【第一部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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十章

25、お屋敷【2】

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「なぜ、不安定な舟の上ではしゃいだんですか?」

 旦那さまの子どもの頃の話を聞きながら、わたくし達は長い外廊下を進みます。

「昔な。俺が十歳くらいの頃かな。この池にすっぽんを放したんだ」
「すっぽん……なぜ?」
「そりゃあ。育ててから、まる鍋にしようと思って」

 まる鍋ってなんでしょう? と首をかしげると、旦那さまが「すっぽん鍋のことだ。月とすっぽんと言うが、どちらも丸いだろう?」と教えてくださいました。

 信楽焼きの分厚い土鍋と、高温のコークスで一気に調理するのだそうです。有名なお店では、その土鍋にすっぽんの旨味がしみこんでいくらしいです。ウナギのたれを継ぎ足して育てるというのは聞いたことがありますけど。鍋自体を育てるんでしょうか。

「以前蛍狩りに行っただろう。あの辺りですっぽんの幼体を見つけてな。うちに池はないから、ここの池で育ててやろうと思って」
「ちなみに餌って何なんですか?」
「タニシとか魚の切り身とか。あとは乾燥小エビだったかな」

 なんだか、いやーな予感がしました。
 旦那さまは、幼少時はお家ではきつい思いをすることが多かったようですが。それにしては、妙に伸び伸びと自由に育ったように感じることがあります。
 お清さんのお陰かと思っていましたけど。
 どうやらこの三條組で、やんちゃのし放題だったのではないか……と。

「せっかくだから、餌のタニシもこの池で増やそうと思ってな。そうしたら池はタニシだらけになってな」

 旦那さま、遠い目をなさらないでください。

「乾燥小エビも撒いたら、あれって水分で膨れるのな」

 懐かしそうな目をしても駄目ですよ。

 タニシが繁殖し、池の表面に水を吸った小エビがぷかぷかと浮く図は、なかなかに壮観です。
 文学を愛する琥太郎さんは繊細そうな方ですから。きっと顔をしかめたでしょう。ええ、生臭いにおいもしたに違いありません。

「干しブドウってあるだろ」
「ええ」
「あれも池に入れたら、きっとブドウに戻るんじゃないかと提案したが。さすがに却下された。『坊、これ以上の手間を増やさないでください』と。波多野は涙目だったな」


 三條組の組員の方々が、必死で池の掃除をする姿が容易に想像できました。

「組長……蒼一郎おじさんが『どうせなら一匹だけ放すんやのうて、この池で養殖したらええんちゃうか。欧之丞に資金、出したるで』と言ってくれたけどな。それも組員が土下座し『お願いですから、やめてください』って頼み込んでたな」

 普通のお家なら、子どもが遊びに来るでしょうけど。組長の息子さんでいらっしゃる琥太郎さんの元へ、日々遊びに来る勇気ある少年が、何人もいるとは思えません。
 
 きっと旦那さまは、何をしても歓待されていたんですね。
 それはいいことなんでしょうけど……甘すぎですよ。

 そして少年だった旦那さまは、大きく育ったすっぽんを舟の上から見つけて、狂喜乱舞したそうです。
 ええ、懐かしさで嬉しくてじゃないですよ。わたくし、分かっております。
 きっと「まるなべー」とか叫びながら、飛び跳ねたんですよね。

 というか、大事に育てたすっぽんを、自分で捌く気満々だったのでしょうか。

「池に落ちてびしょ濡れになった俺を、琥太兄は舟の上から蔑んだ目で眺め。そして当時の組員は『坊、なんと羨ましい』『俺らも琥太郎さまに睨まれたいです』と、熱いまなざしを向けていたな」
「それは……すごいですね」
「侮蔑されつつ、羨望されるって。人生でなかなか味わうことはないな」

 旦那さまの言葉に、わたくしは笑ってしまいました。
 きっと緊張をほぐすために、話してくださったのでしょう。

 とはいえ自由すぎますよ。

「まぁ、すっぽんは最長で三十年くらい生きると言われているからな。まだその池に棲んでるかもしれないぞ」
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