
風を受けた風車は、からからと愛らしい音を立てて回ります。赤と黄色がまじりあって、橙に見えるのです。
「海ほおずきの音よりも、ずっといいです」
「そうだな。俺も翠子さんが隣で『ぶぅぶぅ』と言っているのは、ちょっとな」
だから、海ほおずきを欲しいわけではなくて。興味があっただけなんですって。
でも、迷子になって立場の弱いわたくしは、口に出すことはできませんでした。
◇◇◇
ちょっと感動した。
なんて言うと、きっと翠子さんに叱られるから。俺は口には出さない。
それまで引っ張られていた扇子から、翠子さんが手を離したことはすぐに気づいた。気づかないわけないだろう?
どうしたんだ? と目で彼女の姿を追っていると、翠子さんは海ほおずきの夜店へと向かった。
そういえば周囲からやけに「ぶぅぶぅ」と間抜けた音が聞こえていると思った。
しばらく興味深そうに夜店をのぞいていた翠子さんが、突然周囲を見回して走りだした。
おいおい、待てって。俺は君の真後ろにいるんだぞ。
左右の確認はするのに、なんで背後の確認はしないんだ。
慌てて追いかけたが、なんせ翠子さんは足が遅いくせに体が小さいので小回りが利く。そして俺は足は速いが体がでかいので、人を避けるので精いっぱいだ。
目印になるものを持たせておけばよかったと、すぐに後悔した。
転びそうになった翠子さんを助けた時、彼女は自分が迷子になったという自覚がなかった。
しかも俺が不安がっているだろうと、探していたのだ。
おいおい、なんだよ。その保護者感覚は。
どうして小さいのに、俺を守ろうとするんだ。
ほんと不意打ちでそういうのは、困るんだが。しっかりと迷子になりながら、なんで十五も上で、担任でもある俺の心配をするんだ?
そういうの……嬉しすぎるじゃないか。
まぁ、鼻緒が切れなかったのは幸いだ。
俺は、たぶん他人の鼻緒は直せても、翠子さんの鼻緒だけは直す自信が微塵もないのだから。
風車をしっかりと握りしめながら、俺と手をつなぐ翠子さんはしょんぼりとしていて。
それはもう、抱きしめたいほどの愛らしさだった。
かつて琥太郎兄さんと来た宵祭りは散々だったが。やはり翠子さんと一緒だと、どこでも楽園になるのだな。
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